- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480072818
作品紹介・あらすじ
「上下関係」「努力信仰」「気持ち主義」……多くの日本人を無意識に縛る価値観はどこから来るのか。学校や会社に浸透した『論語』の教えを手掛かりに、その淵源を探る。
感想・レビュー・書評
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日本の学校風土と企業風土を、アメリカを中心に諸外国と比較する比較文化論で、日本の学校と企業に根付いた国民性を『論語』の教えに照らし合わせて説明しようとする。今現在、中国古典を読むことの意義は何なのかを考えたくて、ヒントになるかと思い読んだ。
現在進行形で学校教育に関わる人間としては、筆者や筆者のインタビューした学校関係者の持つ学校観や教育観には、やや古さを感じるものの、「年功序列」「努力・精神主義」「気持ち主義」などなど、およそ日本人が持つ学校あるあるとして共感できるものが多い。そうした日本人の心性が、『論語』の言葉と重ねて説明されるので、とても納得感のある本だった。
特に面白かったのは、最終章の渋沢栄一『論語と算盤』の解説で、筆者は、渋沢の考えをかなり高く評価している。渋沢栄一は、『論語』の道徳観と、算盤=資本主義の道徳観、それぞれの強みと弱みを分析し、お互いを補完することで、公益を達成しようとする「合本主義」という思想を説いていたとの説明だった。
存在は知っていたが、中身については知らなかったので、興味の湧く内容だった。
所々、日本人性のイメージとして古いのでは、と感じるところがあるなど、やや疑問に思うところもあったが、まだまだ、確かに今の職場にもあるな、と感じるものがある。
最後に筆者も述べている通り、自分たちを理解するために古典を読む。ただの趣味や教養ではなく、古典を読むことの意義を考えるヒントに、十分になる本だった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
日本人の価値観の根っこには、孔子らの教えがある。『論語』や儒教のものの考え方と、「日本人らしさ」。そのつながりを考察した書籍。
『論語』で教えを説く孔子は、中国の春秋時代末期、戦乱の時代を生きた。それゆえ、「平和で安定した秩序をうち立てるには、どうしたらよいのか」が、彼の抱いた問題意識だった。そして「過去の良きものにこそ手本がある」と考えた。
日本の戦国時代、武将の立場は平等で、彼らの野望を押さえる権力や権威もなかった。その後、江戸時代に、世襲を基本とした序列、上の権威に下が服従する体制が作られた。この制度設計に正統性を与えるため、『論語』や儒教の教えが使われた。
江戸時代以降、『論語』や儒教の教えをもとに日本人の価値観が形成されていく。それは、次のようなもの。
①年齢や年次による上下や序列のある関係や組織を当たり前だと思う
②生まれつきの能力に差はない、努力やそれを支える精神力で差はつく
③性善説で人や物事を考える
④秩序やルールは自分たちで作るものというより、上から与えられるもの
⑤社長らしさ、課長らしさ、学生らしさなど与えられた役割に即した「らしさ」や「分」を果たすのが何よりいいこと
⑥ホンネとタテマエを使い分けるのを当たり前と思う
⑦理想の組織を「家族」との類推で考えやすい
⑧組織や集団内で、下の立場の「義務」や「努力」が強調されやすい
⑨教育の基本は「人格教育」
⑩男尊女卑 -
会社勤めしていると色々と理不尽だな〜と感じたり、ジェネレーションギャップを感じたりします。トレードオフの概念を素直に受け入れると色々とシンプルになるのにな〜と思うが、実際は難しいですね。
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古典を読むように推奨されることがあると思います。実は、「論語」などの2千年以上前の中国の価値観が、今の日本人の「空気を読む」といった価値観を形成していることや、その価値観は、実は時の権力者が古典を道具として植え付けていったことを教えてくれます。今の自分の価値観のルーツを知った上で、今後生かしていくべきものと、とらわれる必要がないものはそれぞれ何かを考えさせてくれる1冊でした。
【気づき】
・成功した人間は、それに見合う努力をした人間であることには間違いはない気がするが、確かに、それが「うまくいかない=努力していない」という考え方になりがち。それで自分を苦しめるのもいけないが、他人を苦しめないように気をつけないといけない。
・コロナウイルスに対する緊急事態宣言時に、「日本人は秩序やルールは上から与えられるものとどこかで思っている」という価値観があることは証明されたのではないか。いつもうまく利用できるかどうかはわからないが、確かに秩序やルールを徹底させる上で有効なやり方だと感じた。
・日本人の価値観形成に、「論語」などの古典が使われている。古典を読むことは、言う通り、自分を知ることにつながるのだと思う。これからも、さらに古典を知っていき、自分の価値観を形成しているものを知る必要がある。
【本のハイライト】
・日本人が持つ「無意識のクセ」は、外部から指摘されれば「自分はそんなクセがあるんだ」ということがわかる。それを理解し、その対処を考え、「同じものをそのまま選び直す」「同じものを問題点を改善しつつ選び直す」「全然別の道を選ぶ」といった、進む道を再選択できる。
〇「論語」の価値観
・江戸時代はすでに世襲による身分制という社会体制が存在していたため、その強化や補強のために「論語」や儒教の価値観が道具として利用されていった。
・明治の実業界の場合、急速な近代化もあり、経営者と雇用者の関係がドライであったものを、永続的かつ親密に転換するための道具として、「論語」の価値観が利用された。労働組合や共産・社会主義活動の根っこにも影響を与えていた。
・渋沢栄一は、「論語」を商業道徳として定着させることで、経済や実業の倫理的な退廃を救おうとした。
・日本の公教育の基本方針は、あらゆる活動を通じて人格を育成しようとするもので、道徳の時間はそのまとめの時間。欧米では違い、基本的なしつけは家庭の責任。
〇学校ではどうなっているのか
・日本には「生まれつきの能力に差はなく、努力やそれを支える精神力で差はつく」という価値観が根付いているため、うまくいかない=努力していないとなりがち。
・アメリカは個性を伸ばせれば、能力や学力に凹凸があってもいいという考え方だが、日本では、上から与えられたパッケージ化された知識を欠けるところなく習得することがよいとされる。
・「自分自身に満足しているか」と問われて、「今の自分はとても満足できるレベルでない」と答える若者が多いのは、伝統的価値観から言えば、謙虚で向上心に富む素晴らしい若者を大量生産できている状態にある。
・「成功した人間は、それに見合う努力をした人間だ」という、「因果関係」に価値観がズレてしまいがち。元々の価値観はあくまで「期待の表明」。
・「和」は「集団を手段」とする態度なので、何らかの目標達成の手段のために腹蔵なく意見を言い合い、諫言し合い、団結もできる。「同」は「集団を目的」とする態度で、日本の学校の細かい校則の押し付けのように、集団から外れないよう、集団がバラバラにならないよう、ひたすら「同じであること」が求められる。「同」はもともと家族関係で存在するものだが、いつの間にか企業や公的機関に入り込んでいる。
・タテマエとは、ある種の理想の体現ではあるが、それだけでは制御できない強烈な現実が存在している。タテマエの教育を受け続けると、言葉や行動の裏を考える方向に思考が進んでいく。
〇会社ではどうなっているのか
・日本の場合、社会現象に関しては「大局・関係重視」が圧倒的。特に企業の経営判断。アメリカではまず考えるべきは「その決断が経営理念と合っているか」だが、日本では下手をすれば実力者同士の力関係や貸し借りでものごとが決まる。このような決め方だと社員の目標や方向性が定まらず、モチベーションも持ち続けにくい。そこで持ち出されるのが目標数字や期日だが、本質と関係のない数字が連呼されたり、数字が目的化することも多い。
・戦後の日本企業の多くは個人の能力を図る際に仕事での実績以外の学歴、勤務年数・年齢、情意評価、性別といった要素が考慮されたが、これも「論語」的な価値観が考慮されている。
・欧米では、経営者の仕事はトレードオフを決断すること。日本ではその決断を現場に押し付けがち。「論語」の影響で、集団や組織内で、下の立場の「義務」や「努力」が強調されやすい。
・「秩序の維持や安定」を主とする思想では、特にそこに「家族主義的」な要素が入ってくると、組織内の結びつきや人間関係を深める一方、身内の悪事や失態、時代遅れの事柄への処理のしづらさを学んでしまう。
・欧米では自分たちで決めたことは厳密に守ろうとするが、既存のルールや秩序に対しては根本的な見直しも厭わない。日本では既存の秩序やルールの根本的な見直しをやりたがらず、個人の事情を汲むのがことがよいという価値観もあることから、決まったこと全般に融通や解釈の幅を持たせたがる。「守った方がいい」という空気ができているもの以外は融通を効かせまくる。
・日本で外圧なしで何かを根本的に変えるには、「日本人は秩序やルールは上から与えられるものとどこかで思っている」という価値観を利用する。企業の最高責任者が本気で風土を変えていくなら、組織は変わるはず。
〇「論語」的価値観をうまく扱う
・日本人は相互理解に基づいた「和」を作れるが、その特徴は、良くも悪くも「表面上は和」「タテマエだけは和」という集団を「空気」を読んで自然に作れて、しかもそれを続けられる点にある。
・人は単に何かを学習するだけではなく、その置かれた文脈まで含めて「学習することを学習する」。学校においては、「刷り込もうとしてくる内容」と「自分のホンネ」「環境」との矛盾が、生徒に「ホンネとタテマエ」の存在を強烈に焼き付けていく。この場合、「適応」がメインとなり、適応すべき集団や対象、範囲を探るようになる。
・2つ以上の矛盾したものを同時に扱いたいとき、片やタテマエ、片やホンネとして処理することは、タテマエが形がい化しなければ悪い考え方ではない。対極をバランスすることで、人はよき指導者になれる可能性がある。
・知らない人を信用できるか判断するのに、SNSであれば共通の友人の有無、友人の数や質を参考に決められるようになり、ビジネスやプロジェクトを進めやすくなった。「論語」は伝統的に、日本人が思い浮かべる周囲から信用される「個」を作る土台となってきた教え。インターネットの発達で「個」の価値が試されるようになったことから、もう一度「論語」を学びなおす意味が出てきたという考え方がある。
・日本人は本質を立て、それをタテマエ化しないように改訂しつつ、守り切る手法の活用は欧米に劣るかもしれないが、大局を見て、矛盾した要素をうまく釣り合わせ、成果を挙げていく巧みさは持ち合わせているはずなので、この特徴を生かさない手はない。
・海外で戦うためには、まず自分自身を知らなければ戦えない。日本人の文化や常識の一つになってきたのが「論語」や中国古典なので、自分自身を知るために学ぶ必要がある。学ぶことによって、人は自分を無意識に縛るものを知り、そこから自由になることができる。 -
◾️要点
「多くの日本人を無意識に縛っている常識や価値観とは何か」を論語の価値観を通じて理解するため、読みました。
印象に残ったのは、以下のフレーズです。
人生の述懐を裏から読むと面白い。
孔子でさえ、14歳までは学問に志さなかった。
29歳まで自立できなかった。
39歳まで迷いっぱなしだった。
49歳まで天命を知らなかった。
59歳まで他人から忠告を受けると、バカヤローと思っていた。
69歳まで欲望のままに振る舞うと、ハチャメチャやっていた。
◾️意見
そんな見方があるのか、と感心する部分が多かった。世代間差も、論語濃度の違いで説明できるかもしれない。9章までは論語のマイナス要素にフォーカスしている印象があるが、10章まで読み進めると納得がいく。自身も論語と算盤を人生の指針にしたいと実践しているが、それはあくまで手段であることを改めて肝に銘じたい。
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日本人が知らず知らずのうちに重んじてしまう習慣や考え方は論語の影響が大きい。
ホンネとタテマエ、生まれつきの差はない、男尊女卑、、、
アメリカと比べるといろんな差があるが、それらはすべて否定されるものではないと筆者は言う。
それらを理解することで、縛られた固定概念から自由になることができる。 -
東2法経図・6F開架:B1/7/1474/K
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普通?でアタリマエ?の考え方だと思っていたことが、儒教由来だと知ることがたくさんありました。