- Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480072955
作品紹介・あらすじ
近代西洋思想は、いかにイスラームの影響を受けたスコラ哲学によって準備され、世界へと伝播したか。中国・朝鮮・日本までを視野に入れて多面的に論じていく。
感想・レビュー・書評
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中世編3。バロックの哲学。好きな時代だ。
ローラン・ビネの『文明交錯』と並行して読んだ。たまたまだがこの小説の注釈になるような内容だった。
大航海時代とともにイエズス会によってカトリックが世界に広がっていくさまがわかる。
ライプニッツやスピノザも登場。神がつくりたもうた世界を理性によって理解するという名目で自然科学が展開。
しかしながら、自然と神が切り離されるのは時間の問題。
(イエズス会が西欧以外にも版図を広げようとしたのは、宗教改革を経て西欧においてカトリックが弱体化してきたからと解釈することもできる。そういえば、上の小説では、イグナティウス・デ・ロヨラが反乱を起こすのだった笑)
もうひとつ、少し前に読んだ渡辺努『物価とは何か』と関連して、中世における「利子」の概念がなぜ忌み嫌われていたかという問題についても書かれていて、大変勉強になった(山内志朗「西洋中世の経済と倫理」)。
この頃は利子を上乗せするなんてもってのほかだったのだ。その点ではまともな時代だったのだ(笑)
とはいえ、遠方に船出することが多くなったことにより、利子とか保険といった概念が必要になったというのも十分に理解できる。なるほどなあ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
中世Ⅲ バロックの哲学
本書は、14世紀から17世紀の哲学の展開を扱っています
この時代は、人類史上から見て1つの激動の時代であった。
大航海時代、活版印刷の発明普及、宗教改革、ルネサンス。宗教改革以降は、大学教育の大衆化とも相まって、哲学の世俗化、宗教からの隷属からの脱却が進んだ。
14世紀は、ペストの時代、ローマ教皇庁の凋落、15世紀は、ルネサンス、16世紀は、宗教改革と、大航海時代、17世紀は、バロックと、合理主義、哲学から科学が分離して発展していく。
デカルトはスコラ哲学の膨大な遺産を大量に保有し、その概念群を継承し、ライプニッツに引き継いだ。ライプニッツは、微分積分学を含めて、哲学の中から自然科学を立ち上げた。
気になったことは次です。
・バロックとは、スペインが大航海時の中で世界へと版図を広げる時代に、西洋において興隆した文化様式であった。
・15世紀は、ドイツなど中欧のみならず、東欧・北欧にまで大学が陸続と開学されていった。
・1492年イスラームの戦いに勝利したスペインは、レコンキスタといって、黄金の世紀を迎える。大航海時代は経済の急激な発展をもたらし、商業革命と、経済倫理の変更をもたらした。
・当時のキリスト教は元本以上に返済に利子を取ってはいけない倫理があった。
・15世紀以降、西欧の知的関心は、旧来の地理的境界を越えて、地球全体へと向かいはじめていた。
・人間や動植物への関心は、実験、観察や、数学的方法を用いて自然を探求する。自然学、自然哲学と呼ばれ、科学といて認識されるのは、19世紀の後半まで待たなければならなった。
・イエズス会がもたらした西欧の宗教・哲学は、日本では織豊時代、中国では明代後期に伝播されたが、いずれも、仏教の僧侶たちは、宣教師たちのもっとも強力は論敵になった。
・西洋でも、神学と哲学にも変化がもたらされた。アンセルムスは、「信じるのではなければ人が経験することはなく、経験するのでなければ人が知ることもない」
・グーテンベルクの活版印刷が、ヨーロッパに急速に普及したのは、アルファベットという文字が少なく印刷がしやすかったことによる。東洋は漢字が主体であったため、西洋のそれよりもゆっくりと普及していく。
・フランシスコ・ベーコンは、自然哲学を進めるにあたって、アリストテレスの哲学がほとんど役にたたない学問と批判した。
・スピノザは、神を奉じているが、神の奇跡を認めない。奇跡とは神が自然の法則をねじ曲げるることだが、スピノザにとって、自然の法則は、神の法則なので、奇跡を起こせば、自らに矛盾する。
自然の科学的探究こそ、真理認識への道であり、さらにそれが、人間の幸福につながるとするスピノザの哲学は、世界に関するわれわれの認識を大きく変革する活力をもつ。その影響は現代科学ににまで影響を及ぼした。
・ライプニッツが、方法のモデルとした科学理論は、結合法や代数学など多様である。分析や総合、三段論法やスコラの論理学などの伝統も尊重し、学問を改定していく。
・スピノザが記号的表象を誤謬的な認識をしたのに対し、ライプニッツは記号的思考によって数学的抽象の世界が開かれる。記号法は、事物の代わりに記号を置くことで、想像力や記憶力の負担から解放し、推論を可能とした。
最後の3章は、東洋哲学に対する考察だ。
・朝鮮哲学は、現在の窮境を脱して未来を志向するという性質をもつものが少なくない。単純化するのであれば、「人間および人間性、そして、その知性と道徳性に対するあくなき肯定と探求」
・「知性的・理性的かつ道徳的人間」以外の存在者へ対する感性は日本人よりはるかに低い。
・唐の時代に新羅が漢文化を積極的に取り入れたこと、明・清の脱朱子学化に対処するため朝鮮がいっそう朱子学化を推し進めたこと、中国との文明的、軍事的関係がなければありえなかった。一方、群島文明であるという脱大陸的、脱合理的な突拍子もない世界観をもつ日本がことも影響された。
・19世紀にあっても、シャーマニズム・アミニズム・儒教・道教・仏教を融合した東学のような思想的、宗教的アマルガムも登場する。
・朝鮮朱子学は、日本にも幕末の横井小楠らを通じて伝えられ、後年併合植民地の思想につながる「教育勅語」にも影響を与えたことは誠に皮肉といえる。
・儒教が自然そのもの、自然と人間社会との関係及び人間の実存状態などについて、西洋哲学と共通なものをもっている。
・儒教は、もともと、詩、書、易、礼、春秋の五経をベースとしている。
・宋代には、科挙によって個々人が平等なチャンスをもち、官僚になることができるようになり、四書(論語、大学、中庸、孟子)を重んじる朱子学が発展してきた。
・朱子学とは、自然の理を把握するための修養を行うことである。
・朱子学は、鎌倉時代に禅僧によって日本にもたらされた。朱子学は、徳川幕府によって、官学に採用されていく。これが江戸期前半であり、林羅山らが中心となっている。
・やがて、朱子学に違和感を持つ学者があらわれ、儒教古典そのものに学ぶ「古義学」があらわれる。荻生徂徠は、経書の再解釈を通じて、「聖人の道」の在り方を唱えた。これを「徂徠学」という
・徂徠学は、江戸の後期に様々な形で継承され、国学の形成や、蘭学への影響、幕末への国論へとつながっていく。
・清末になると、荻生徂徠と弟子である太宰春台の思想書「日本国志」が中国に伝わり、通信使を通じて朝鮮にも伝わった。
目次は以下の通りです。
はじめに
第1章 西洋中世から近世へ
1 西洋中世と近世
2 西洋の思想的地図
3 バロック哲学への未知
第2章 西洋近世の神秘主義
1 神秘主義と愛知
2 スペイン黄金世紀と神秘主義
3 アラビアのテレサ
4 十字架のヨハネ
第3章 西洋中世の経済と倫理
1 中世における経済思想
2 清貧と経済思想
3 オリヴィの経済思想
4 中世における経済と倫理
第4章 近世スコラ哲学
1 アリストテレス主義と大学における哲学
2 哲学の母胎、あるいは「註解者」アヴェロエスとその思想
3 三人の近世哲学者たち ポンポナッツィ、スカリゲル、メランヒトン
第5章 イエズス会とキリシタン
1 キリシタン時代におけるフィロソフィアの翻訳
2 理性の訳語としての「霊」
3 東アジアから西欧へ 理性と「理」
4 天主教批判からさらなる普遍の模索へ
第6章 西洋における神学と哲学
1 信と知の原風景
2 乖離する信と知
3 問題の再構成
第7章 ポスト・デカルトの科学論と方法論
1 バロック式方法の時代
2 ホッブズの方法と自然哲学
3 スピノザの方法と自然哲学
4 ライプニッツの方法と自然哲学
第8章 近代朝鮮思想と日本
1 朝鮮・韓国の哲学的位置
2 近代との関係
3 近代における日本との関係
第9章 明時代の中国哲学
1 元から明へ
2 陽明学の展開
3 キリスト教トイスラーム
第10章 朱子学と反朱子学
1 朱子学の誕生と展開 宋代中国から徳川日本へ
2 徳川日本における反朱子学の展開 徂徠学を中心に
3 東アジアにおける徂徠学の展開
あとがき
年表
人名索引 -
《目次》
・第1章 西洋中世から近世へ
・第2章 西洋近世の神秘主義
・第3章 西洋中世の経済と倫理
・第4章 近世スコラ学
・第5章 イエズス会とキリシタン
・第6章 西洋における神学と哲学
・第7章 ポスト・デカルトの科学論と方法論
・第8章 近代朝鮮思想と日本
・第9章 明時代の中国哲学
・第10章 朱子学と反朱子学 -
・神の存在を認識することで、私たちには自由な意志が具わっているということに対する確信を乱すべきではありません。私たちは、意志の自由をみずからの内において経験し、感じ取っているのですから。
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3章の「西洋中世の経済と倫理」が特に面白かった
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第1章 西洋中世から近世へ
第2章 西洋近世の神秘主義
第3章 西洋中世の経済と倫理
第4章 近世スコラ哲学
第5章 イエズス会とキリシタン
第6章 西洋における神学と哲学
第7章 ポスト・デカルトの科学論と方法論
第8章 近代朝鮮思想と日本
第9章 明時代の中国哲学
第10章 朱子学と反朱子学 -
IK5a
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ポスト・デカルトの思想は通常の西洋哲学史の文脈とは違う語られ方。
近代朝鮮思想ははじめて触れた。