- Amazon.co.jp ・本 (285ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480092205
感想・レビュー・書評
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唯円「 歎異抄 」
阿満利麿 の現代語訳と解説がわかりやすい。宿業についての解説は 悪人正機説の疑問を解決してくれる
全体を読んで 気付いたのは、歎異抄は 大衆向けの啓蒙書というより、法然 や 親鸞 のカリスマ性をベースにして「ここに書かれたことは 時代が変化しても 変えるな」という弟子への行動規範書であるように思った
吉本隆明「最後の親鸞」のような破壊的インパクトはないが、念仏、浄土、宿業について 思想的偏りもなく、平易な文章で書かれており、大衆でも理解し実践できる内容になっている
10章 歎異抄の要
念仏には、無義をもて義とす
*念仏に対する行者の態度を言っている
*無義=自力のはからいを加えない
*義=道理にかなう
*誓願にあるように、ただ念仏さえすればいい
不可称、不可説、不可思議
*その理由〜念仏は称量できない、説明できない、思惟することもできないから
*人間の思慮分別では説明つかない
1章 ただ信心を要とす
*信心=阿弥陀仏の誓願どおりに念仏すれば仏になる
*阿弥陀仏の誓願=大無量寿経〜一切の衆生を仏とするための誓い
2章 念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからひなりと
念仏=南無阿弥陀仏=仏の道を歩みつつあることを示す行為
3章 善人でさえ往生を果たす、ましてや悪人が往生を果たすことは言うまでもない
*善人=自力で仏になるために仏の教えにしたがう人
*悪人=凡夫=仏になることができない人(道徳的な善悪ではない)=人間はすべて凡夫
*煩悩の本質は自己中心性
13章 宿業
*真面目な念仏者、本願ぼこりの悪人ぶる念仏者ともに批判〜善悪は意志のままに使い分けできるものではない→善悪は宿業である
*善心が生じるのは過去の善業の結果であり、悪心が生じるのは過去の悪業の結果
*人は 因(直接的な原因)、縁(間接的な原因)、果(結果)の大海のなかに浮かんでいる、その事実を宿業という
*宿業=深層意識→宿業の反対語は「心のままになる」
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親鸞の伝えたかった念仏という行為について、とても分かりやすく読むことができた。
しかし、読んでいた時は何となく、その内容を理解していた気でいたが、こうしてレビューを書いてみようと思うとなかなか適切な言葉が浮かばない。
ただ、一つだけ取り上げるならば以下の部分だろう。
「念仏は大事だ、なぜならそれのみが私達凡夫にできる唯一の信心の行為なのだから。」ということが基本にある。そして、そこから生まれる様々な疑問に本書は答えてくれる。 -
現代語訳と解説のおかげで、興味を持って読めた。書かれている内容には、説得力があると感じた。当時、他の宗派から圧力があったとのことだが、他の宗派がどのように考えていたのか知りたくなった。
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詳細で、これくらいのがよい。