- Amazon.co.jp ・本 (270ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480094049
感想・レビュー・書評
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一気読みしてしまった!面白いー!
巫具としての琵琶、シャーマンとしての語り手琵琶法師。
興福寺炎上のちの、清盛あっち死に。
俊寛干死からの、辻風。
平家滅亡後の、大地震。
もちろん、そこは虚構的虚飾も為されているわけだけど、境目の向こうの世界に震撼したであろう人々の思いが分かる。
おごれる人も久しからず……
語り手が向き合うのは生者だけではない。
死者への鎮魂。どうして、あなたたちが死ぬことになったか、盛者必衰を説く意味がそこに在る。
時折、死者が生者に向けて語りを繋ぐ。この二方向性、もっと考えてみたい。
今様リズムで暗唱のしやすい冒頭。
この祇園精舎から始まる意味合いを考えると、畏れを覚えた。
2017.12.25再読
必要あって再読。引用中心に。
「さきに述べたように、治承・寿永の乱後の京都社会にあって、平家怨霊の慰鎮を国家的レベルで要請された寺院は、『帝都の鬼門』に位置して『鎮護国家の道場』を自任していた比叡山延暦寺だろう。」
「ここで『諸人の耳にとどくやうに』を第一にあげるのは、聞き手の存在を前提として語りの基本姿勢がうかがえる。その範囲内で、語られる物語世界との一体化・合一化(『その身になって』)が説かれるのだが、このような語りの姿勢が、その前提として『平家を知る』ことをもとめたのは当然といえる」
「『平家』の語り手は、念仏聖的な側面と憑巫的な側面をあわせもつわけだ。物語を構成する三人称と一人称的な語りは、語り手がひきうける儀礼の構造とパラレルな関係にあるだろう。災厄を鎮める語り手が、同時に鎮められる災厄の因を演じている。そのようなモノ語りの機制が、平家滅亡にまつわるさまざまな前『平家』の語りを統一・結集させてゆく。」
「日常の生活空間では罪=穢れの指標となる身体の欠損や異形性が、祭儀の空間では世俗的秩序を超えた聖なるもの(ヌミノース)を顕現させる。それは原初の創造的混沌の可視的な徴表である。」詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/738907 -
平家物語を固定された「テクスト」ではなく、語りの中で「構成」されていった物語だという観点は、言われてみれば合点が行く。
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新書文庫
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平家はやはり、おもしろい。同じ作者の「琵琶法師」もよかったが、それにつながる権力論というのか、ある種の「読み」というのか、読み甲斐があった。もう一度、原典を読まなくちゃ。