内的時間意識の現象学 (ちくま学芸文庫 フ 21-5)

  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (672ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480097682

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  • 有名なアウグスティヌスの問題提起以来、哲学上最大の難問の一つ「時間」に、フッサールが集中的に取り組んだ労作。こんな本があったのか。
    フッサールらしく厳密で難解、この難問に相当苦労しつつ取り組んでいる様子が窺え、とても面白く読んだ。
    特に、時間推移を説明するに当たって例として常に音楽の「旋律」を取り上げ続けているので、ますます私の最近の主要な関心に近く、参考になった。
    私なら旋律の認識に関しては「ゲシュタルト」という用語を導入し、その「ゲシュタルト全体」は「部分=個々の音」の集結を待って形成されるのではなく、最初の一断片、2音めからすぐに、同時的に立ち現れているという点に着目するだろう。
    また、ここでのフッサールに感じられる限界は、彼が常に「意識=主体」を軸にしており、また、現在ではよく知られている科学知をもっていないために、西洋の伝統的な「空間|時間」という2面の並列性にこだわってしまっているところだ。
    思うに、生あるところに時間の介入しない次元は存在しない。
    空間を知覚するばあいにも、視覚の光学的刺激が網膜からいくつもの神経を通過して大脳に到達するまでに、「ほんの一瞬」とは厳密に言い切れないほどの「時間」がすでにかかっているし、さらに「意識」は後付けでやってくるものなので、0.5秒の遅れを常に伴っている(ボタンを押すと「意識/意志」が決定する0.5秒前に、彼はボタンを押してしまっている)。
    それゆえに、知覚自体が既に「時間」的な経験であり、「時間」を経由しないで我々は何も知覚することはできない。
    「空間的な知覚」と思い込んでいることが既に「時間的な知覚」なのである。
    カメラは人間の能力よりも迅速に「瞬間」をとらえるが(それでも厳密な意味で時間=ゼロではない)、しばしば写真を見て「え? こんな表情してたっけ??」と驚かされるのは、我々が事物を瞬間ではない時間の継続をとおして把握しているからだ。
    このような点において、私は本書に「突っ込みどころ」を感じるのだが、それでも、ここに展開される(おそらく苦渋に満ちた)フッサールの思考の圧倒的労力は高く評価したいと思うし、参考とすべき箇所も随所にあるのである。

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著者プロフィール

1859-1938。1859年4月8日、当時のオーストリア領に生れる。1876年ライプチヒ、ベルリン、ウィーンの各大学に学び、1883年学位を得る。1884年ウィーン大学のブレンターノの門下に入り、専攻していた数学から哲学への道を歩む。1906年ゲッチンゲン大学教授となり1916年まで在職。その後1928年までフライブルク大学教授。著書に、『算術の哲学、心理学的・論理学的研究』(1891)『論理学研究』(1900-01、みすず書房、1968-76)『厳密な学としての哲学』(1911、岩波書店、1969)『純粋現象学及現象学的哲学考案(イデーン)』(1913、1952、みすず書房、1979-2010)『内的時間意識の現象学』(1928、みすず書房、1967)『形式論理学と超越論的論理学』(1929、みすず書房、2015)『デカルト的省察』(1931、創文社、1954、岩波文庫、2001)『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』(1936、中央公論社、1974、中公文庫、1995)『経験と判断』(1939、河出書房新社、1975)などがある。

「2017年 『形式論理学と超越論的論理学 新装版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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