大嘗祭 (ちくま学芸文庫)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480099198

作品紹介・あらすじ

天皇の即位儀礼である大嘗祭は、秘儀であるがゆえ多くの謎が存在し、様々な解釈がなされてきた。歴史的由来や式次第を辿り、その深奥に迫る。

感想・レビュー・書評

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  • ・平成から令和への代替はりである。だからこんな本が出るのだらう。そしてそれを読む人間もゐる。といふことで、私も真弓常忠「大嘗祭」(ちくま文庫)を読んだ。おもしろいといふより分かり易い書であつた。私は気にならなかつたのだが、この真弓先生は皇學館大学に学び、そして皇學館大学で教へた人である。 八坂神社等の宮司も務めてゐる。神社本庁の教学顧問でもある。神社神道、国家神道に非常に深く関係した人である。さういふのがあちこちに散見される。これが気になる人がゐるかもしれない。しかし、これを気にしてゐたら大嘗祭のことを知ることができないのではないかと思ふのは私の思ひ込みであらうか。そんな神道色豊かな書であつた。
    ・などとえらさうなことを書いたものの、私の神道に関する知識はほとんどないといつても良い。だから、まづ大嘗祭のことを確認せねばならない。「大嘗祭 は、天皇が瑞穂の国の国魂を体現せられ、ニニギノミコトという稲の実りを象徴する存在となられる意を持つ儀礼である。」(244頁)この後半、ニニギノミ コト云々あたりから直ちに新嘗祭が思ひ出される。新嘗祭の一代限りの特例が大嘗祭だともいふ。「大嘗祭はそれゆえに、天皇が真に天皇としての御資格をはじ めて獲得される儀式であり、新嘗祭は、その年々のくり返しである。」(149頁)これでは新嘗祭が分からない。新嘗祭は「天皇が新穀をきこしめすにあたって、まずこれを神祇に供進される祭り」(53頁)であつて、しかも「いわゆる収穫感謝ではなく『皇祖より新おもの』をいただかれることを主にした祭り」 (55頁)である。この新嘗はニイナメと読むのだが、ちなみに辞書では大嘗祭はダイジョウサイでしか出てこないやうだし、新嘗祭はニイナメサイしか出てこないやうである、この「ニイナメ儀礼は古代中国の稲の祭りである『嘗祭』の文字を借用して『新嘗祭』と記すが、稲つくりの民であるわが国独特の信仰に根ざした『ニイナヘ』の行事で、それはわれわれの生命を養う稲魂を身に体する行為を儀礼化したもの」(48頁)である。つまり、新嘗祭は非常に土俗的、民俗的 な色彩の強い行事であると言へるのかもしれない。このやうな行事が皇室、とりわけ天皇の代替はりと結びついた時、それは大嘗祭となる。ごく簡単に言つてしまへばかういふことになるのかもしれない。しかしその大嘗祭、さすがに大変である。実に多くの決まり事がある。これらをきちんと一つ一つやつていかねばならない。例の阿知目の作法や様々な国振りの舞などもここに入るのだらう。こんな中にもやはり冬至が出てくる。「天皇は冬至の日の太陽=日の神のもっとも極 まった果ての亥刻(午後十時)より」(148頁)忌み籠もり、寅刻(午前四時)には「復活する太陽=日の神の霊の憑りつくのを待たれた上(中略)一陽来復、復活した太陽=日の神とともに、若々しい穀童ニニギノミコトとしてこの現世に顕現されるのである。」(同前)要するに、これは冬の祭りの生まれ清まり に通じることではないか。これが毎年行はれる新嘗祭であり、天皇即位後には大嘗祭となる。ごく簡単に言つてしまへばそれだけのことである。それが一般庶民 の土俗的な冬の祭りではないので、その手続きが複雑になる。例の真床覆衾(まどこおぶすま)はこの生まれ清まりに決定的な役割を果たしてゐる。他にもいろ いろとあるが、私にはこれが最も重要だと思はれた。現在もこの通りに行つてゐるのであらうか。本書は、歴史的な大嘗祭のことならばこれですみさうな一本であつた。退屈せずに読めたのはおもしろいからであつたらう。なほ、憲法との関係についての一章もあるが……。

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