疾走! 日本尖端文學撰集 ――新感覚派+新興藝術派+α (ちくま文庫 こ-56-1)

制作 : 小山 力也 
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480438652

作品紹介・あらすじ

まるで詩で小説を書くような煌めく比喩で綴られる文章で昭和初期に注目を集めた〈新感覚派〉の作品群を小山力也の編集、解説で送るアンソロジー。

感想・レビュー・書評

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  • 川端康成を集中的に読んでいたら、大変タイムリーな本。
    だいたい1900年前後生まれの人々が、だいたい1930年くらいに書いた、とにもかくにも強烈な作品群。

    ■はじめに
    詩で小説を書く。
    疾走する言葉の洪水に悪酔い。

    ■『首』 藤澤桓夫 1930★
     →冒頭の〈まるで疾風だ〉がから始まる、凄まじい文体。疾走感。
    そして語り手が首をどうするか……まさに川端康成「片腕」にぶっつけて互いに味わいが増す、好対照。

    ■『高架線』 横光利一 1930
     →浮浪人がまとまりがあるのだかないのだか判然としない群体となるのを、小説に描く。
    その中で浮浪人上がりの視点人物が設定されるが、特段特別性を帯びるわけでもなく、都市化から弾かれた存在として、群れに埋没。
    人を描くというより、人たちが菌のコロニーのようになる動きそのものを描く。
    全然関係ないが、見境ない女浮浪者のお倉から、楠見朋彦「零歳の詩人」におけるナージャを思い出した。

    ■『不器用な天使』 堀辰雄 1929★
     →僕ーカフェ・シャノアルの女ー槙、と女を挟んだ男の遣り取り。
    夏目漱石「こころ」における、私(先生)ーお嬢さんーK、を彷彿とさせる。
    橋本治による「こころ」解釈を踏まえれば、本作も裏テーマは同性愛?
    あ、確かに堀辰雄といえば「燃ゆる頬」。
    そしてこのタイトルよく聞くなと思ったら、堀辰雄初単行本の題が「不器用な天使」つまり自信作なのだ。
    またこのころ堀辰雄と川端康成が交流し、カジノ・フォーリーに同行したりしている、らしい。
    さらに若き日に芥川龍之介を読み込んだ川端康成にとって、芥川龍之介との交流があり「聖家族」で作品の題材にした堀辰雄は、どうしたって嫉妬の対象だったんでは、と邪推する。
    三十代で「風立ちぬ」を書き継ぐ堀と、三十代で「雪国」を書き続ける川端、また1940年頃の「かげろふの日記」で日本古典へ傾倒する堀と、戦中「源氏物語」を愛した川端は、なかなかの相似形をなしている。
    「菜穂子」が1940年代で、死去は1953年だが、1947年の一時危篤以降発表がないので、いわば堀が果たせなった日本回帰を、川端が受け継いだという構図も、ありそう。
    あまり意識することのなかった、「堀辰雄と戦争」というテーマ、川端を媒介にすることで、宮崎駿が「風立ちぬ」で無理に堀辰雄と堀越二郎をくっつけたのでは決してない、ということが、ようやくわかった。
    ……と脱線したが、この作品自体は軽さが味。

    ■『軍艦』 今東光 1924
     →今東光って、稲垣足穂と張り合えるほぼ唯一のハゲチャビン、という印象だが、そうかもとはこのくくりだったんだな。
    群衆そのものを描く、しかも建設されるのが軍艦なものだからその最後は……と。

    ■『狂った一頁』 川端康成 1926
     →つい先日鑑賞した「狂つた一頁」の川端脚本。
    というか覚え書きみたいな文章。

    ■『黒猫』 龍膽寺雄 1930★
     →龍膽寺雄は恋人・妻を描いた小説が絶品だが、本作はより年齢が低い子供の少女。
    これもまた絶品だから困ってしまう。
    「小さなコスモポリタンの娘」が、1930年に読んで心に棲みついた読者もいただろう。
    いいな、アンソロジー以外に追ってみたいな、龍膽寺雄。

    ■『ステーション・カラア』『新宿風景』 浅原六朗 1929
     →東京駅や新宿駅の描写。
    ただしリアルな筆致ではなく、たとえば〈都会は高速度のオルケストラだ〉のような惹句や、〈××ホテル〉を〈あそこは新宿の愛すべき心臓よ。〉というマダムなど短編小説の味も。
    作者は「てるてる坊主」など童謡の作詞者でもあるが、同時に「ある自殺階級者」「H子との交渉」「混血児ジヨオジ」など、尖った小説も多そう。

    ■『室内』 山下三郎 1932★
     →少年の他愛ない話なのだが、文体と言葉選びとにゾクゾクしっぱなし。
    〈窓のそばに机がある。その上のみを太陽が廻っては夕方がくるのだ〉とか〈かなしさとミルクがすれちがう……そのために僕のからだが段々弱くなる〉とか。
    可愛さと切実さが同居した奇蹟。綺羅の一粒。

    ■『三等列車中の唄』『富士』 高橋邦太郎 1930
     →速力という言葉が印象深い。
    90年後の今では当然のインフラが、最先端技術だった当時に思いを馳せることのできる、一冊。

    ■『橋』 池谷信三郎 1927★
     →カメラが常に彼を移し続けるわけではなく、意外に謎の中心たるシイカに寄り添ったりもする、不思議な描写。
    漢字のわからないシイカっていう音と、彼女の振る舞いって、現代のラノベに通じるのではないかしらん。あるいは村上春樹的な。

    ■『天文臺』 稲垣足穂 1927
     →これもまた他愛ない話。
    冒頭の〈トンコロピーピー〉というフレーズは、「一千一秒物語」内の「A MEMORY」にもあるらしい。
    ……という作品情報はまあいいにして、編者の解説にいわく、〈文章に対する集中力を途切らせると、たちまち意味が行方不明になってしまう〉〈だが、そんなとこまでも可愛らしい〉とある。
    そう! そう! そうなのですよ! と嬉しすぎる。
    二十年来足穂ファンなのに、読んでも記憶が堆積しない。
    読んだ文そのものが砂のように煌めいて落ちる美しさにうっとりしたのに、微風程度でさらわれてしまって残らない。
    だから何度も味わえるのだが、前に読んだのになぁという寂しさもあって、不甲斐なさと甘美さとが綯い交ぜになる読書経験を続けながら、自分の頭が悪いんだろうなと感じていたが、似た経験が書かれていたので、嬉しすぎる。

    ■『モル博士と、その町』 石野重道 1923★
     →佐藤春夫門下、稲垣足穂の、フォロワーというよりは盟友、というか関西学院中学部の学友会誌で名を連ねているというから、影響し合った先輩後輩なんだろう。
    二十年も足穂ファンをしていると、足穂を唯一無二の存在のように思いがちだが、最近俄かに解像度が増してきた。
    例えば、若き日の足穂、実は新感覚派の流れにあって、当時のテクノロジーや都市化の影響で創作を始めたこと、とか、もろに流行りだったダダや未来派の影響もろかぶりであること、とか、龍膽寺雄(VS川端康成)とは別の形で中央文壇から疎外されたんだろうな、とか、老いてのち川端の弟子的存在たる三島由紀夫からフックアップされた因縁、とか、いろいろ。
    しかし足穂=唯一無二という固定観念を、本作がガラガラと崩してくれた。
    ありがたい。
    誰もが誰かの影響を受けなければ成立しないのだ。
    この辺を知りたくて「一九二〇年代モダニズム詩集 稲垣足穂と竹中郁その周辺」を、今後読むつもり。

    ■『物質の彈道』 岡田三郎 1930
     →いかにも足穂っぽいタイトルだが、ベクトルはむしろ通俗小説。
    個人的には大したことないなと思うが、wikipediaによれば21歳から47歳まで単行本を刊行し続けている、それもマイナーな版元から。
    30年弱書き続けるだけでも偉いものだ。
    ところで、顔、超イケメン。
    wikipediaにいわく、〈彫りの深い美貌で知られ、当時フランス女性に日本人で本当に人気があったのは東郷青児と岡田三郎だけだと謳われた。〉

    ■『ムウヴイ・フアン』 福井一 1925
     →確かに終盤の一文でグラッとくる。

    ■『アスファルトを往く』 片岡鐵兵 1930
     →カメラを抱えて街路を走った映像をさらに高速度で。
    1924年、川端康成、横光利一らと「文藝時代」を創刊。
    小山力也いわく新感覚派は、消えたというよりは各方面に分散したというが、本作はプロレタリア方面への派生。
    戦争協力し1944年12月25日に肝硬変で急死というのも、なんだか時代と格闘した悲劇の痕跡っぽい。

    ■『喜劇』 石濱金作 1926★
     →上記片岡鉄兵と比べると、大変ふんわりとゆとりがあって滋味深い。
    編者がいうように、視点人物がどれだけ不如意で不遇でも、このほんわかした奥さんがいれば大丈夫だろうと思える安心感がある。
    このアンソロジーの中で一番ほっとできる人。
    川端康成「少年」で知った、「うみなりブログ。」のなるみさんの推し作家。

    ■『東京一九三〇年物語』 窪川いね子(佐多稲子) 1930
     →集中力の欠如のためこの作品自体は読みこなせなかったが、佐多稲子の人生の凄まじさには圧倒させられる。
    願わくは押井守脚本・沖浦啓之監督「人狼JIN-ROH」とか「腹腹時計の少女」のようにならないことを。

    ■編者解説 小山力也

  • 京都府立大学附属図書館OPAC↓
    https://opacs.pref.kyoto.lg.jp/opac/volume/1279521?locate=ja&target=l?

  • 大正から昭和初期にかけての川端康成や横光利一で知られる新感覚派や新興芸術派と呼ばれる作家の短編小説を集めた文庫オリジナルのアンソロジー。
    何故か川端康成を少し読んだくらいで横光利一に至っては一冊も読んだことがなく、新感覚派何それ?って感じで読み始めたのだが、これが大層面白かった。
    巻頭の藤澤恒夫の「首」や横光利一の「高架線」も良かったけど、一番は今東光の「軍艦」。今東光も小説をちゃんと読んだのはこれが初めてだったが、こういう書0小説を書く人だったのかと驚いた。横光利一と今東光はちゃんと読んだ方が良いなと反省した。

  • 1920年代に同人雑誌「文藝時代」に集った作家たち中心に編まれたアンソロジー。電車・工場地帯・活動写真・軍艦・カフェ・ジャズといった当時の風俗。その煌びやかと舞台裏の壮絶な光景が両面から描かれています。新感覚派はプロレタリア文学界と対立的な立場にあったようですが、人々の劣悪な労働環境と彼等の抵抗運動も克明に書き込まれています。硫黄採掘所の監督をしていた男と少女の、災禍での束の間のすれ違い『黒猫』(龍膽寺雄)、幻のような都会で行われるお洒落で残酷な男女の駆け引き『橋』(池谷信三郎)が特に印象に残りました。

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