- Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480863171
作品紹介・あらすじ
捕らわれていた幻に亀裂が入ったら、一度すべてを壊してしまえばいい。自分の生命の奥底にある「リアル」を、この現実世界の中で再生させることで、もはや幻想を必要としない自分を見いだせる。女たちはもっと「心地よく」「楽に」生きることに貪欲だから、そう思うのである。なぜ、日本のオヤジたちは、自分を上手に癒せないのか?援助交際で女の子を買う同じ世代が「将来、母となる少女を守れ」と聖少女幻想を振りかざして怒っている。外部からの幻想を注入され続けて来た男たちが、「自尊心」のリニューアルをはかるのは、膨大なエネルギーを必要とする。
感想・レビュー・書評
-
私が今考えていることがらみ
明確に進んだという感覚はなかったが、
十分に有意義な読書だった
面白いのは、女性からの視点というところ
どうしても私が何かを考える際は
無意識のうちに男性視点をもってしまっていると思う
こうして女性視点の本を読んでいくjことで男性視点の呪縛から逃げられるんじゃないかなあ
この著者が女性視点として一般的か、異質かはわからないけど詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
<少女幻想と聖母幻想>
男性の理想の女性は、少女幻想と聖母幻想にスプリットしている。
少女幻想はアニメで言うと、ナウシカなど、精神的な「清さ」と肉体的な「おかず」が同居したもの。
少女幻想に取りつかれ、女子高生を買春する側には罪の意識は低く、売春する女子高生側にも「お金さえあれば」という合理性が見られる。
エリートであるほど変態だったりロリコン志向が見られる。
この根にあるのは、「稼いでくれば文句ないだろう」という父親の暴君的な態度や、それに応じながらも納得していない母親など、家庭内の殺伐とした関係性が問題である。
聖母幻想は戦っている自分をひたすら支えてくれる妻ではなく「母」。
その重荷が限界を超えると妻は「離婚」を考え始める。不倫に走る場合も多いが、それは離婚に至るまえのジャンピングボードにすぎないことも多い。
だが、そういう「幻想」から女性たちは降りようとしている。
降りた先は「友達夫婦」。結婚することで人生のステージアップよりも、気楽な関係を求める。いわく「恋は冷めても友情は残る」。
一方で、ペットを飼いながら、彼氏はまいにちの電話ぐらい。「今」を犠牲にして、「未来」にかけるという感覚は希薄。
<東電OLの悲劇>
1981年より、男女雇用機会均等法ができたが、実際には男尊女卑は厳然として存在した。女性がどんなに優秀であっても、男性たちが依存した「会社共同体」や「肩書き」には同化できず、かといって、自らのセクシュアリティも切り捨てられない。
心の空白を埋めるために性を売っていたのではないか。
-
援助交際のルポ。
買う男への視点、男たちの寂しさがよく描かれていると思う。 -
2005/09/30