若き日の哀しみ (海外文学セレクション)

  • 東京創元社
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感想 : 9
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  • Amazon.co.jp ・本 (167ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784488016074

感想・レビュー・書評

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  • 幼い頃過ごした街を訪れる。
    そんなシーンから始まる連作短編集で、ひとつずつはとても短い。
    しかし、彼の記憶の中に惹き込むその力は実に見事で、しみじみと寂しく心に染みてくる。
    どれも、決してありきたりの話ではない。
    そもそも、ユーゴスラビアという国が1929年から2003年まで確かに存在したことを、どれだけの人が記憶にとどめているだろうか。
    世界地図を広げて、ここだよと正確に指差せるだろうか。
    戦争が繰り返されたバルカン半島の歴史と、ナチスドイツと手をくんだハンガリーによる侵略。
    そんな時代に少年期を過ごしたダニロ・キシュは、「少年時代は幻想だった」と語る。

    マロニエの実、菫色の瓶、林檎の木、セレナードをささげられる乙女、サーカス団がいた気配、野生の白ツメクサの香り。
    少年の言葉を理解する犬ディンゴ。この犬との別れは、ファンタジックに描かれていながらキシュ自身の父親との別れと重ねられている。
    抒情豊かな描写で深い余韻に浸っていると、晩秋の少し冷たい風に吹かれているかのようで、祖国を失った経験のない自分でさえも、郷愁というものに浸ってしまう。
    戦争も強制収容所も貧困も、暴力的なシーンは一切描かれていない。
    二度と戻らない甘酸っぱい思い出を書き尽くしているのに、じわじわと行間から哀しみが染み出してくるのだ。
    何度も読み返したい、美しい傑作。
    創元ライブラリの方は表紙画像が出るが、こちらの【海外ベストセレクション】の方は出てこないのが惜しい。
    不安げに佇む少年が描かれていて、こちらを見つめる瞳が心に焼きつく。

  • 著者のダニロ・キシュは旧ユーゴスラビアの作家です。
    第二次世界大戦中に少年時代を送りました。
    ユダヤ人の父は強制収容所に送られ、還らぬ人となりました。
    本作は、キシュの子供時代の体験が元になっています。
    ただし、戦争体験は直接的には言及されません。
    ですから、表面的には戦争につきものの悲壮感といったものは影を潜めています。
    これは著者が意図的にそうしているそうですが、まるで映画のように映像を繋いでいき、悲壮感を和らげるよう努めているそう。
    しかし、いや、だからこそ、というべきでしょう、作品は全篇通じて独特の哀感に満ち、読者を深い感動へと誘います。
    この際だから言いたいのですが、作者が読者を悲しませようと力を入れれば入れるほど、読者は引いてしまいます。
    哀しい話は朗らかに、逆に明るい話は陰鬱に書くと、ひねくれ者の私なんかはハッとして手もなく騙されてしまいますので、そこらへんヨロシク。
    で、本作に戻ると、戦争にまつわる、いわゆるところの珠玉の短篇ばかりなのですが、中でも「少年と犬」が実にいい。
    主人公の少年アンドレアス・サム(アンディ)が愛犬ディンゴと別れることになるのですが、もう、その設定だけで眼が潤んでしまいます。
    ただ、それをやはりお涙ちょうだいにせず、ある意味では淡々とつづっているのがいい。
    特に、後半を手紙形式にして締めくくったのが、ここでは抜群の効果を生んでいます。
    ええ、泣きました、しかも号泣に近いくらい。
    30年間に読んだ、恐らく1千数百篇の短篇の中でも間違いなく5本の指に入ります。
    本書の帯にもありますが、本作を全部読まなくてもいいから、この「少年と犬」だけはぜっひ読んでいただきたい。
    文章も抜群にうまいです。
    決して感傷的ではありませんが、詩情豊かでうっとりすること請け合い。
    比喩もさりげないですが、それだけに心憎い。
    たとえば、本作の中ほどにある短篇「馬」。
    家畜小屋の中で馬のサルタンがわき腹を下にして薄く敷いたおが屑に横たわっていました。
    兵隊が馬の尻を叩き、「頑張るんだ、サルタン」と呼び掛けます。
    それでも、サルタンは体を硬直させて横たわったまま。
    その際の比喩が―
    「サルタンは体を硬直させて横たわっていた。倒れた記念碑のように。」
    これはなかなか出ない。
    「倒れた石碑」なら、奇跡的に出るかもしれません。
    でも、「倒れた記念碑」は出ない。
    同じく「馬」からですが、兵隊たちが死んだ馬をソリに乗せて墓場へ行く場面もいいですね。
    「兵隊たちは死肉を橇(そり)に積み、馬の墓場へ引いていく。橇を引くのは老いぼれ馬で、じきに自分も墓場へ行くことが目に見えていた。橇の後を見送って悲しい心のひとりの少年(アンディという名の)と、ディンゴと呼ばれる一匹の犬の足跡が続いていった」
    凡百の作家なら、「アンディとディンゴがついていった」、あるいはちょっと描写も加えて「アンディとディンゴがとぼとぼとついていった」などと書くでしょう。
    キシュは、たとえ主人公の言動であっても直接は書かずに、「足跡が続く」と描写することで、何とも云えない情趣を生んでいます。
    ほんと随所にこんな描写があるのだから、誠に至福。
    小説を読む悦びにずっと浸っていられます。
    ちなみに本作を手に取ったのは、たまに聴いているFMラジオAIR-G‘の「パナソニックメロディアスライブラリー」で、作家の小川洋子さんが紹介していたから。
    しかも、番組開始以来10年間で取り上げた505冊のうちのベスト3の1冊(!)。
    あと2冊(藤原てい「流れる星は生きている」、アゴタ・クリストフ「悪童日記」)は既に読了済みで書棚に保管してますが、本作は未読でした。
    これは読まねばと、直ちに図書館に借りに行って読んだ次第。
    大収穫でした。
    ええ、読了後、アマゾンで注文しましたとも。
    届いたら再読します。
    繰り返します、「少年と犬」は絶対におススメですよー。

  • 近所でなかなか探せなくて、図書館本です。「柴田(元幸)商店取り扱い」という情報だけで、いつものようにいきなりトライしました(笑)。

    著者キシュの分身と思われる人物の、幼き、あるいは若き日の小さなひとこまひとこま。美しい表現がちりばめられた繊細な物語集です。柴田さんご紹介の章『秋が来て、風が吹きはじめると』の冒頭で描かれる、マロニエの実が熟して落ちる瞬間の、細やかで詩的な表現には心奪われますー。この寂しさをたたえて乾いた輝きは、日本では絶対描けない空気感(と思う)。

    愛らしい描写も多々ありますが、キシュの生きた時代を反映した描写や暗示に、「あっ、そういうことかも…」と、その意味に気づいて切なくなる場面が多いように思いました。そういう意味では、ぬるいノスタルジアなんて足元にもおよばないかも。それに、ルーツの問題も影を落としています。たとえば『遊び』では、少年がひとりで物売りの遊びをする場面を見てしまい、ぞっとする両親に、「これって、恐れるほどの業(みたいなもの、と思う)なんだ…」と呆然としたり。

    どの章も甲乙つけがたいのですが、あえて好みをいうなら『秋が来て、―』『マロニエの通り』『セレナード、アンナのために』が同率ベスト3。全編通じて最後の数行が美しくも切ないのですが、この3つのラストは格別!『きのこの話』も捨てがたいです。オチはあまりにも…ですけど。

    残酷な哀しみも美しさでくるんで、やわらかく読ませる文章が素晴らしいです。これがセルボ=クロアート語の感性なのかしら?訳も流れるごと美しく、いいものに出会えた…と思う本でした。-

    ----[2009.5.19 未読リストアップ時のコメント]-----

    柴田元幸さんの『舶来文学 柴田商店』で紹介されていた抜粋を読んだ際、あまりの描写の美しさに心奪われた作品です(旧ユーゴの作家さんだったと思うので、訳は柴田さんではない)。キシュのような中欧・東欧の作家の作品は、美しさに哀調が加わってまた味わい深くて…。しばらく忘れていたのですが、『本の雑誌』6月号特集にほんのちょっと出てきたので、思い出してお取り置きです。

  • ユーゴスラビアでの子供時代をメモで綴ったような連作短編集.困難な時代を牧歌的なそれでいて深い人間観察を併せ持った子供視点の文章で風景描写のようにその時代を描いている.その語られる風景の背景に潜む感情のほとばしりのようなものが溢れてなんとも言えない.特に「少年と犬」には言葉もなかった.

  • どこか幻想文学っぽいんだけども、自叙伝、とのことで・・・。
    不思議な雰囲気だったな・・・。

  • 日本経済新聞、2011年1月16日(日)、文化欄、山崎佳代子、言葉という運命

  • [ 内容 ]
    ダニロ・キシュの美しい連作短編。

    [ 目次 ]
    秋になって、風が吹きはじめると
    マロニエの通り
    遊び
    略奪
    顔が赤くなる話
    セレナード、アンナのために
    野原、秋
    婚約者
    陽の当たる城
    野原〔ほか〕

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    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • かなり前に読みましたが、すごく感動した覚えがあります。
    また読みたい気がする。

  • 青春って、いつのことだったんだろう・・・。

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著者プロフィール

一九三五年、セルビア北部の町スボティツァで、ユダヤ人の父とモンテネグロ人の母のあいだに生まれる。父は一九四四年にアウシュヴィッツの強制収容所に送られて、消息を絶っている。第二次大戦後、母の故郷のツェティニェに移住。ベオグラード大学文学部へ進学し、修士課程修了後はフランス各地の大学でセルビア・クロアチア語の講師をしながら小説を執筆した。本書『砂時計』をはじめ『ボリス・ダヴィドヴィチの墓』、『死者の百科事典』など主要作品のほとんどは英語、仏語、独語はもちろん、世界各国の言語に翻訳されている。一九八九年十月十五日、パリで死去。

「2007年 『砂時計』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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