身体が「ノー」と言うとき

  • 日本教文社
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  • Amazon.co.jp ・本 (434ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784531081479

作品紹介・あらすじ

「いやだ!」「ノー!」と言わなけれ
ば、結局、身体が代わりに「ノー」と
言い始めるだろう。無意識のうちに
抑圧された感情と、自己免疫疾患他、
様々な病気との関係を、患者への
インタビューを中心に解き明かす。

感想・レビュー・書評

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  • 抑圧の身体への影響について。とくに怒りの感情というか情動が起きるべき時に起きないことの害について。

    「闘争か逃走か反応」は現代では不要な「反応」であるとの認識はよく言われるように正しい、そうした反応を「無視」したり「感じなくなる」点については問題があると考えられる。怒りは、そうした怒りや恐れの感情を無視したり押さえ込んだり爆発させてたりした結果、身体に(文字通り)致命的な問題を発生させる。

    闘争か逃走か反応が不要なのに誤作動を起こしているために病気になるという不要説と、闘うことも逃げることも叶わないという環境の中で生きているために反応に対しての感受性が失われたという立場も存在し、本書ではおもに後者の立場を取っている。

    いくつかの病はそうしたストレスへの反応と密接な関係にある。他者に尽くしすぎたり自己犠牲が強すぎる傾向が幼少期から見られ、黙って人の言うことを聞く、他者を優先させるなどの強いストレスを継続して受けて続けているとホルモンの異常が発生して様々な病気になると考えられる。「癌になりやすい性格」は存在し、難病の患者には「感じの良さ」「いいひと」といった印象を周囲に与える「順応性のある人」が多い。自己と他者の感情的境界を持てない、他者の不安を自分のものとして取り込み、自分に不安を生み出す。

    また自身の健康に無関心で、感情表現に乏しいという特徴も持つ。

    人との力関係に左右されたり、罪の意識や愛情への上に動かされていたり、成功への渇望や上司に対する脅えや退屈への恐怖に突き動かされていたりするかぎり、人は自律的にはなれない。その理由は明白だ。何かに突き動かされているかぎり、自律はあり得ないからである。

    • workmaさん
      『自律』キーワードですね。
      『自律』キーワードですね。
      2022/03/04
  • 「健康は、からだと心と魂のつながりという
    3本の柱に支えられている」

    病気とココロの関係について
    いろんな人の事象が書いてある。

    あ、そうだなと自分に当てはまるものや
    周りの人と一致するなと思うものがあり
    納得する。

    怒りを感じていることは認識するが
    外に出すことは抑えようと思う。
    そのうち怒りの感情に無自覚になってきている
    のではないかな。
    ポジティブで明るくしている人の方が
    病気になったりする。
    それだけ自分の中のネガティブな部分の
    裏返しなんだけど。
    どっちも自分だということは間違いないね。

  • 病は気から……という。
    それは気が弛んでいるから病に冒されるといった精神論では勿論ない。
    頭が「ノー」と拒絶の声をあげたくともあげられない、
    或いはあげようともしない時、心身一体という言葉の通り、身体が「ノー」というのだ。

    <blockquote><b>ストレス要因になるのは他者の期待や意図そのものではなく、私たち自身がそれらを感じることなのである。</b></blockquote>

    何故、病状が現れたのか。
    身体はその症状によってシグナルを発していてくれているのである。

    <blockquote>世間にはポジティブ思考が氾濫している。しかし、現実を直視することを恐れて目を閉じる見せかけのポジティブ思考では問題は解決しない。自分の人生におけるネガティブな面を直視することから治癒への道は始まる、というのである。</blockquote>

    あとは、直視して気がつくかどうかだけだ。

  • 『身体が「ノー」というとき』
    副題は「抑圧された感情の代価」です。

    この本を一言でいうならば
    科学的仏教本であるとお思います。 ←わぁ乱暴なw


    作者のガボール・マテ博士は
    一般開業医および緩和ケア病棟の医師として
    四半世紀に及ぶ経験がある
    いわゆる臨床バリバリの専門家です。

    博士はその経験のなかで
    自己免疫疾患
    (リウマチ、ALS、アルツハイマー病、ガンetc・・・・・)などの
    深刻な疾患の患者に
    ある共通点が見られることに気がつきます。

    疾患にかかった著名人の
    幼少期からの心の軌跡をたどるとともに
    自らが出会った患者たちの、それまでの人生について
    直接のインタビュー、カウンセリングを行い

    彼らの歩んできた人生と感じ方が
    その病に、無関係ではないと明らかにしていきます。


    幼少期の抑圧が知らずに思考のクセになり
    それを人は抱えていく。
    それがストレスに成るとも気がつかない

    親の因果が子に報い。
    すべての事には理由があるのだ。

    「感情の抑圧が身体へ影響を与えること」
    これを知るだけではなく
    【私の感情】は何を抑圧しているのか
    どう影響をしているのか?


    それは結局
    どう生きるかという
    問題そのものなのである。と感じました。

  • 主にがん患者向けの内容が多い。
    心理学的にも医学的にもはてなな部分はあったので、
    本当に失礼なことを言わせて貰えば、前半は退屈だった。
    でも最後半から始まる認容プロセスは面白かった。
    あと、「怒り」に関するくだりも面白い。
    著者によると、普段よく目にする泣いたり叫んだり叩いたりする
    「怒り」は「怒り」ではない、という。
    では一体なんなのか。
    本物の怒りとはどういったものなのか、という記述を読むと
    確かに外見上判別可能な怒りというのは
    単に、「「怒り」を爆発させた」、という行為に過ぎないという意見も最もに思える。
    この話が腑に落ちると、自然と怒りと怒りの爆発の峻別がつきやすく、
    爆発させるかさせないかという自由が得られる。
    一般的には歯を食いしばり我慢しろとか怒りを堪えろ、などと言われるが
    自分自身の(著者のいう本当の)怒りをある程度正確に把握できるなら
    それは単に牛丼を選ぶかカツ丼を選ぶか程度のもので、
    自分が怒りというものに対してどれくらい無頓着だったのかがよく分かる。
    コントロールできない、ということに人は結構不満を感じる。
    だから怒ったり叫んだりするわけだが、
    本当に事態を制御下におきたいのであれば
    ある程度年齢を重ねた場合たいていの場合は怒る以外の方法をとった方が良い場合が多く、
    そうした選択が特に苦もなく後悔もなくできるのであれば大きな利益であるようにも思う。

  • 勝間和代氏のあとがきで読んでみた本。

    帯に書かれている
    ──「いやだ!」「ノー!」と言わなければ、結局、私たちの身体が、わたしたちの代わりに「ノー」といい始めるだろう──
    そのとおりののことが書いてあるんだけど……心が弱っている時に読む本じゃないなと思う。厳しい。耳が痛い。

    しかしながら作者の優しい視点で救われる本でもある。
    厳しいけれど、読後感はさわやか。

  • ノーと言うことを学ぶ機会を与えられずにいると、ついには私達のからだが、私達の代わりにノーと唱えることになるだろう。

    子供時代の条件づけのせいで慢性的な厳しいストレスにさらされ、必要な「闘争か逃走」反応を起こす能力を損なわれる。根本的な問題は闘争あるいは逃走するという正常な反応を妨げる無力感、環境によって否応なく身につけさせられた無力感なのである。その結果生じた精神的ストレスは抑圧され、したがって本人も気づかない。ついには自分の欲求が満たされないkとも、他社の欲求を満たさざるを得ないことも、もはやストレスとは感じられなくなる。それが普通の状態になり、そうなればその人にはもはや戦うすべがない。

    心のなかに生じたストレスに幼い頃から慣れてしまった人々は、ストレスがないと不安になり、退屈で生きる意味がないような気がしてくる。このような人にとってストレスは望ましいものであり、なくなっては困るものなのである。

    感情が欠如した子供時代を送っていては、強固な自我意識は育たない。そして自我意識の弱い人には、しばしば他社との不健全な融合が起こる。

    怒りの抑圧は、それによって生理学的ストレスにさらされる度合いが高まるという現実的な理由で、がんのリスクを高める。ストレスとはその人が直接気づいているかどうかに関わらず、肉体的または精神的な脅威を受けた際の生理的反応である。

    彼女が知的に早熟だったのは、周囲から精神的な支えを得られないときに、聡明で感受性の鋭い子供に起こりがちな現象。そうした子供は、知性を発達させることで自分の支えとするのです。だから彼らは知的に早熟で大人の気持ちを理解する能力を身につけるのです。そういう子はしっかりして見えるものですが、自分の感情面を振り返って見れば、ずっと大人になれないでいます。

  • 精神的な慢性のストレスが免疫性の疾患を引き起こす、という話。「精神的な」「慢性の」ストレスというのは、いわゆるエリクソンの言う基本的信頼感を獲得できなかったことが原因で、自分の感情を抑圧してしまって自分で感じられないとか、自分と他者との境界が健全でないとか、そういう状態にあることを言ってるみたい。
    ALSなどは、医療関係者の間で「あの人はいい人だからALSになったのよ」などと言われることがあるそうで、ある種の疾患の発症がストレスと関係があるんじゃないか、というのは彼らの間に広くある認識みたいなのだけれど、科学的にきちんと証明されているわけではない。けれども、それを疑わせる研究はいくつもあるそうで、そういう研究を引いてきては、「そうに違いない、そうとしか考えられないじゃない」という調子で話が進むので、さすがに医者がこんなに感覚的な根拠で本を書くのもいかがなものか、としきりに思った。
    「精神的な」「慢性の」ストレスといってもいろんな種類があるだろうに、上に書いたようなものだけを取り上げて疾患との関係を云々するのがいかがわしい。

  • 図書館で返却コーナーにあり、自分は病気ではないけれど、なんとなく手にとった一冊。
    読まないまま返却期限が来て、ぱらぱらと目を通したら、すごく興味深い内容で延長して借りた。
    付箋の数は50個以上。
    マインドマップは三ページぎっしり。(決して良いことではないけれど)

    自分自身のこと、子育てのこと……。
    自分もこどもも、病気になる前に読めて本当によかった。
    皆に勧めたい。

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著者プロフィール

バンクーバー在住の医師。注意欠陥多動性障害をテーマにしたベストセラー『ばらばらの心 Scattered Mind』の著者。ほかにゴードン・ノイフェルトとの共著による『子供を離さないで:どうして親が重要なのか Hold on to Your Kids: Why Parents Matter』がある。開業医を20年以上を続け、緩和ケア専門医で心理セラピストでもある。バンクーバーのダウンタウン・イーストサイドにある路上生活者施設の医療スタッフも務める。また、『バンクーバー・サン』紙と『ザ・グローブ・アンド・メイル』紙に長年コラムを書いている。

「2005年 『身体が「ノー」と言うとき』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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