限界集落: 吾の村なれば

著者 :
  • 日経BPマーケティング(日本経済新聞出版
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感想 : 15
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  • Amazon.co.jp ・本 (358ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784532167394

作品紹介・あらすじ

全国の山間部・島しょ部でいま65歳以上のお年寄りが半数を超える集落約7900。防災、教育、医療、公共交通の機能が損なわれ、農林業は廃れ、里が荒れている。菊池寛賞受賞のテレビ報道記者が岡山・鳥取県境の過疎の集落を3年間密着取材。たくましく生きる人たちを通して日本人の"心の過疎"に迫る渾身の力作ノンフィクション。

感想・レビュー・書評

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  • 今まで日本の基盤農業、林業、家畜などが盛んであった村が高齢化により、村の存続ができない状態にある。これからの高齢化社会を考えるとあくまでも一部の問題点が浮き彫りになったに過ぎず、今後は徐々に都市部へも侵食する問題だと感じた。環境問題も同様であるが、将来の日本の社会のために解決に取り組むべきだと感じる。その中で、今地方、田舎暮らしでの新しい幸せをさがす動きが若い世代で見られる。都市と地方との対極の幸福感の融合、政府を頼るだけでなく、自らのチカラで世の中を変えていく動きが必要であると感じた。

  • 長年の限界集落への取材を基に、主に3つの集落についてまとめたもの。労作だとは思うが、あまり得るものはなかったとの読後感。限界集落の厳しさや、高齢者の寂しさ、また、ピオーネ農家のように頑張っている人々は、今までも何度かテレビで見たことがあり、特段新鮮みはなかった。また、「おわりに」における著者のコメントは、あまりに狭視的な意見で全く賛同できない。そもそも我々は豊かさを求め自由主義市場経済、資本主義と民主主義を選択したのであって、今更、負け組である限界集落住民に対する助成や支援を大声で叫ぶのはおかしい。厳しい言い方かもしれないが、今まで市場経済に反し巨額の財政支援を農業にしてきたのが誤りであって、今日まで生かしてもらってきたのは、都会の人々が世界との競争に勝って稼いだおかげであることがわかっていない。日本の農業は、ぬるま湯につかっている間に競争力を失っていったこともある。今までがおかしかったことを認識すべき。また、現財政難の状況から、今後も限界集落への新たな支援は考えられないだろう。悲しいが、我々が選択した自由主義市場経済とは、そういうものだ。

  • 「産業のないところに人は住めん。」とある住民のこの発言が全てを物語るのではないだろうか。本書で紹介する肉牛飼育然り、ぶどう作りまた然りである。現在はいわゆる過疎地域のみで限界集落が語られるが、実は高齢化が進む都市部も同様の問題に直面していると思う。さらに付言すれば、日本全体として産業を生み出せているか。実は根の深い日本全体の問題を本書は提起している気がしてならない。

  • 2017年1月25日読了

  • 日本の農業や過疎地域の状況を難しい内容ではなく、分かりやすく書かれている点ですばらしいと思う。
    現実派こんなに簡単にうまくいくことはないと思うが・・・

  • 防災も、教育も、医療も、交通も、多くの社会的機能が損なわれつつある「限界集落」。地域の歴史文化を、コミュニティーの結節点に、とふだん僕は思っているのだけど、「限界集落」にそのことがどのように役立つのか。考え込んでしまう。

  • ジャーナリズムの切り込み方だとこうなるんだな。強みがある。

  • 20101103

  • 限界集落でのくらし。
    稲作、酪農。
    若い人に残ってもらいたいけど
    自分の子供には残ってもらいたくない。

  • ハンズオン!埼玉の西川さんが実家に戻ったときに図書館で借りて読んだそうで、私も図書館から借りてきて読んでみた。西川さんのうまれ故郷もそうだが、「中山間地域(ちゅうさんかんちいき)」、都市でも平地でもないところの話である。日本の7割は、この中山間地域。多くの場合、そこは過疎の村で、高齢化率はひじょうに高く、学校が閉じられていっている。

    「心の過疎」の話が、ぐぐぐっときた。「何もない」と言い、子どもらに帰ってくるなと言い、住んでいる場所に誇りをもてない心。

    中山間地域の疲弊の現状を、作野広和さん(島根大教育学部)はこう表現する。
    ▼「人の空洞化」→「土地の空洞化」→「ムラの空洞化」→「ムラの消滅」(p.206)

    つまりは、過疎化→耕作放棄→社会的空白地域→人工空白地域という形だ。これに対応するとしてとられてきた政治行政は、過疎対策、直接支払いや集落営農、福祉や交通、すべては対症療法の対策だった。

    作野さんの言葉
    ▼「もちろん、産業構造とか地域構造の変化とか、それが引き金です。しかし問題は何か? 過疎地域や中山間地域の本質的な問題は何かというと、『心の過疎』ではないかと。つまり、その地域に住むことの誇りを失っていることが大きい。中山間地域に行くと、おじいさんがワシの地域は何もないと自信を持っておっしゃる。都会の人が行って『すごいですね』と言っても、地域の人は『だめなんだ』とおっしゃる。だったら自己否定していることになる」(pp.206-207)

    ▼「お金は儲からないより、儲かったほうがいい、人口は少ないより多いほうがいいという価値観を誰もがかなりの割合で共有している。学生にどこ出身? と聞くと、大阪、広島など都会出身者は勝ち誇ったように言うが、田舎出身の学生は『いや先生は知らないところだから』とごまかしてしまう。『都会は○』で『田舎は×』という価値観を国民すべてが共有してしまっている。これを、逆転しないとというか、逆に持ってくるというのが、みなさんリーダーのやるべきことですよ」(p.209)

    これは、岡山県が知事の肝煎りでスタートさせた「中山間地域対策本部」で、九地区の代表が参加するリーダー育成講座での作野さんの発言。

    岡山の端で「蔓牛(つるうし)」の復活に人生をかける平田さんの話には、この本とはちょっとずれるけど、口蹄疫でほとんどの牛を殺さなければならなかった畜産農家の人たちのことが、わけても「種牛」の公益性をうったえて"公平に殺処分に応じよ"と言われていた農家の人のことが思い出された。

    ピオーネ栽培を地域の産業にと苦労し、新規就農の若い人を迎え入れてきた村、そして移住して就農した若い人たちの話は、限界への挑戦の姿はどうありうるんやろうと思ったし、一方で、子どもの少なくなった学校が次々と閉じられていくのが、子どもたちの発達のためだ、教育上の観点から規模の大きな学校で学んだほうがいいのだというものの、なんとかならないのかと思った。

    校長を務めた学校の閉校式をもって定年退職する、ある先生の話。
    ▼「学校がなくなった村がね、これからどんどん寂れていくだろうと思います。人が住まなくなる.少なくとも子どもたちを持つ若い夫婦はね、町に住むようになる。…学校のあるところへ行って住むしかないよねと思います。なんとかならないかと、いまこうなって初めて取り組むんじゃなくて、だいぶ前からわかっていたと思いますよ。昭和三十年代後半、高度経済成長のころからね。政治をする人や研究者とか、日本の人口の移り変わりの予測ができていたと思うんですが、やはり積極的に国としてはしなかったんでしょうね」(p.197)

    この校長先生が、統合先の遠い学校へ通うようになる子どもたちに語る言葉がいいなあと思った。
    ▼「他から来たというのではなく、自分の学校として神郷地区の学校として、母校として親しみと愛着を持ってほしいと思います。父母にも遠く離れたよその学校と思わずに運動会にも行ってほしいし、学芸会にも行ってほしいし、旧神郷町にある唯一の学校として愛してほしい」(pp.197-198)

    私自身は、つくられた町・千里ニュータウンで生まれ育ち、「中山間地域」には住んだことがなく、たとえば西川さんの実家付近の風景を思い浮かべたり、この本で語られる地域のことを読んで想像するだけだが、「学校」についてはわかるなあと思うところもある。

    私が1年から5年まで通った、かつて住んでいた団地のすぐ前にあった小学校は、昨春とうとう廃校になった。たまたま親が引っ越しをして、卒業したのは同じ市内の別の学校だったけれど、5年間すごし、学童にも通い、隣には通っていた保育園もあった学校が、もう今はない。

    ニュータウンも、いつしか「オールドタウン」と呼ばれるようになり、子どもは減り、高齢化率はずいぶん上がっているという。「限界集落」は、なにも中山間地域だけの心配ごとではなくて、たぶん町の中にもあらわれる。

    どうやって暮らしていくか、どうやって生計をたて、人とつきあい、地域の関係をつないでいくか。そういうことのいろいろを、ほぼずっと町に住んできた自分としてもぐるぐる考える本だった。

    こないだ読んだ『どんぐりのリボン』の初版はほぼ20年前で、その頃はまだ兵庫の奥の「夢野町」も、限界集落とまではなってなかったんやろうなあとも思った。

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