- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784532264673
作品紹介・あらすじ
先人たちはどのように日本の国土を認識していたのか。古代にはなぜ、しばしば宮都の位置が遷されたのか。なぜある時代には山中に、あるときは平地に築かれたのか。どのように城下町が形成され、都市が発達していったのか。さまざまな地図を読み取り、地形を読み取ることで、歴史の底流に迫る。
感想・レビュー・書評
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歴史地理学の入門書第2弾。
地理や地形から歴史を見ようとする内容の書としてはかなり本格的な一冊でした。前著より先にこちらを読んでしまったことを少し後悔しています。
日本の古地図の歴史を見ながら、日本人や外国人が日本をどのようにとらえようとしていたか、という所から始まり、過去の遷都の歴史とそれにまつわる背景、特に交通の発展や外交関係などを振り返り、解き明かしていったり、武士の拠点である城の立地の変遷を見ながらその意義がどのように変わっていくか、というかなり詳細の内容でした。
これまでの歴史とは違った視点で見ることができ、かなり考えさせられる内容でした。
▼大阪平野南部や奈良盆地に緒宮を構えた天皇は、ほかに少なくとも何らかの拠点を難波に構えていた可能性があろう。
仁藤敦史は、「倭京」(飛鳥緒宮)を政権の「分節的」な中枢、難波の緒宮を外交儀礼優先の施設とみている。分節的な中枢とは、簡略に表現すれば後の都城のように中枢機能の全体を集中していない状況である。
▼大きな同行の一つは、天武・持統両天皇の飛鳥の緒「宮」から藤原「京」への遷都であり、散財的な中枢の克服を目指すものだった。この方向性は、元明天皇による、奈良盆地北部の平城京の造営・遷都として再現され、集中的な中枢が完成したとみられよう。
▼城下にとって、領国支配のための家臣団の侍屋敷が重要な部分だったが、それと同時に領国経営には、城下に経済的な書くとしての機能も要請された。
そのため近世の城下は、先に紹介したすべての場合に、外堀の内外に主要街道が引き込まれていた。その街道沿い、およびそれと連なる街路沿いに、町屋地区が配置されているのが普通だった。町屋地区に居住するのは、家臣団とは異なって商人と職人だった。
▼城や城下の囲郭、それと侍屋敷位置関係といった構造は、直接的に領国の支配・経営の構造に結びつくだろう。それと同時に、城下と街道の位置や、街道と街路との結びつきは、領国経済とのかかわりに直結したとみられる。街道と街路は、都市としての城下に最も大きく作用しただろう。
<目次>
第1章 国土をどのように認識してきたのかー日本図を読む第2章 宮や都を遷したのはなぜか
第3章 古代・中世の山城と平地の居館
第4章 城はなぜ山から平地に移動したのか
第5章 都市はどのように交通と結びついていたか詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
<目次>
第1章 国土をどのように認識してきたのか~日本図を読む
第2章 宮や都を遷したのはなぜか
第3章 古代・中世の山城と平地の居館
第4章 城はなぜ山から平地に移動したのか
第5章 都市はどのように交通と結びついていたのか
<内容>
金田先生の歴史地理学第2弾。分かってきたことをきちんといわれてもな、という感じ。地図を使いながらの説明なので、まあわかるが…。第5章の交通の話が、港湾を中心としたもので、少し面白かった。 -
平安京までの朝廷の拠点の変遷や、戦国時代の城下町の種別の話がメイン。ちょっとタイトル詐欺かもしれないが、特に朝廷の動きは面白く読める。戦国時代部分は列挙感が強くて退屈な印象
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斬新な視点がなかったのと、時系列に沿った記述(かつ、飛鳥〜奈良時代が長い!)ので少し退屈。
専門とされる時代のせいか、水運や防衛といったテーマに偏っており、宗教や資源といった多様な切り口に欠けるのも寂しいところ。 -
都、城、町が築かれた地理的要因にフォーカスするも、特に目新しさはなく、一応纏まっているが、それだけという内容。
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期待外れの一冊だった。
他の方も書いているように地図が掲載されてるが
小さいのでよく分からない。
また文献の引用が多く分かりづらい。もう少し翻訳してもらいたかった。
その割には書いていることはあまり目新しくないように感じた。
川に近い所が中心になるっていうのは教科書にも書かれてるし… -
20220402読了
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地形も歴史も好きだが、この本には興味が持てず。地図が小さいので、老眼には厳しい。
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東2法経図・6F開架:B1/9/467/K