- Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
- / ISBN・EAN: 9784560080276
作品紹介・あらすじ
イラクの水上生活民の暮らしを描いた古典的名著!チグリス・ユーフラテス川の合流域にあった広大な湿地帯-。そこには、葦を束ねてつくった家屋に住み、カヌーを操り、魚やイノシシを獲って暮らす人々がいた。この地に長年滞在した英国随一の探検家が、豊かな自然と人々の生活を生き生きと描く。
感想・レビュー・書評
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1951年~1958年にイギリス人セシジャーがイラク湿地帯に断続的に滞在した記録。最長は7カ月滞在。1957年は行かなかった。湿地帯はチグリス川左岸の東部、ユーフラティス川と合流する中部、ユーフラティス川右岸の南部に分かれるが、セシジャーが滞在したのは主に中部であった。
まずはイノシシ狩りをやろうと誘われている。イノシシは泳ぎもうまいようだ。その後もイノシシ狩りをしている。また湿地民(マアダン)は魚は自分たちで食べるためにとっているが、魚を売る人を「ベルベラ」といって軽蔑している。出される食事は最初は米と羊。セシジャーは客なので食べるごとに羊を屠っているようだ。
著者ウィルフレッド・センンジャー(1910-2003)は外交官の父のもとにアディスアベバで生まれ9歳まで過ごす。オックスフォード大を卒業すると1935年にスーダン政庁に入りスーダンの砂漠と湿地帯に勤務し砂漠の虜になる。第二次境大戦ではスーダン防衛隊の士官や、英国情報部のシリア特殊部隊などにも所属。1943年に除隊後はエチオピアのハイレ・セラシエ皇帝の顧問となる。1945年~1949年、国連食糧農業機構が砂漠のいなご大群の被害実態を知るためアラビア半島の空白地帯の旅をする人を探している事を知り、その仕事を引き受ける。そのあと1950年、イラク南部を初めて訪れる。セシジャーが最後に湿地帯を訪れてから三週間後の1958年7月、民族主義者の陸軍将校らが率いる蜂起によって国王ファイサル二世が家族もろとも殺され英国大使館は暴徒に襲われた。その後二度とセシジャーはイラクに戻ることはなかった。(訳者あとがきより)
イラク研究者の酒井啓子氏が湿地民について、現在までの歴史的経緯を解説している。
2009.11.10発行 図書館 -
『私にとっては場所よりも人間の方が大事なので、アラブ人のところに戻ることにしたのである』(P.15)
『私はふたたびこうした生活に、単なる傍観者としてではなく、住民として浸りたいという熱い思いが込み上げてきた』(P.19)
『ピダハン』(ダニエル・L・エヴィレット著)に負けじとも劣らない、学術的にも文学的にも一読に値する珠玉の名作。
翻訳も安定しており、最後の1頁まで知的アドレナリンを喚起し続ける。
惜しむらくは、筆者が眺めた風景は筆者の著作でしか振り返ることが出来ないということだ。 -
今は亡きアラブ水上民を訪ねる話
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イラク南部湿地帯の部族民と過ごした体験記。現在は湿地帯の大半が破壊された。