童子考

著者 :
  • 白水社
4.67
  • (2)
  • (1)
  • (0)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 9
感想 : 1
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (189ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784560080788

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 郡司正勝による、童子を中心とした文化論。

     大きいもの、強いものを、一般にひとは美とするものだが(「美」という字は大きな羊のことである)、日本人はとかく小さいもの、弱いものに心惹かれる傾向がある。郡司氏はその小さいもの、弱いものの中でも特に「童子」というもののもつ神性や呪力について述べる。
     まずは、古くは小子部といって天皇の傍に使える童子を束ねる門部があり、古くから主たる存在に童子が付きそう習俗があったことを指摘する。

      童子が天皇の側近に仕えたのは、あたかも遊女に二人禿が伴った形でもあり、聖徳太子画像の二人の侍童のそれであった。(P23)

     思えば、日本において仏像が多く両側に脇仏を伴っていることもその一端かもしれない。脇仏は本尊よりも必ず小さく作られるものだ。その点で、その仏たちは人間の形づくるトリオとは明らかに違う。「ふたりの小さい従属を連れているあるじ」がある意味神性を高めているのだろう。

     興味深いのは、牛若丸が京の五条橋の上で弁慶とであう場面である。 わたしが想像するその場面では、小柄な少年牛若丸は女装し、高下駄を履き、笛を吹きながら登場する。
    怪力の大男弁慶の振り回す長刀をひらりと躱し…というイメージが濃厚だ。
     では、このイメージはどこからきたものだろう。

     かつて、鹿を呼び寄せる笛は傾城の足駄でつくるとよいという言い伝えがあり、笛と傾城(遊女)が結びつけられた。(P41)
     さらに、牛若と弁慶が偶然にも祈念を捧げた五条天神は五条西洞院の天神社で、古くからの傾城町であった。(P43)
    ここに、牛若が女の衣をかづいて現れる理由がある。

      牛若の女装は、この五条の傾城姿であると見立ててもいい。(P43)

     そして、牛若が小柄な少年であることは五条天神から導かれる必然であると説く。


      福多氏《misato注・福多久氏》も、少彦名命という小人神が五条天神であるのに注目して、牛若の小童の約束を見立てており、(P44)


     ついで、牛若が大男の弁慶と対決し、勝利することは、「神相撲」であると看破し、この有名な一場面を解体する。


      巨人と小人を戦わせる「神相撲」の展開であったのであろう。それが牛若という小男が、大男の弁慶を降参させるという説話を構成した。つまり小男にして絶大の力量なり神力をもつということで、これはさらに若宮や王子あるいは童形・童子信仰、さらに遡っては、小子部の雷神信仰とも係わってくる。(P46-47)


     我々が(少なくともわたしは)なんの疑問も差し挟むことなく、幾度となく見ていたあの有名な場面―おそらく近年の大河ドラマでもそのような演出であったと記憶している―が、遠く五世紀の小子部の伝承にまで繋がっていることに、驚きと喜びを禁じ得ない。

     郡司氏の導く民俗と神の物語は、常に生きた習俗として脈々と歴史を刻んでゆくことを示唆する。
     例えば水の呪力を擁する千成瓠を掲げる豊臣家と、日輪の呪物葵(逢ふ日)を家紋とする徳川家の対立(P111)。
     瓠の白い花と同じ白旗を揚げる源氏は、日輪、すなわち赤色の旗に敗北して水中に沈む(P112)。

     いずれも太陽の勝利であるのは、この国が太陽神を頂点に戴くからだろうか。
     それはさておき、「童子」という要素が紡ぎ出す強さ、危うさ、儚さ、それゆえの魅力というものを十分に堪能できる一冊である。

全1件中 1 - 1件を表示

著者プロフィール

一九一三年、札幌市に生まれる。一九三九年、早稲田大学卒、演劇博物館に勤務。一九四四年『手前味噌』校訂・解説(北光書房、のち青蛙房より増補改訂版)。一九四九年、早稲田大学文学部芸術科講師。一九五四年『かぶき―様式と伝承』で芸術選奨文部大臣賞。一九五五年、早稲田大学文学部演劇科教授。一九六〇年『かぶきの美』(現代教養文庫)。一九六一年、東宝歌舞伎委員会の委員。一九六三年「桑名屋徳蔵入舩噺」改修演出(東宝・読売ホール)。『かぶきの美学』(演劇出版社)。一九六六年、国立劇場専門委員。一九六七年三月、国立劇場『桜姫東文章』補綴・演出。一九七一年、三一書房『鶴屋南北全集』を編集。一九七四年、国立劇場理事。一九七五年、新橋演舞場『桜姫東文章』補綴・演出。国立劇場『阿国御前化粧鏡』補綴・演出。一九七六年、国立劇場『盟三五大切』補綴・演出。歌舞伎座『偐紫田舎源氏』脚色。紫綬褒章。一九七八年、国立劇場『奥州安達原』補綴・監修。一九七九年、新橋演舞場『杜若艶色紫』改訂・演出。国立劇場『ひらかな盛衰記』監修。一九八〇年、国立劇場『貞操花鳥羽恋塚』監修。一九八三年、歌舞伎座『東海道四谷怪談』補綴・演出。一九八四年、早稲田大学を定年退職し名誉教授となる。国立劇場『曾我綉侠御所染』補綴・演出。一九八七年、白水社『歌舞伎オンステージ』監修。『歌舞伎のタテ』(坂東八重之助と共著、講談社)。一九九〇年、日本芸術文化振興会理事に就任。白水社より『郡司正勝刪定集』全六巻の刊行開始。一九九一年、国立劇場『江戸生艶気蒲焼』脚色・演出。一九九三年、『郡司正勝刪定集』により和辻哲郎文化賞。『郡司正勝劇評集』(演劇出版社)。一九九五年、国立劇場『法懸松成田利剣』補綴・演出。「青森のキリスト」作・演出(シアターX)。一九九八年、肝臓癌により札幌で逝去、八十四歳。ほか著書論文多数。

「2024年 『芝居唄 歌舞伎黒御簾音楽歌詞集成』 で使われていた紹介文から引用しています。」

郡司正勝の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×