二十一世紀をどう生きるか: 混沌の歴史のはじまり (PHP新書 135)

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  • PHP研究所
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  • Amazon.co.jp ・本 (209ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784569613918

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  • 先行きの見通せなくなった現在を生きる知恵を、中世の日本社会で新しい信仰を人びとに説いた親鸞から学ぶべきだという著者の主張が語られている本です。

    マルクス主義や進歩史観などの崩壊し、「会社」や「核家族」といった近代以降に成立した世俗的な秩序がもはや通用しなくなった現代を、著者は「新しい中世」と呼んでいます。そして、混沌の時代において、世俗的な秩序に背を向け、「絶対他力」の信仰に生きるという道筋を示した親鸞の思想のなかに、今を生きるわれわれが学ぶべき多くのものがあると主張されます。

    現代が混沌の時代だという著者の主張にはそれなりに納得できるものの、なぜ親鸞なのか、ということが、まだじゅうぶんに理解できずにいます。もうすこし親鸞の「他力」の思想についての立ち入った考察を展開してほしかったように思います。

  • [ 内容 ]
    「混沌の世紀」が到来する―クローン・グローバリズム・フリーター…科学技術・経済・個人のあらゆるレベルで混乱が起きている中で迎える二十一世紀は、不安定な末法の世になる。
    そう予見する著者は、そこではもはや職業も家族も国家も、生きるうえでの拠りどころにならないと説く。
    その時、人は何を頼りに生きればよいのか。
    著者は、啓蒙主義、近代進歩史観への懐疑を経て、ブルクハルト、ヴェーバー、そして「現世は不安定きわまりない世界」とした親鸞の思想に辿りつく。
    際限ない混迷の世紀を生き切る人生観の提示。

    [ 目次 ]
    序章 「混沌の世紀」―二十一世紀
    第1章 「新しい中世」の到来
    第2章 職業中心の人生観の崩壊
    第3章 「新しい中世」の生きがいをもとめて
    第4章 なぜ中世に学ぶのか
    第5章 二十一世紀によみがえる親鸞の教え
    第6章 二十一世紀の東アジアにおける人生と宗教

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著者プロフィール

著者略歴
野田宜雄(のだ・のぶお)一九三三年岡山生まれ。京都大学大学院博士課程退学(ドイツ近現代史専攻)。
京都大学教養部教授、同法学部教授、南山大学教授などを歴任。京都大学名誉教授。真宗大谷派•本誓寺(滋賀県)の住職でもあった。二〇二〇年―二月逝去。
主著に「教養市民層からナチズムヘ」(名古屋大学出賑会)、「歴史の危機」(文藝春秋)、「二十世紀をどう見るか」(文春新書)、
「ヒトラーの時代」(文春学藝ライプラリー)、「二十世紀の政治指導」(中公叢書)、「歴史をいかに学ぶか」「二十一世紀をどう生きるか」(PHP新書)などがある。

「2021年 『「歴史の黄昏」の彼方へ 危機の文明史観』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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