「中東アラブ25ヵ国」のすべて (PHP文庫)

制作 : 株式会社レッカ社 
  • PHP研究所
3.55
  • (2)
  • (3)
  • (5)
  • (1)
  • (0)
本棚登録 : 59
感想 : 6
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784569676692

作品紹介・あらすじ

中東アラブといったら、何を思い浮かべるでしょうか?「イスラム教」「砂漠」「紛争」「オイルマネー」…。そんなイメージに加えて、最近では民主化デモが頻発し、世界中の注目を集めています。本書では、そんな中東諸国の経済・歴史・外交などを徹底解説。資源をめぐる世界的な問題から、日本との意外な関わりまでを紹介します。激動する「世界の火薬庫」の実像に迫る一冊。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 550

    宮田律
    1955年、山梨県甲府市生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科史学専攻修了。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)大学院修士課程修了。現在、静岡県立大学国際関係学部国際関係学科准教授。専攻はイスラム政治史および国際政治

    1. 世界最大の石油産出国  サウジアラビア王国

    2. 驚異的な発展を遂げた湾岸の小国  アラブ首長国連邦

    3. 復興の糸口はやはり原油  イラク共和国

    4. 世界一豊かな中東の小国  カタール国

    5. 膨大な石油資源が眠る湾岸の小国  クウェート国

    6. 貧困にあえぐ、かつてのシバ王国  イエメン共和国

    7. 海路の要衝に位置する親日派の王制国家  オマーン・スルタン国

    8. 観光立国への転身を図る美しい島国  バーレーン王国

    9. 強硬姿勢を崩さない軍事大国  シリア・アラブ共和国

    10. イスラムの名家が統治する王国  ヨルダン・ハシミテ王国

    11. 複雑な地形が生んだ「モザイク国家」  レバノン共和国

    12. 故郷を追われた人々による自治組織  パレスチナ暫定自治政府

    13. シーア派中心の宗教国家 イラン・イスラム共和国

    14. ヨーロッパ文明とイスラム世界の境界  トルコ共和国

    15. 常に臨戦体制、中東の火薬庫  イスラエル国

    16. 長い戦乱で疲弊した山岳の国  アフガニスタン・イスラム共和国

    17. インドから分離独立したイスラム国家  パキスタン・イスラム共和国

    18. ギリシャ系とトルコ系政権による分断国家  キプロス共和国

    19. 地図にないトルコ系国家  北キプロス・トルコ共和国

    20. 突然の政変に揺れるアラブ世界のリーダー  エジプト・アラブ共和国

    21. サハラ砂漠に眠る天然資源の宝庫  アルジェリア民主人民共和国

    22. 混迷を深める内戦で今一番注目の国  大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国

    23. 内戦が続く隠れた産油国  スーダン共和国

    24. 民主革命運動の発信地  チュニジア共和国

    25. 豊かな自然に恵まれた王国  モロッコ王国

    26. クーデターが頻発するサハラ西端の国  モーリタニア・イスラム共和国

    27. 勢力が乱立する安定しない分断国家  ソマリア共和国

    28. 国民はモロッコからの解放を望む  サハラ・アラブ民主共和国




    世界最大の石油産出国   サウジアラビア王国 驚異的な発展を遂げた湾岸の小国   アラブ首長国連邦 復興の糸口はやはり原油   イラク共和国 世界一豊かな中東の小国   カタール国 膨大な石油資源が眠る湾岸の小国   クウェート国 貧困にあえぐ、かつてのシバ王国   イエメン共和国 海路の要衝に位置する親日派の王制国家   オマーン・スルタン国 観光立国への転身を図る美しい島国   バーレーン王国 強硬姿勢を崩さない軍事大国   シリア・アラブ共和国 イスラムの名家が統治する王国   ヨルダン・ハシミテ王国 複雑な地形が生んだ「モザイク国家」   レバノン共和国 故郷を追われた人々による自治組織   パレスチナ暫定自治政府 第3章 非アラブ諸国 序文 シーア派中心の宗教国家   イラン・イスラム共和国 ヨーロッパ文明とイスラム世界の境界   トルコ共和国 常に臨戦体制、中東の火薬庫   イスラエル国 長い戦乱で疲弊した山岳の国   アフガニスタン・イスラム共和国 インドから分離独立したイスラム国家   パキスタン・イスラム共和国 ギリシャ系とトルコ系政権による分断国家   キプロス共和国 地図にないトルコ系国家   北キプロス・トルコ共和国 第4章 北アフリカ 序文 突然の政変に揺れるアラブ世界のリーダー   エジプト・アラブ共和国 サハラ砂漠に眠る天然資源の宝庫   アルジェリア民主人民共和国 混迷を深める内戦で今一番注目の国   大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国 内戦が続く隠れた産油国   スーダン共和国 民主革命運動の発信地   チュニジア共和国 豊かな自然に恵まれた王国   モロッコ王国 クーデターが頻発するサハラ西端の国   モーリタニア・イスラム共和国 勢力が乱立する安定しない分断国家   ソマリア共和国 国民はモロッコからの解放を望む   サハラ・アラブ民主共和国

    日本で中東といえば、「砂漠」「イスラム教」「アラブ」「産油国」「紛争地帯」「テロ組織」などのイメージをすぐ思い浮かべるだろう。これらはすべて中東に通じるものであることは間違いないが、必ずしも中東を正確に表したものではない。  例えば、中東とイスラム教は切っても切れない関係だが、中東の中心に位置するイスラエルはユダヤ教が多数派であり、パレスチナはキリスト生誕の地だ。トルコもキリスト教徒が多数生活する国であり、そもそも中東のイスラム諸国にも少数派ながらキリスト教徒が暮らしている。

    また、アラビア語を話すアラブ人の住む「アラブ諸国」が中東には多く、アラブ諸国と中東をイコールで捉えている人も多いだろう。しかし、アラブ人と一口にいっても、もともとアラビア半島に住んでいたアラブ系の諸民族や、イスラム教の 伝播 とともにアラビア語を話しはじめたエジプト人やシリア人のような新しいアラブ系の民族、北アフリカのベルベル人や混血のモール人といった民族もいる。さらに中東の歴史に深くかかわっているイランはペルシア人の、トルコはトルコ人の国でありアラブ諸国には含まれないので、アラブというくくりで中東を語るのも難しい。

    中東の概念は時代とともに変化しているが、伝統的にはアフガニスタン以西のアラビア半島一帯と北はトルコ、西はリビアまでを中東とすることが多い。しかし、近年「拡大中東」という新しい概念が登場し、国際社会で使われはじめている。  これは、アメリカのブッシュ政権が、イスラム過激派対策のためイスラム諸国の民主化を促し、さまざまな支援を行うために主要国首脳会議(G8)で提唱したもので、伝統的な中東の範囲にリビア以西の北アフリカ諸国とアフガニスタン、パキスタンを加えたものだ。

    アフガニスタンとパキスタンは、地理的には西アジアでありアラブにも属さないが、イスラム過激派組織と関係が深いことから中東の枠組みに入ったといえよう。同様に北アフリカのマグレブ諸国は、アラブ人の国であること、イスラム国家であることが、中東として扱われる理由だ。

    中東はメソポタミア文明、エジプト文明という世界最古の古代文明発祥の地であり、実に五千年以上の歴史がある地域だ。しかし、欧米を中心とする西洋史、中国を中心とする東洋史の 傍流 という扱いをされており、かつて存在した帝国や王朝の歴史が断片的に語られるだけで、全体の流れを むことが難しい。そこで、中東の国々がどのような歴史をたどって現在にいたったのかを知るために、簡単に大まかな中東史を追っていこう。

    同時期に、アフリカ大陸東部を 縦断 するナイル川流域ではエジプト文明が興り、巨大なピラミッドが築かれ、パピルスと象形文字、 帆船 が誕生している。エジプトは発展と衰退を繰り返しながら、約三千年のあいだ、周辺諸国と争いながらも、ナイル川流域一帯を支配し続けた。  また、インダス川流域でもインダス文明が興り、都市遺跡が残されているが、前一八〇〇年ごろ何らかの理由で滅亡し、歴史は途絶えている。

    中東の地理を一言でいい表すとすれば「砂漠」となるだろう。アラビア半島の四分の一を占めるルブアルハリ砂漠、アフリカ大陸の三分の一を占めるサハラ砂漠などの大きな砂漠の他、中小の砂漠が各地に点在する非常に乾燥した地域だ。衛星写真で見ても、アラビア半島からアフリカ大陸北部にかけて、緑のない黄土色の帯が続いている様子がはっきりと見てとれる。

    砂漠は平坦で低い場所にあると思われがちだが、サハラ砂漠は標高三〇〇〇メートル前後の台地であり、ホガール山地などいくつかの山地も含まれている。中東の範囲には含まれないが、サハラ砂漠の最高点はチャド北部にあるエミクーシ山で、その標高は富士山とほぼ同じ三四一五メートルだ。  また、パキスタンのカラコルム山脈やアフガニスタンのヒンドゥークシュ山脈、モロッコとチュニジアにまたがるアトラス山脈といった、大きな山脈も存在する。トルコにはアナトリア高原、イランにはイラン高原があるが、緑豊かな黒海、カスピ海沿岸を除いて、大部分は乾燥し赤茶けた不毛の地だ。

    アフリカ大陸とアラビア半島の間には 大 地溝 帯 と呼ばれるアフリカ大陸を縦断するプレート境界が通っている。総延長七〇〇〇キロ、最大幅一〇〇キロという巨大断層で、西がアフリカプレート、東がアラビアプレートだ。この地球の 裂け目に海水が入り込んでできたのが紅海で、活発な火山活動によって海底火山がいくつもあることで知られている。アラビア半島の紅海沿岸には中央山地が連なっているが、これも大地溝帯の活発な活動によって形成されたものだ。ペルシア湾東岸にはザグロス山脈があるが、これはアラビアプレートがユーラシアプレートに衝突して形成されたものである。

    中東の気候は、大部分を砂漠が占めていることからもわかるように、ほとんどがひどく乾燥した砂漠気候だ。東のパキスタン付近からアラビア半島、北アフリカの大西洋岸までが砂漠気候に含まれ、砂漠周辺部のサヘル地帯とトルコからアフガニスタンにかけての高原地帯はステップ気候となっている。

    もうひとつ、アラビア半島南部のイエメンの山岳部一帯も、モンスーン(季節風)の影響によって三月から四月ごろに小雨季、八月から九月に大雨季と年二回の雨季があり、雨季後は山々が緑に覆われる地域だ。また、標高の高いレバノンやヨルダン、トルコ、イランなどは冬季に積雪があり、スキーを楽しむことができる。

    イスラム教は、世界中に一〇億人以上の信徒がいる、キリスト教と並ぶ大きな宗教だ。しかし、日本ではイスラム教に対する知識がないため、過激派テロ組織を生む「怖い宗教」というイメージを持っていたり、一夫多妻制や女性の服装規制など女性蔑視の宗教と捉えてしまったりする人も少なくない。  しかし、それらは偏見と誤解に過ぎない。

    イスラム教は寛容を 是 としており、それは異教徒に対しても同様だ。過去、中東地域を支配したイスラム帝国は、ユダヤ教徒やキリスト教徒の信仰の自由を認めてきたし、現在のイスラム国家でも大多数のイスラム教徒に混じってユダヤ教徒、キリスト教徒が普通に暮らしている。

    また、女性が髪の毛と肌をベールで隠し身体の線が出ない服を着るのは、男性を性的に刺激せず慎み深く暮らすためであり、一夫多妻制は、戦乱が多い歴史のなかで未亡人を救済するために生まれた制度だ。

    日常生活の信仰のなかでは、一日五回(日没、夜、夜明け、昼、午後)の礼拝が有名だろう。礼拝の時間になると「アザーン」と呼ばれる礼拝を呼びかける声がモスクの 尖塔 から流れ、仕事中でも礼拝を行う。海外で暮らす信徒のため、最近はインターネットで正確な礼拝の時間がわかるようになっているという。

    中東の各国は、西欧の帝国主義に敗北した経験から近代化をはかったが、なかなかうまくいかなかった。成功したように見える国でも豊かになったのは一握りの人々のみで、貧富の差は広がる一方。やがて、貧しい人々はイスラム制の復興による改革を望むようになり、支配者層だった王政が打倒される国も出はじめる。  なかでも大きく変革したのがイランで、王政を打倒したのち宗教的指導者であるホメイニ師のもと、イスラム教でも少数派のシーア派による宗教国家へと変貌した。

    石油は、 莫大 な利益をもたらした反面、資源と利権を求める国を世界中から呼び寄せることにもなった。

    また、自国の権益を確保したい大国は、影響力を維持しようとアラブ諸国に干渉し、いつしかアラビア半島は「世界の火薬庫」と呼ばれるようになった。

    総工費は約二兆五〇〇〇億円を予定しており、周辺には一〇〇万人を収容できるホテルも建設されるといい、ビル本体の建設、設備機器、ビルのテナントなど、外国企業の積極的な 誘致 を考えているはずだ。ただし、現在はイスラムの教義を基本とした法律が外国人にも適用され、「女性が顔を出して歩く」「飲酒」などイスラム教の禁忌を冒した違反者は外国人であっても宗教警察に容赦なく捕まるほか、観光ビザも団体ツアーにしか発行されていない。世界的な観光地を目指すのであれば、外国人旅行者への規制緩和が必要だろう。

    サウジアラビア国内には、預言者ムハンマドの生誕地「メッカ」と崩御した「メディナ」があり、いずれもイスラム教の聖地となっている。毎年の巡礼月(イスラム暦第十二月)は国内外から二〇〇万人以上の巡礼者が訪れる場所だ。どちらもイスラム教徒でなければ立ち入りが許されないため、異教徒が観光目的で訪れることはできず、過去には異教徒が侵入を試みて死刑になった例もあるという。

     ちなみに、日本で「同じ趣味や目的の人が集まる場所」を「○○のメッカ」と呼ぶのは、聖地メッカが由来だが、このように大変神聖視されている場所なので、イスラム教徒はこうした表現を快く思っていないそうだ。

    連邦の首都は、F1グランプリの開催地として知られるアブダビのアブダビ市。驚異的な経済発展で有名なドバイの力も強い。最大の面積を持つアブダビは九州と四国を合わせた程度、二番目に大きいドバイは埼玉県と同じくらいの大きさで、七首長国全部を合わせた面積も北海道とほぼ同じ大きさという小さな国だ。  人口は約四七〇万人だが、その多くをインド、パキスタンなどアジア系の出稼ぎ労働者が占め、アラブ首長国連邦の国民は全体の約二〇パーセントにあたる約八〇万人程度といわれている。

    現在、ドバイ空港は年間四〇〇〇万人が利用するハブ空港となり、エミレーツ航空は世界一〇二都市に直行便を飛ばすまでに発展した。さらに、六本の滑走路を持つマクトゥム国際空港が二〇一〇年六月に部分開業し、世界初の大型海運センター「ドバイ・マリタイム・シティ」も二〇一二年に開業を予定するなど、さらなる発展が見込まれている。

    二〇〇一年からアメリカの対テロ戦争に協力するため、インド洋で補給活動を行った海上自衛隊が寄港地に選んだのがフジャイラ市だ。半島の東側に位置するフジャイラの首都フジャイラ市は古くから貿易中継港として栄えた街で、「フジャイラフォート」などの城塞や遺跡が数多く残されており、リゾートホテルやショッピングモールもあることからリゾート地として人気が高い。  ドバイの東隣に位置するシャールジャも、オアシスを中心に古くから発展した地域で、首都のシャールジャ市は現在ドバイのベッドタウンとなっている。シャールジャに三方を囲まれているのが、連邦最小の国アジュマーンだ。首都はアジュマーン市だが、国が小さいためシャールジャの都市と勘違いされることもあるという。

    ところが、フセインが大統領に就任したこの年、隣国のイランで革命が起きて、イランはイスラム教シーア派を柱とする宗教国家となった。イランとイラクはともに反米国家という共通点があったが、かねてからシャットル・アラブ川に対する領土問題で緊張が高まっており、何よりイランが唱えた「革命の輸出」は、国民の過半数がシーア派であるイラクにとって十分すぎる脅威であった。この翌年、フセイン政権は軍をイラン国内へと進め、「イラン・イラク戦争」がはじまった。

     一九九三年、ワールドカップ初出場を目指すサッカー日本代表が、試合終了間際にゴールを許し、アメリカ大会の出場権を逃した「ドーハの悲劇」。サッカーファンのみならず、多くの人が鮮明に覚えているのではないだろうか?

    この悲劇の舞台となったドーハは、アラビア半島からペルシア湾に突きだした小さな半島に位置するカタール国(以下、カタール)の首都だ。カタールは面積わずか約一万一四〇〇平方キロメートルと、秋田県程度の大きさしかない小国だが、ひとりあたりの収入は世界で最も高い約七万ドル(二〇〇九年)という大変豊かな国である。

    豊富なオイルマネーの恩恵で、所得税はなく、小学校六年までの義務教育、医療費、電気代、電話代が無料、大学を卒業すると土地を無償で貸してもらえ、十年後には自分のものになるというから、マイホームが夢となっている日本人にとっては何とも 羨ましい話だろう。さらに、物価も極端に安く、ハイオクのガソリンが一リットルあたり約二〇円程度だというから驚くしかない。

    この豊かさが大量の外国人労働者を呼び込んでおり、一五〇万人の人口のうちカタール人は約三〇万人程度だという。近年、人口増加に 伴う若年層の雇用機会の確保のため、政府は一部の国営企業において従業員の五〇パーセント以上をカタール人とすることを定めている。また、女性の経済的権限強化のため、女性の労働力化率を全労働力の三六パーセント(二〇〇九年)から、二〇一六年には四二パーセントに引き上げるという目標も設定した。

    ちなみに、カタールは、二〇一一年に開催されサッカー日本代表が優勝を飾ったAFCアジアカップの開催国であり、中東ではじめてワールドカップ開催地に選ばれるなど、何かとサッカーに縁のある国である。

    カタールは古くからペルシア湾で 採れる真珠の産地として有名で、古くは紀元前三〇〇〇年ごろと推定される遺跡が残されているが、近代までの歴史は不明だ。十九世紀の半ばに、サーニー・ビン・ムハンマドがドーハを治める統治者に選ばれたことで、現在のカタール王家サーニー家の歴史がはじまる。

    首都ドーハは、ホテルも少なく、娯楽施設も全くないため「世界一退屈な都市」と酷評されたこともあったが、ハマドの政策によってさまざまなホテル、娯楽施設が建設され、沖合に浮かぶパーム・ツリー・アイランドの開発など、一大リゾート地に生まれ変わりつつある。そのほか、南部のホール・アル・ウデイドのラグーンや砂丘ツアーも観光客の人気が高い。

    こうしたことから、国民のあいだには議会選挙の民意が政治に反映されない不満や、政治家や役人の汚職、腐敗への不満が強くあるという。そのため、中東諸国に広がる反政府デモが波及し、二〇一一年三月には、インターネット上での若者の呼びかけに野党会派が呼応して約一〇〇〇人が集まり、首相の即時辞任、憲法改正などを求めてデモを行ったほか、国籍を与えられない遊牧民系民族による権利向上を要求するデモも起きた。しかし、治安部隊の出動に加え、経済的に豊かなクウェートは、失業や貧困、格差への怒りから大規模なデモに発展した他国とは状況が違うため、小規模なデモが散発しただけで二〇一一年四月現在、沈静化に向かっている。

     イエメンは、マーリブとハダラマウトの二ヵ所に油田がある産油国だが、生産量は少なく、二〇〇九年の原油収入は二〇億ドルに過ぎない。さらに、長年続く干ばつの影響で農作物の生産量も低下しており、経済は最悪な状態だ。これは、内戦で国が疲弊したことに加え、一九九一年の湾岸戦争時にイラク側についたため、湾岸諸国との関係が悪化して援助を受けられなくなった影響も大きい。  しかし、イエメンを支援する動きは活発になっており、二〇一〇年には「イエメン支援国プロセス」の創設が決まり、同年九月にはアメリカで「第一回イエメン・フレンズ」の閣僚会合が開かれ、国際的な支援の重要性が再確認された。

    オマーンの経済を支えているのは石油関連産業で、原油と天然ガス中心の輸出額は二八一億ドルにのぼり、国内総生産の約六〇パーセントを占めている。金、銀などの鉱物も産出するが採掘量はそれほど多くない。原油確認埋蔵量は世界二二位の五六億バレルで、現在の日産八一万バレルのペースで採掘を続けても、今後二十年間は安定供給できるだけの量が確認されている。

    とはいえ、原油依存の経済はいつか行き詰まるため、カブース国王は経済の多角化に着手しており、一九九八年にはオマーン第二の都市サラーラの港にコンテナ・ターミナルを開業し、中東における物流の中心地とすることを目指している。

    モータースポーツファンにはF1世界選手権「バーレーンGP」の開催地として、サッカーファンには中東の新たな強敵として知られるバーレーン王国(以下、バーレーン)。しかし、国名は知っていても、国の位置までわかる人は少ないだろう。というのも、バーレーンはカタール半島の西、ペルシア湾に浮かぶ大小三三の島で構成される島国で、大きさは奄美大島とほぼ同じという、中東最小の国なのだ。そのため、中東の地理に 疎い日本人には、場所がわかりにくい国のひとつである。

    バーレーンとは、アラビア語で「ふたつの海」という意味で、豊富に湧き出る地下水と周囲の海水を表すという。最大の島バーレーン島の北部には緑豊かなオアシスがあり、バーレーンこそ『旧約聖書』で語られる「エデンの園」ではないかという説も唱えられるほどだ。

    ヨルダンは、南にサウジアラビア、東にイラクという大国と接し、北は軍事大国で社会主義国家のシリア、西も軍事大国で非アラブのイスラエルという、非常に 危ういバランスの場所に位置しているため、全方位外交で自国の安全をはかっている。  アラブ諸国の同胞・サウジアラビアとイラクとは友好的な関係を築く一方、シリアは社会主義体制をとり旧東側諸国との関係が深いため、親欧米路線をとることで周囲を牽制し、欧米諸国からの支援を受ける方策をとった。

     西側のヨルダン渓谷は、アフリカ大陸から続く大地溝帯の北端にあたり、塩分濃度が高く身体が浮くことで知られる死海があることで有名だ。また、この地域は気候が温暖で灌漑技術の発達で農場が広がり、おもに果実が栽培されている。  死海は観光客に人気のスポットだが、そのほか、ギリシャとローマ文化が色濃く残る「ペトラ」、ウマイヤ朝時代の城館「アムラ城」、古代の都市遺跡「ウム・アル=ラサス」というユネスコの世界遺産があり、これらの遺跡も人気が高い。長い歴史を刻むヨルダンには、紀元前の古代文明の遺跡からギリシャやローマなどさまざまな文明、文化の遺跡が数多く残されており、政府は観光業を大きな産業に育てようと観光資源の開発、宿泊施設の整備を推進している。

    イランは実質的にイギリスとロシアに支配され続け、第一次世界大戦ではオスマン帝国の侵入をも許すが、一九二一年にレザー・ハーンという人物が決起。それまでのカージャール朝を廃してパフラヴィー朝を興し、一九三五年には国名を「イラン」と改名した。それまでイランは、ペルシャ猫やペルシャ絨毯でお馴染みの「ペルシャ(ペルシア)」と呼ばれていたが、ペルシアという呼び名はギリシャなどの古典文学者がつけたもので、もともとはイランという名称が使われていたためである。

    現在、イランは石油化学工業の拡張を目指しており、民営化も積極的に推進しているが、その一方で油田の老朽化による生産量の減少が問題になっている。幸い新たな油田が続々と発見されているのだが、油田開発には多額の資金が必要だ。そこで、外国の石油会社による投資に頼らざるを得ないのだが、欧米諸国の石油会社は参入を 躊躇 している。というのも、核開発をめぐってアメリカとイランの関係が悪化しつつあり、アメリカが圧力をかけているためだ。

    歴史上の経緯もあって、イスラエルと聞くとどうしても戦争のイメージが強いが、イスラエルにはどのような産業があるのだろうか。  イスラエルの産業といえば、ダイヤモンドが有名だ。ユダヤ人は古くからダイヤモンド取引のネットワークを形成しており、宝飾品に使われる小型ダイヤの八割は、イスラエル製だといわれている。

    また、世界トップクラスといわれる科学技術の分野をはじめ、半導体などに代表されるハイテク産業やIT産業などの分野も重要だ。イスラエル国内には、マイクロソフトやインテルなどの研究室が多数設置され、「中東のシリコンバレー」と呼ばれているほどである。

    中東と南アジアのあいだに位置する、アフガニスタン・イスラム共和国(以下、アフガニスタン)。日本では長く続いた内戦やソ連の軍事介入、九・一一同時多発テロにかかわったとされるウサマ・ビン=ラーディンの潜伏など、政情不安定な地域というイメージが大きく、あまり実態が知られていない国のひとつではないだろうか。  アフガニスタンは内陸に位置する山岳国家で、北はタジキスタンやウズベキスタン、西にはイラン、東と南はパキスタンと国境を接している。

    国名にある「アフガニスタン」とは、アフガニスタン国内でもっとも多い遊牧民パシュトゥーン人を表す言葉だ。しかし、アフガニスタンにはタジク人やハザラ人、ウズベク人など多くの民族が居住しており、多民族国家を形成している。

    政府は麻薬との対決姿勢を打ち出しているが、水分が少ない乾燥した土壌でも育つケシに代わる作物を見つけるか灌漑設備を整えない限り、農家はケシの栽培を続けるしかない。アフガニスタンの復興には、クリアすべき多くの問題が残されている。

    のちに旧ソ連が崩壊して冷戦構造がなくなると、アメリカとインドとの関係が改善されはじめた。アメリカはパキスタンだけの同盟国ではなくなったわけだが、しかしインドとパキスタンの関係は緊張したままである。そこで、パキスタンはアメリカとの関係を続ける一方、旧ソ連との戦い以後にテロリストとなったムジャヒディンたちとの関係も継続し、アメリカとの関係が切れた際の保険にしようと考えた。こうした二面外交は軍部が主導で行っており、九・一一以降にアメリカが「テロとの戦い」を宣言したのちも続けられた。

    観光業と金融業が盛んなキプロス  地中海東岸のアナトリア南部に位置するキプロス島。シチリア島やサルデーニャ島に次いで、地中海で三番目に大きなこの島に建国されたのがキプロス共和国(以下、キプロス)である。  国土面積は九二五一平方キロメートルで、人口は推定で約七九万人。日本でいうと四国地方の約半分くらいの地域に、徳島県と同程度の人数が暮らしていることになる。  資源に乏しく農業自給率も低いキプロスだが、ヨーロッパとアジア、アフリカの接点という地理的な利点がある。このため、政府は早い時期から外国資本の誘致に努めており、その甲斐あって金融業が伸張している。

    またリゾート地としても人気があり、年間二〇〇万人以上の観光客がキプロスを訪れる。古代都市「パフォス」や「トロードス地方の壁画聖堂群」、先史時代の遺跡である「ヒロキティア」など三ケ所の世界遺産があり、これらを目的とした観光客も多い。国民の半数以上は観光業に従事し、国内総生産(GDP)の七割近くが観光業によってもたらされており、金融業と並んでキプロスの基幹産業となっている。

    観光業がメインということで周辺地域の経済状況に左右されやすいが、失業率は三パーセントと完全雇用に近い状態でインフレ率も低い。キプロスは二〇〇四年に欧州連合(EU)への加盟を果たし、新加盟国のなかでGDPが一番高かった。

     経済状態が良好で雇用が確保できている国では、 概ね国民は満足しているもの。そんな安定した国内事情とは反対に、キプロスが抱えている大きな課題が「キプロス問題」だ。  実はキプロス島にはもうひとつ、キプロスから分離した北キプロス・トルコ共和国(以下、北キプロス)という国があり、キプロス島北部の三七パーセントを占めている。では、四国地方の半分ほどしかないこの島に、なぜふたつの国ができてしまったのか。それには、キプロスを取り巻く諸外国の情勢が絡んでいる。

    ヨーロッパとアジア、アフリカに接するキプロス島は、古くから軍事的にも商業的にも重要な地点だった。長いあいだキリスト教圏にあったキプロスは、一五七〇年代初頭から約三百年のあいだオスマン帝国の支配下に入った。長いあいだキプロスを支配していた東ローマ帝国の影響で、島民の大半はギリシャ正教の信徒であるギリシャ系住民が占めていたが、この時期に多くのイスラム教徒が流入。以来、島民の二割程度がトルコ系住民となった。

    北キプロス・トルコ共和国(以下、北キプロス)が誕生したいきさつは、「 キプロス共和国」で述べた通り。国際的にはトルコ以外承認していない国なので、日本の地図にも載っていない。  分断国家といえば、かつてのドイツや朝鮮などを思い浮かべるが、キプロス島の場合は国連から派遣された平和維持軍が境界線を監視している。そのためか、境界線に壁が建てられ検問所も設置されているが、ある程度なら越境できるのだ。  とはいえ、越境しての滞在時間には制限が設けられている。北キプロスからキプロスへ行く場合、島民は二十時間以内だが旅行者は越境不可能。キプロスから北キプロスへ行く場合、島民は三日間以内、旅行者も十七時までに戻るなら許可される。

    スポーツ大会で中東の国と対戦した際の、不可解な判定に対して使われる「中東の笛」という表現は、もともとはハンドボール専門誌の編集長、野村彰洋氏が、中東国籍の審判が中東のチームに有利な判定を繰り返すことを指摘した文章から生まれた。ハンドボールの場合、アジアハンドボール連盟は産油国の王族が活動資金を提供しており、役職は産油国の関係者で占められている。そのため、昔から不可解な判定が多かったといわれ、特に二〇〇七年の北京オリンピックアジア予選は、審判団の変更が相次ぎ、国際ハンドボール連盟が予選のやり直しを命じたことで話題になった。

    北アフリカに位置するアラブ諸国のなかで、日本人にもっとも知られている国といえばエジプト・アラブ共和国(以下、エジプト)だろう。国内を流れるナイル川は世界最長の大河というだけでなく、古代エジプト文明を育んだ文明発祥の地で、ピラミッドやスフィンクスといった遺跡の数々は世界的にも有名だ。

     もっともサウジアラビアの原油のように国庫をほぼすべてを 賄えるほどではなく、鉱工業は経済を支えるひとつに過ぎない。ほかの収入源としては、近隣の産油国などに出稼ぎに出た自国労働者からの送金もあるが、エジプト経済の大きな柱といえば、やはり観光産業やスエズ運河の通行料だろう。 「砂漠のなかのピラミッド」というイメージが強いエジプトだが、実は世界有数のリゾートビーチがある。加えて、著名な古代エジプトの遺跡によって観光資源にはことかかず、莫大な収入をもたらしている。

    このように、政治、経済の面では今ひとつ明るい話題に乏しいアルジェリアだが、意外にも世界遺産に登録されるような著名な観光地が存在する。  アルジェリアの観光資源のなかでは、ローマ時代の古い遺跡や「カスバ」と呼ばれる旧市街地が特に有名だ。  カスバは首都アルジェの一画にあり、巨大な迷路のような細い路地と家屋の 佇まいは、異国情緒にあふれている。  また、国内にある「ジェミラ遺跡」や「ティパサ遺跡」といった数々の古代遺跡も、人気の観光スポット。人工の建造物以外にも、砂漠に山脈といった雄大な自然の景観も人気がある。

    北アフリカの中央に位置するリビアは、隣国のアルジェリアと同じく国土の九割をサハラ砂漠が占めている。国内の人口のうち四分の三が、地中海に面した北西部の首都トリポリを中心とするトリポリタニア地域に居住しており、東北部にはベン ガジを中心としたキレナイカ地域がある。経済活動の中心でもある沿岸部では農業も行われているが、気候は乾燥しており、年間を通じて降水量は少ない。  一九五九年に石油が発見されるまで、リビアは最貧国だった。しかし、砂漠に眠る膨大な石油が発見されて以降、リビアは豊かな産油国へと変貌した。  また、砂漠の下には石油だけでなく地下水もあり、石油と水、両方のパイプラインが走っている。オアシスを生み出している地下水を、乾燥した沿岸の農地の灌漑や都市への給水に使っているのだ。  これは「大人工運河計画」と呼ばれる巨大プロジェクトだが、一部は完成しているものの、工事は遅れている。

    よって、現在にいたるまでリビア経済を支えてきたのは、石油や天然ガスをはじめとする地下資源である。リビアで産出される石油は硫黄分が低く高品質で、一大消費地であるヨーロッパ市場がすぐそばにあることも手伝って、主要な産出国のなかでは高い競争力を持っている。

    ただし、人間開発指数は高く、若者の大半が読み書きをこなす高い識字率に加え、ほぼ一○○パーセントの就学率。寿命も七十歳を超えており、アフリカでは一位、中東で見ても高い水準にある。経済成長の素地はできているといえるだろう。  リビア経済が抱える一番の問題は、増加しつづける人口と雇用問題。国内では、二十九歳以下の若年層が人口の大半を占めつつあり、雇用不足から将来的に彼らの高い失業率が予想されている。

    広大なスーダンの国土のうち四分の一は砂漠地帯だが、耕作可能な土地は八〇万平方キロもある。この土地すべてを農産物の生産にまわせば、アフリカに住んでいる人々すべてを養えるほどだという。

    チュニジア共和国(以下、チュニジア)は、北アフリカのほぼ中央に位置しており、東はリビア、西はアルジェリアに挟まれた小さな国だ。  国土面積は北海道の二倍程度しかないが、地中海性気候である北部と沿岸部、ステップ気候の中部・内陸部、そして砂漠気候の南部と、おおまかに三つの気候帯に分けられる。  北部と東部に広い海岸線には古くから多くの人々が定住しており、交易や漁業が盛んに行われてきた。内陸ではブドウやオレンジ、オリーブなどの栽培が盛んなほか、温暖な気候からリゾート地としても有名で、特にヨーロッパの人々には馴染み深い。また、北西部はローマ時代から豊かな穀倉地帯として知られており、イスラム世界に入ったのちは「緑のチュニジア」と呼ばれていたほどだ。

    岸壁に岩を積み上げてつくられているシェニニ村や、マトマタの縦穴を掘ってつくられた穴居住宅集落など、独特な集落が観光スポットとなっている。  小さな国土にさまざまな自然環境を持つチュニジアは、近年日本でも観光地として知られるようになり、年間一万人ほどの観光客が訪れているという。  チュニジアの主要産業はサービス業で、観光業や情報通信産業がその柱となっている。続いて繊維や機械部品を扱う製造業があり、最後に農業となっている。

    その後、十六世紀後半から十九世紀にかけてはオスマン帝国に征服されたが、十九世紀後半からはフランスの保護領となる。チュニジアは一九五六年に独立を達成したが、その後もフランスとはかかわりが深い。

    このほかでは、一九九三年にアラブ女性訓練調査機関がチュニスに開設されている。これは、アラブ諸国のなかで唯一チュニジアだけが一夫多妻制を禁止している国であり、女性解放運動においてリーダー格と見られているためだ。

    このように西欧的な考え方を理解し、拒否反応を示すことなく受容できるチュニジアの姿勢は、長らく東西文明の境界線に位置していたトルコと似ている。かかわりが深いフランスの影響なのかもしれないが、チュニジアは、欧米中心的な表現をすれば「先進的な国」なのだろう。

    さて、チュニジアはブルギバ大統領が社会主義を目指した関係で、社会主義ドゥストゥール党の一党独裁体制だった。ベンアリ大統領が一九八八年に憲法を改正して複数政党制になると、ドゥストゥール党は立憲民主連合党と名を変えたが、その後も一党優位体制が続いている。こうした政治体制は、政治舞台における自浄作用を阻害した。さらに、テロの阻止と斬新的民主化の推進を盾に反対勢力を弾圧した結果、ベンアリ政権も二十三年に渡る長期政権となった。

    アフリカ大陸北西部に位置するモロッコ王国(以下、モロッコ)は、アルジェリアやチュニジアとともに「マグレブ」(陽が没する場所の意味)と呼ばれている。地域の南部のアトラス山脈は、地中海や大西洋からの湿気を受け止めて雨をもたらし、その一方で、南部の砂漠から吹きつける熱風を防いでいる。

     一九九〇年代のワインブーム以来、日本でもワインを愛好する人は増えており、モロッコ産ワインを口にする機会は増えたのではないだろうか。  さて、日本との関係といえば外せないのがタコ。実は日本で流通しているタコの七割はアフリカ北西岸が原産地で、モロッコから日本に対する輸出額約二億ドルのうち、八割ほどがタコなのである。  このほかにもイカや地中海マグロなど、日本の食卓に欠かせない多くの魚介類が輸出されている。もともとモロッコの近海は、日本にとって有数の漁場だったのだが、排他的経済水域が定められて以降は使用できなくなった。そこで、日本は海外援助の一環として漁業専門学校を設立。現地の人々にタコ漁の技術指導をほどこし、そのタコを輸入することにしたのだ。

    ここまでモロッコの農業や、日本ともかかわりの深い漁業などについて見てきた。しかし、ほかの中東諸国にくらべて地下資源に恵まれていないモロッコは、その分、外貨の獲得手段が少ないわけで、これらの産業だけでは少々心もとない。そこでモロッコ政府が力を入れているのが映画産業である。  モロッコがロケ地として多くの作品に登場していることは、映画好きな人々のあいだではよく知られていることのようだ。ハリウッド映画の撮影も数多く、古くは一九六二年に公開された『アラビアのロレンス』などがあるが、一九九〇年代以降の作品が多いという印象を受ける。

    多くの映画がモロッコで撮影される理由には、モロッコの気候が映画撮影に適していること、砂漠をはじめとするさまざまな自然環境がそろっていることなどがあげられる。また、大きな撮影所ももうけられており、セットを建てての撮影も可能。何よりモロッコ政府が全面的にバックアップしてくれるので、撮影がスムーズに行えるという利点は大きいだろう。

    モロッコとしても、映画にかかわる人々が滞在中にお金を落としてくれるというだけでなく、エキストラなどで雇用も生まれている。また、映画のロケ地として作品に登場することで、映画を観た観光客が実際の撮影場所を訪れるという効果があり、観光産業の面から見ても非常に有益なのである。

    ムハンマド六世は非常にリベラルな君主で、即位当初から国民の貧困 撲滅 を掲げて、積極的に失業や雇用、教育問題に取り組んでいる。  二〇一一年初頭に起きたチュニジアの革命以来、中東諸国には民主革命の波が広がっており、王権が強いモロッコの動向も注目される。しかし、共和制の国ですらデモが起きているにもかかわらず、現在のところモロッコでは極端に大規模なデモは発生していない。  モロッコの現状は、上に立つ者が成すべき事をきっちり行っている限り、政体がどうなのかは問題ではないということの証明といえるかもしれない。

    二〇一〇年に入ってからは、一件のテロ未遂事件を除いてテロや誘拐事件は起きていないが、さらなる警戒は必要のようだ。また、チュニジアの民主革命の例を真似て焼身自殺をはかる人などがでており、今後の動向には注意が必要な国といえる。

    アフリカ大陸の東岸に位置するソマリア共和国(以下、ソマリア)。日本での知名度が高いのは、国際問題にもなっている海賊によるものだろうか。日本の船舶も襲撃されたことがあり、ニュースなどで報道もされていた。  海賊がもっとも多く出没するのは、ソマリア北方沿岸のアデン湾。スエズ運河と紅海を抜けて地中海とインド洋を結ぶ重要なルートで、年間を通じて多くの船舶が通過することから海賊による被害があとを絶たないという。

    海賊に襲われた際の対処は国によって異なるが、身代金の要求に応じると海賊の襲撃が続くことから、基本的には要求に応じない姿勢をとる国が多い。

    アフリカや中東で民族や文化の分布を無視して引かれた国境線が多いなか、ソマリアは住民のほとんどがソマリ族という珍しい国であり、さらにほとんどの住民がイスラム教スンニ派という、精神面での支柱もあった。  ところが単一民族国家だったがゆえなのか、ソマリアは「大ソマリア主義」を前面に掲げ、ソマリ人が住む近隣諸国の領土を併合しようと武力衝突を繰り返すようになった。大ソマリア主義自体はともかく、武力を行使するとなれば、やはり意見は分かれてくる。実際、一九六七年に当選したシェルマルケ大統領は大ソマリア主義を見直す方針を打ち出し、近隣諸国との関係修復をはかろうとした。

    チュニジアは中東諸国のなかでも比較的安定した国で、高度な教育を受けた若者が多かった。しかし近年では失業率が問題になっており、特に若者に限っては大学を出た者でさえ職がないという状況だった。自殺をはかってデモの発端となった若者も、働き口がなく日々の生活のために商売をしていたという事情がある。

     原油を輸入に頼っている日本は、中東でひとたび政変が起きればその影響は 免れない。二〇一一年五月現在も、ひとつの節目を迎えたテロとの戦争や拡大する民主革命運動などで中東情勢は揺れ動いている。

    欧米の味方をする人々はごく少数

    十九世紀以降、中東地域では、ヨーロッパ諸国の植民地政策に対する反感が育っていた。第二次世界大戦後に中東各国は順次独立を達成していったが、エジプトのスエズ運河のように、イギリスやフランスの影響が完全に払拭されたわけではなかった。  また、イスラム教の聖地でもあるエルサレムにイスラエルが建国されたこと、そのイスラエルをあと押しする欧米各国に対して、中東諸国は不満を募らせたのである。

    特に一九六七年に勃発した「第三次中東戦争」では、先制攻撃をしかけたイスラエルが完勝。わずか六日で完敗してプライドを大いに傷つけられたアラブ諸国は、スーダンで開催したアラブ首脳会議において、イスラエルと和平を求めず、交渉せず、承認しないと決定するなど、態度を硬化させていった。

    旧ソ連が崩壊して冷戦構造が崩れた今、唯一の超大国となったアメリカを止められる国は存在しない。中東では親米路線へ変更しつつある国も見えるが、真意はどうあれ、そうしなければ生き残れないのが実情だろう。  そして中東の民衆のなかには、政府トップのそうした姿勢に不満を抱く者も大勢いる。中東諸国のアメリカに対する歩み寄りは、あくまで処世術に過ぎないともいえるのだ。

    アメリカは、ウサマの殺害をもってテロとの戦争が「ひとつの節目」を迎えたとしているが、果たして本当にそうだろうか。  その後、アメリカ軍の作戦は、パキスタン政府への通告なしに行われたことが明らかになり、パキスタン政府は不快感をあらわにした。アメリカは、パキスタン政府と通じている可能性があったと弁明しているが、国際法違反なのは明らかだ。  仮に、ホワイトハウスに他国の兵士が降り立って大統領を暗殺するようなことがあれば、アメリカは「テロだ」と非難するだろう。国内で他国の部隊が断りもなく作戦行動をとれば、主権侵害だと息巻くに違いない。  オバマ大統領は「正義はなされた」とコメントしたが、「テロと戦う」と宣言した国が同様の手法を取ることは果たして正義なのだろうか。

    第二次世界大戦を例にすると、ドイツに占領されたフランスでレジスタンス組織が行った活動内容は、現代のテロリストと同様だがテロとは呼ばれない。テロという手法は被害者側にとってみれば「卑劣な犯罪」であるが、仕掛ける側にとっては「レジスタンス活動」ともいえるだろう。  今回の件をアメリカが作戦行動で正当だと主張し続けるなら、「テロとの戦い」とは言葉遊びに過ぎないことにならないだろうか。

    イスラム原理主義といわれる人々の反米意識が強いのも、「民主主義が浸透していないから」などではなく、イスラム教徒の習慣への無理解や、自国の都合・利益のために他国の政治に土足で上がり続けた結果ともいえそうだ。

  • 中東の国々ついて概要をさらう際に有用。
    1時間ちょっとで読めます。

  • 辞書として購入。

  • 知っているようでわからないほかの国々。
    その中でアラブ諸国はニュースでは出てくるものの,石油と紛争の国ってイメージが。
    なぜそうなのか?と思うが,宗教上の聖地が数多くあったりイスラム教に従っているだけの部分もあるなど,今まで知らなかったことが書いてあり,これからアラブを見る時,ちょっと違って見えそうな感じがしました。

  • ・2/15 読了.中東アラブの概要がわかって有益.人種、民族、言語、文化、歴史、土地、宗教、石油、経済など、様々な利害関係が複雑に重なり合い混沌としているためにモザイク状態より理解するのが難しい.ましてや当事者達もこれでは全体を俯瞰して未来を目指すなんて不可能だと思ってるだろう.その点日本は問題がシンプルで当事者も少ないから頭痛も少ないはず.もっと世界を知らないとだめだな.

全6件中 1 - 6件を表示

株式会社レッカ社の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×