- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784569706030
感想・レビュー・書評
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私自身は本編である「神との対話」に20歳頃に出会って、一時期は自分のバイブルにするほどのファンだった。しかし、結婚して子供が出来てから、子供に自分のバイブルを押し付けるという事は絶対したくなかったので、子供たちには、質問されない限りは、あまり神や死後の世界について話す事はしてこなかった。
ただ、上の子供がいよいよ12歳になって、セックス、戦争、政治、死ぬことへの向き合いなど、様々な際どい事柄を、どう説明するかという点については親として悩み始めていた。
私個人が感動して影響を受けたのはやはり「神との対話」なので、やはりそれをベースにするしかないと思い、この本を買ってみた。
なるほど、こんな風に説明すればいいのか、というヒントにはなった。
ただ、やっぱり元々の読者の想定が、キリスト教の知識がある事、何ならイヤイヤでも教会に通ったりしていて、神様に祈るという習慣がある子供たちを相手にしているのが、どうも引っかかる。
「神:人は神のかたちに似せてつくられたという言葉は聞いたことあるかい?」「本書に出てくるティーン:ええ、あるわ!」みたいな感じなのだ。
これでは、日本で無宗教で暮らしてきて聖書の知識がないうちの子には、せっかくいい話も「よく分からない、あんまりピンとこない」となってしまいそうだ。
12歳になった娘にプレゼントして勝手に読んでもらおうと思っていたのだが、かなり無理そうだと判断。どこかで時間を作って一緒に読書会をするのがいいかも知れない。
この本は「そのまま日本語に訳す」だけでは「日本人の10代のために訳した事にはならない」のだ。ほとんどの日本人の10代は、聖書の知識もないし、恐怖で支配する神もいない。だから「罰してくる恐怖の神だと思っていた存在が、実はもっと素晴らしい神なのだ」というアプローチでは、そもそもピンとこない……。
本書は残念ながら日本の10代には「神との対話」の考え方の良さを伝えきれていないと思う。日本語に訳すということは、日本語しか分からない人向けの本という事である。そのまま訳しても、それこそキリスト教系の信仰を持っている10代にしか響かないし、そんな10代は日本にはごく少数だ。そもそも10代がキリスト教系の信仰を持っていると言う事は、親もキリスト教の信仰を持っているということになるだろうし、そんな親がキリスト教にとって冒涜的であるこの本を読むことを許すとも思えない(苦笑)。
この本の目的を達成するためには、日本独自の宗教観にも当てはまるような全く別の本を作るか(もうあるかも知れない)、そのまま訳すなら、もっと聖書に関する解説を書き足す必要があったのではないかと思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
10代のための神との対話 ニールDウォルシュ PHP
最初の慰問は
神はすべてを愛する観察者だと言いながら
個人と対話をして意見を述べることに
全能なる唯一神として
矛盾がないのだろうかと言うことだった
更には無限の愛は魂のふれあいだということと
有限の物質界に居る現実を
どうつなげるのかと言う問題だ
愛にはエロスとフィレオとアカべーの三種類があり
どれもフィーリングと表現法の違いで同じだと言うが
エロスとフィレオは情と呼ぶべきでないか?
最後に
一成る絶対神はすべてを創造し続ける全能が故に
間違いを犯すことができない筈だから
矛盾で成り立つ相対関係を写し鏡として
創造すること事態に矛盾があるのでないか?
神であることの問題はさておいて
ここで語られる内容が
現実の大人社会の軋轢に
追い込まれている子どもたちとって
どれだけ救いとなり自律を意識させ
幸福を見つけ出せるか計り知れないと思う -
10代の少年少女とかみ様との対話形式、
このくらい平易な文章だと理解しやすいかも。 -
分かりやすくて本当に面白い!
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神との対話の内容を、生きていく中で抱く疑問に対してだけ、的を絞った本。簡潔にアドバイスをしている。PCへ