[新訳]フランス革命の省察 「保守主義の父」かく語りき (PHP文庫)
- PHP研究所 (2020年12月2日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
- / ISBN・EAN: 9784569900940
作品紹介・あらすじ
変革栄えて、国滅ぶ。これは230年前に書かれた「現代日本の省察」だ!
18世紀、自由と秩序のバランスを求めて、華麗な弁舌をふるったイギリスの政治家・文人エドマンド・バーク。保守主義のバイブルと呼ばれる代表作について、刊行当時のインパクトを甦らせるべく、最先端・最高峰の名訳で再構成。
理想社会の建設を謳ったフランス革命は、以後のあらゆる変革の原型となった。だが高邁な理念は、凄惨な現実と背中合わせだった!
「自由なら何でも良いのか?」「茶番を続ける国民議会」「すべてを変えるのは無能の証拠」「地方は没落、得するのは都市のみ」「『愛国』税制の浅ましさ」「この革命は、とんでもない疫病かもしれない」──三色旗の向こうに、混乱を重ねる日本の姿が見えてくる。
文庫化にあたっては、話題の現代貨幣理論(MMT)とフランス革命との関連も詳しく解明、いっそう画期的な内容となった。気鋭の評論家・中野剛志氏による解説も必読。
感想・レビュー・書評
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保守の聖典として歴史的価値を持つ本ではあるが、リベラルを自称する人も読むべき好著。
自国にフランス革命の気風と思想が流れてきたゆえに、一度立ち止まって実践的な現実感覚を取り戻そうとバークは熱烈な弁を立てる。
「自然」という言葉の使い方が今となってはさすがに古い気がする。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
フランス革命をイギリスから見ていたエドマンド バーグの本であるが、イギリスから見た見解であるがために、少し退屈である。
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無茶苦茶をする。
ごくふつうのひとたちが、いつだって社会をはちゃめちゃにする。
権利や自由、平等だなんて、綺麗毎を奉り、盾にしながら、武器にもすることで、暴走する。後先を考えることができない、自分たちが仕出かしていることを相対化することができないせいで、右に左に、前に後ろに、自分たちを振り回して、あてどもなく振り回されて、にっちもさっちもいかない世界を自らの前に作り出していく。
そうなることは必然だ。なぜなら、何ひとつわかっておらず、何ひとつわかろうとしていないからだ。そして、何かひとつでもわかることができるほど、考えることができないからだ。
その自分を自覚することさえもできない。考えることができないのだから、つまりは、相対化ができずに、何ひとつ気づくことができないのだから、自分が仕出かしていることが一体どういうことなのかを掴まえることなんてできるはずもなく、訳も分からず、自らで吐き出しているだけの「言葉」に振り回されるばかりで、まったくもって、一体全体どうなっているのか、混乱して、惑わされるばかりになっていく。
「ふつう」がやばいことだとは、はやくからわかっていた。
ふつうは、なにも思わないことだから。いまがいまのままでいいとなんら疑問ももたない姿だからだ。ふつうは、考えることがはじまらないことと同じ意味だからだ。ここで使う、何も思わない、考えないという意味は、鵜呑みにするということだ。自分自身のことなのに、どこかのだれかのどんなものかもわからないひとのせいにする、社会のせいにする、自分に対する無責任のふるまいのことだ。
自分が手にしているいまが、鵜呑みにすることからしかはじまらないのならば、そういうひとたちが闇雲に手にしたがる、よりよい社会、素晴らしい社会、グローバルで平等で公正な社会。みんながみんな素敵なひとたちで、きちんとした揺るがない共感があるから、間違いなく良くなっていく社会。自由で平等で、差別のない、進歩していく私たちの社会。なんて、ただの上辺にしかならない。虚構といってもいい姿形でしか出来上がらないものだろうなんてことは、悲観的なぼくたちにはかんたんに想像できる。
どんどんと無茶苦茶になっていく。
大丈夫だ。いまが特別なのではなくて、むかしからほとんどは無茶苦茶だった。ひとというものががうぬぼれて、調子に乗ったとたんにすぐに無茶苦茶になる。無茶苦茶になってきた。ひとが素朴に生きているうちはまだましだったというだけ。
社会が便利さを増して、どんどんと生きることが簡単になってくるほど、余計なことに、ひとというものは調子に乗ってくる。それが増長してくる。それが昔といまの違いでしかない。進化していることとそれがまだ追いついていないことの違いでしかない。
こんな捉え方はあんまりだろうか。
ぼくは悲観的なんだ。
悲観的であることからはじめるようにしている。
それは、
無茶苦茶でいることよりも、自覚があることをつねに手放さないでいたいというだけだ。
自覚がないままでいられるようにはどうしたってなりたくない。なれるわけもない。なれる才能がない。
簡単に楽なほうへ。あたかも悲観するという手段で、自覚することを諦めることができる。考えることから離れていられる。そういう楽観主義の振る舞いには、どうしても共感ができない。
ただひとつの正しさなんてどこにもないことを、「ふつう」ならば簡単にわかるだろう。それとも、それすらわからないのかもしれない。
社会全体における正しさなんて、いつも危うい土台の上に祭り上げられるものでしなかいことは、はなから明らかだ。
全員でマスクをすることや、全員でワクチンをうつこと。全員で外出自粛をすること。ほんとうにばかばかしくなるほどの一例でしかないことだけれど、それが、いま目の間に繰り広げられる気色悪さ。
ひとつの姿しか受け入れられない空気を作り出すことの異常さを、まるで見て見ない振りをする。気づかない振りをする。ひとつの正しさをごくんと飲み込んでしまうことで、それ以上、考えることを手放してしまう。手放してしまえる安易さに、自らを振り向けて、そしてもうそれ以外は見向きもしないようになる。
それは結局、巡り巡って自分自身を傷付けることにしかならないのに。
得意技はここからだ。
ひとつの正しさを共有しないものたちを、差別し始める。レッテル張りをして、貶めようとする。否定し、しまいには傷つけようとさえする。正しさを物事の道理にして社会が立つ根拠にしているはずなのに、その正しさを自らで毀損していくように、自由や平等、ひとのもつはずの基本的な権利に基づくものとは真逆の行動を自らでとりはじめる。そして、そのことにまったく気づくことができない。
二重規範にすぐに嵌っていく自分を、その目に映らないものに、平気でできる。
それができるのが、リベラルという病気だ。
そして、その病気と仲良くできてしまう才能を、「ふつう」は持っている。 -
「長年にわたって機能してきた社会システムを廃止するとか、うまくいく保証のないシステムを導入・構築するとか言う場合は、『石橋を叩いて渡らない』を信条としなければならない」という一文が重い。不確かな「改革」を推進する者は、保守主義の父と言われたバークの言葉の意味をもう少し考えた方が良い。
「三色旗の向こうに、混乱を重ねる日本の姿が見えてくる」という謳い文句に偽りなし。 -
保守派の著者から見た、当時のフランス革命。辛辣な意見がひたすら書かれている本。美談として扱われがちなフランス革命を違う角度から捉えさせてくれる本。