面白くて眠れなくなる進化論 (PHP文庫)

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  • PHP研究所
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784569902043

作品紹介・あらすじ

「遺伝子の正体とは?」「カブトエビの危機管理」など、生物の多様性と適応をめぐる進化論の知的冒険について、わかりやすく解説!

感想・レビュー・書評

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  • 進化の話かと思ったら、進化論の進化の話でつまらなかった。確かに題名はそう書いてあるけど、そんな話だれが知りたいのか。また二度と買わない作者リストが増えた。

  • 『面白くて眠れなくなる植物学』から続くこと2冊目。進化論もなかなか面白かったが、植物学の本よりも時系列でストーリーとなって研究の経過がつながっていっているので、集中して読まないと着いていけなくなる。だが、ダーウィンやメンデル等が神の作り出した世界・生物体系論とどう戦い、現代科学にまで発展してきたかが大変わかりやすく書かれていて、面白い。確かに…!なるほど…!の詰まった本。さらっと読めます!

    p.40 生物には交配することのできる同種の個体はたくさんいます。そしてたくさん生まれる子供のうち、大人になるまで生き残ることができる答えはごく1部です。生まれる子供の中で、他の答えよりも現在の環境に適した答えがいれば、その答えは生き残りやすいでしょう。つまり、平均的に見て、より環境に適応した個体のみが生き残れると言うわけです。多くの子供の中でごく1部の答えしか生き残れないため、生き物の中には生き残りをかけた競争があります。これを「生存競争」と呼んでいます。「生存競争」が繰り返されれば、品種改良と同じ原理で「その環境に適した性質を持った答え」が増えていきます。生物の平均的な性質は徐々に変化して、より環境に適応した形になる。これがダーウィンの考えた「自然選択説」の骨子です。あ、まだ1つ残っていました。ラマルクの「用不用論」がダメ出しされたのは、親が経験によって獲得した性質は子供に伝わらないからでした。ダーウィンの「自然選択説」でも、選ばれた性質が子供に伝わらないのであれば、それがいかに有利の性質でも2世代にも集団から消えてしまいます。つまり、生物が変化していくことになりません。賢明なダーウィンはもちろんそれを知っていましたから、ちゃんと答えを用意しています。当時、遺伝の仕組みをわかっていませんでしたが、人間では、後は生まれつき親によく似ています。この事実から、形質の遺伝はあり、そのように遺伝する性質だけが「自然選択」により、適応進化したのだとダーウィンは考えたんです。

    p.98 すべての科学的事実と言うものは常に「現時点でのベスト」に過ぎません。つまり、本当はもっと優れた仮説が存在する可能性を完全に否定する事は、それこそ「絶対にできない」のです。同様にあることが「絶対にない」と言うことも決して言えません。

    p.124 その一方で、科学の世界では、オリジナリティが大事だと言われるのですが、オリジナリティに富んだ研究をしているとなかなか論文が増えないと言うジレンマを抱えています。プロの学者として生きていくためには業績が必要なので、誰もが認める、既存の理論の延長線上の研究を行った方が、論文生産効率が高くなり、たくさんの業績を出しやすくなる。その結果、新しいことにチャレンジする人は業績が出にくくなると言う矛盾が起こるのです。そんな中、自然選択により進化とは全く異なる進化があることを喝破し、適応万能論が滅びる中、毅然とそれをそれと相容れない主張し、抵抗と闘いながら認めさせていった1人の研究者がいました。

    p.156 ダーウィンの「自然選択説」を要約すると、「2つの異なる遺伝的変異体は、どちらがより子供が残しやすいかと言う競争をしており、この能力に優れた方が生き残り、劣った方が滅びる」と言うものです。競争は、足の速さ、力の強さ、上に耐える力など様々な形質によって置いて行われますが、結局は、「子供をどれだけ残せるか」と言う観点に還元されて評価されるわけです。ダーウィンのこの考え方は「競争的排除」と呼ばれ、「自然の選択説」の大原則として認識されています。

    p.168 古くは、「種が進化の単位である」と言う意見を持っていた今西錦司博士によるかげろうの研究で示されました。川の岸から流心まで出るように形態の違うかげろうの種が連続的に住んでおり、1つの川の中で、競争が起こらないように利用場所を変えていました。今西博士はこれを「棲み分け」と名付け、種が生き残るために競争しないように進化したのだと解釈します。しかし、「自然選択説」の観点から見ると、この現象は環境利用が似た闘争的な2種類が出会った時に、「まともに競争にさらされるような形質を持ったタイプ」と「競争を緩和させるような形質を持ったタイプ」がいる場合は、後者の方が競争にコストをかけないですむぶんだけ、前者よりも適応度が高くなります。そのために、それぞれの種類の中で、互いに競争が緩和されるような形質が進化したからだと説明できるのです。つまり、個体レベルの自然選択が働いた結果、棲み分けが生じたと言うことであり、環境利用が同じ種類は、やはり「環境的排除」によって、どちらかが絶滅するのだと言うことです。

    p.194 生物学的には、性とは、「子供を残す時に他の答えの遺伝子の1部を取り込んで混ぜる行為」として定義されます。生物のほとんどは何らかの形で声を持っていますが、生物はもともとバクテリアのようにただ分裂して増えていくものだったはずですから、性は無性の状態から二時的に進化してきたものです。そこがこれだけ多くの生物に見られると言う事は、性には無性生物にはない何らかのメリットがあるからだと考えられます。

    ところが、性があると言う事は、「適応度」の点から見ると大きなデメリットのです。例えば、子供を産むのはメスです。という事は、自分の子供全部メスにした時、孫世代に最も多くの子孫を残せることになります。有性生殖生物は必ずオスの子供を生まざるをえません。子供の半分をオスにすると、孫の世代に生産される子供の数も半分になってしまうのです。しかし、無性的に繁殖すれば、すべての子供は子供を産めますので、この問題が生じません。つまり、性を持つと、それだけで適応度がいきなり半分になるのです。これを「性の2倍のコスト」と呼びます。無性生殖をしている集団の中に優勢の変異体が現れたとしても、そのメリットが2倍より大きくならなければ進化できないと考えられます。

    環境がさまざまに変動しても、子供の中の遺伝的多様性が多ければ、いずれかの子供は生き延びることができ、自分の子孫が絶滅しないと考えているのです。種の進化を説明する時、変動する環境と物理的な環境のことではなく、宿主に致命的ダメージを与える病原菌などの生物的環境の変動も考えられています。病原菌の多くは宿主がある遺伝的な特徴を持っているときにだけ感染できるので、この場合も子供が遺伝的に多様であれば、すべての子供が病気に感染して絶滅することがなくなると言うわけです。物理的環境が変動する場合と、生物的環境が変動する場合は、理論上は別の仮説として考えられていますが、根本的なロジックはどれも同じで、子供が遺伝的に対応だと、すべての子供が死亡する確率が下がると言うことです。

    p.211 ダーウィンの「自然選択説は「環境に応じて生物が適応する」と言う観点では広く受け入れられて受けられましたが、「進化にはもっと決まった方向性がない」と言う観点はほとんど理解されませんでした。何故でしょうか。もし、決まった方向に向かって進化するんだとしたら、完成された形があるならば、何らかの理想がそこにあるからだと言うことになります。…もちろん神のです。科学はもともと、自然がうまくできていることを示すことにより、神の全能性を証明し、神を称えるための思想として広まったのです。もちろん、ダーウィンの時代の科学者も、自分では意識していなかったかもしれませんが、そのような思想的背景が自分の中にあったことでしょう。ましてや一般の人々ならなおさらです。「自然選択説」の思想は、そのような無意識的な進化の目的性をうまく説明します。だからこそ、ダーウィンの「進化論」がブームとなり受け入れられたのでしょう。また、人々が無意識に「神」、あるいは「超自然的な目的」と言う考えを受けられたので、敵を表示させる「統一原理」である自然選択が、「生物の多様性を説明する唯一の原理」として歓迎されたのでしょう。世界の裏には、それを実現するただ1つの原理がある。唯一心を掲げるキリスト教文化の下では、そのような「美しい世界」は1つの理想として輝いて見えたのでしょう。しかし、それは「適応万能論」や「現在の適応度を次世代の遺伝子コピー数とする」と言う硬直化した定義につながっているのです。つまり、多くのことを説明できるただ1つの原理により検査できる世界は、一神教的な基準ではとにかく美しいのです。

    しかし、科学としてのダーウィンの「進化論」の偉大さをむしろ、ダーウィニズムが一切「神」を必要とせずに、生物の多様性を適用を説明できた、と言う進化の無目的性にあります。ダーウィンの「進化論」が生まれ現れて初めて、私たちは、世界には完成形があると言う前提の子(神の子)に、生物の進化を理解することが可能になったと言う点にこそ、ダーウィンの「進化論」がその後の「進化学」の基盤となった根拠を求めることができるのです。

    p.216 進化には2つの側面があります。1つは、生物を多様化させて、適応を起こさせる機能的原理としての側面。これは「自然選択」であり、生物がどのような形質を持ち、どのような環境にいたとしても、常に働き続ける普遍の力として理解されています。ただし、ここだけでこれだけでは進化を説明したことにはならないのかもしれません。「進化学」には、「生命がこの世に誕生してから、どのように変化を続けて、様々な生物となっていったか」と言う、いわば進化の歴史を推定し、記述すると言う側面があるからです。この観点からは、「自然選択」の存在だけで、そのパターンが一元的に説明できるものではないでしょう。

    p.219 しかし、心配する事はありません。そういう新たな展開がまだあるだろうと言うこと自体が、学問にとっては希望となります。何をやっても従来の考え方からはみ出ることがないとしたら、もうその学問を研究する必要は無いのです。

  • 1 進化論の誕生
    神の御業を見よ―進化論以前
    生きている間変化し続ける生物たち
    世代を超えて変わるのか? 
    ラマルクの用不用説
    ダーウィンの冒険とフィンチとゾウガメ
    自然選択の発見
    神の存在

    2 進化論の現在
    遺伝の発見
    遺伝子の正体
    「総合説」の誕生
    連続と不連続 
    選択と連続性
    共生と進化
    適応万能論は思考停止
    中立説の出現
    進化の原理と一神教

    3 進化論の未来
    進化のレベル―遺伝子、個体、集団
    「説明できる」とはどういうことか?
    湖のプランクトンの多様性が維持される理由
    共存の力学
    カブトエビの危機管理
    適応度と時間と未来の進化論
    今やるか、明日やるか
    短期的効率と長期的存続
    一神教と多神教

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著者プロフィール

進化生物学者、北海道大学大学院准教授

「2022年 『面白くて眠れなくなる進化論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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