- Amazon.co.jp ・本 (136ページ)
- / ISBN・EAN: 9784582634785
感想・レビュー・書評
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シュルレアリスムは、「超」「現実主義」ではなく、「超」「現実」「主義」だそうだ。現実を越えた空想・幻想ではなく、「超かわいい」とかいうときの「何かしらすごい現実」ということなのだ。ふむ、今までの認識を一変させられたでしょ。そして、論理や理性を避け、自由に、様々な題材をもとに、さまざまな話題を繰り出していくのがシュルレアリスムということとアンドレ・ブルトンは言う。つまり「遊び」ということなのだ。作家個人の創造には重きを置かず、偶然どこかからやって来るイメージや言葉を重んじ、それゆえに集団ということも重要だった。専門性にも重きを置かず、合理主義ともデジタル思考とも距離を置いた。現実の中にある慣用によって飼いならされた事物を、オブジェとして開放するため、プチコラージュという手作業で作られ、偶然の出会いが求められたのだ。オートマッチックな手作業さえも行われた。写真であっても、見慣れた現実に合わせるのではなく、カメラの客観性に任せれば、超現実を表現することは可能なのである。
表現の多様性も重視したので、シュルレアリスム運動の中では、様々な手法が開発された。コラージュはもちろんだが、デカルコマニー、人体のメタモルフォーゼ、不思議な風景、コレクション、驚異の重視など。
まあ、結局は「遊び」ということに収斂されるのかな。たくさんの作家の作品が紹介されているので、とにかく見てみるべし。面白くて堪らない。岡上淑子や瀧口修造といった日本人作家の作品も面白い。いつまでも古びない絵画運動ではないかな。 -
深層意識に遊ぶ芸術運動シュルレアリスムを多角的に捉えた良書。アンドレ・ブルトンを筆頭にしたこのグループにはさまざまなアーティストが参加しては脱退していった。
この回転の速さはやはりブルトンという父権的な存在が大きい。個人的にはあまり好きではない人だけれど、やはりシュルレアリスムは芸術にとってなくてはならなかった運動だということは確かで、ブルトンの偉大さは認めざるをえない。
ひとつにはなんとなく閉鎖的な徒党を組んでる感じが苦手だったのだけど、本書を読んで、個人の創意などたかが知れている、みたいなことが書いてあってなるほどなと思った。
だからこそのグループだったのだ。本書にならえば、遊ぶための”場”と考えたほうが適切なのかもしれない。
シュルレアリスムの作品というのはお世辞にも魅了される作品は多くない。
マルセル・デュシャン、マグリット、ダリ、マックス・エルンスト、マン・レイとかは別格・破格だとしても、シュルレアリスムの考えからすれば、作者の署名じたいが重要性を持たないわけだから、”半作品”くらいに捉えて楽しめばいいのだ。遊びの痕跡。これは発想の転換だった。
下手に誰々の作品、と書かれると戸惑うけど、ガラクタのようにしか見えない作品はガラクタとみなして通り過ぎればよい。
作品も手法もだから同じように、偶然性を取り入れ、個として有機的にまとまることをいかに避けるかというベクトルへ向かっている。(ブリ)コラージュ、デカルコマニー、自動書記といった手法。
(ちなみにブリコラージュ(寄せ集めで作る)という概念は人類学者レヴィ=ストロースのものだとばかり思っていたが、もとの出どころはマックス・エルンストらしい。レヴィ=ストロースのほうがむしろ影響下にあったのだ)
日本のシュルレアリストとしてはやはり彼も別格、瀧口修造の存在が本書でもちゃんとフォローされている(ブルトンとのツーショット写真と、夫人との書斎での写真が良い。)
それからもう1人、岡上淑子のコラージュが取り上げられているのが嬉しい。金井美恵子の本の装丁で知って以来ずっと惹かれている。もっと作品が見たくなった。 -
集団ゲーム、オブジェ、コラージュ、写真、人体、風景、驚異、コレクション…
デュシャン、マン・レイ、エルンスト、マグリット、
ダリからコーネル、瀧口修造、シュヴァンクマイエルまで、
20世紀最大の芸術運動を、「遊び」の視点からとらえなおす画期的な本。
登場作家47人、作品図版250点、人名解説・索引つき。この1冊でシュルレアリスム美術がわかる!(アマゾン紹介文)
シュルレアリスムの入門書のような一冊。なるほど、紹介文に出てくる作家もダリやマグリットのように、門外漢でも知っている有名どころです。なんだけど、そも理論でどうとかが難しいジャンルなので、理解が及ばず。収録作品が多いので、図版としてはとみに優秀だと思います。 -
集団ゲーム、オブジェ、コラージュ、写真、人体、風景、驚異、コレクション…デュシャン、マン・レイ、エルンスト、マグリット、ダリからコーネル、瀧口修造、シュヴァンクマイエルまで、20世紀最大の芸術運動を、「遊び」の視点からとらえなおす画期的な本。登場作家47人、作品図版250点、人名解説・索引つき。この1冊でシュルレアリスム美術がわかる!
「シュルレアリスム」って何?というレベルの門外漢ですが、なんとなく惹かれるものがあって読んでみました。2013年に徳島と東京で開催された「<遊ぶ>シュルレアリスム展」と同時に出版された本書は、「遊び」を基本テーマとして、シュルレアリスムの世界を気軽に楽しめる構成になっています。もちろん難解で意味不明の作品も多数ありますが、多数のカラー写真を眺めているだけでも楽しいですし、初心者向けのわかりやすい解説と併せて読むと少しだけシュルレアリスムがわかったような気分になれました。今までボヤッと頭に描いていたイメージとはだいぶ違う世界でしたね。 -
遊びこそがシュールリアリズムの発端というのは納得
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シュルレアリスムとは何か。新しい視点を示されたような気がする。シュルレアリスムは、一つの主義主張を同じくする人々の単なる集まりではない。時も場所も方法も越えて、同じものを目指す人々なのだ。だから、広い。
コーネルの紙のコラージュ作品はあまり展示される機会がないけれども、こんなところで再会できるとは、と嬉しかった。コーネルの伝記でも触れられていなかったし。 -
損保ジャパン東郷青児美術館で開催中の「遊ぶ、シュルレアリスム」の図録として購入。綺麗にまとまっていてとても図録とは思えないと思ったら、この本が先に出版されて、この本に併せて美術展が開催されている?のかな。道理で面白い構成になっている。シュルレアリスムって言うと私はダリかマグリットぐらいしか思い浮かばないんだけれどシュルレアリスムの発生から日本への影響、その終焉、そして復活を興味深く描いている。キュビズムと判りにくさでは双璧だけれど現代美術に通じている部分もある、お手軽な入門書でした。図録にしては安いのもいい。お勧め!
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ひと口にシュルレアリスムと言っても、ジャンル的にも空間的にも広範囲に長続きしたムーブメントだけに、その成果物の層は厚い。それを100ページ強でまとめると言ったら、そんな無茶な、と思うかもしれないが、それがそんなこともなく、<遊ぶ>という独自の視点で面白く纏まっている。気軽に読めるし、読み終わった時にはお腹いっぱいだ。同著者『シュルレアリスムと何か』の姉妹篇・美術篇という位置づけなので、その他の画集等とあわせて読むといいかも。
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現在、徳島で開催中の展覧会カタログとして作られた本らしい。しかし、平凡社のコロナ・ブックスから出ているので、薄くて軽くて、でもオールカラー。持ち歩きながら読めて、しかも言及されてる作品を(小さいながら)カラー図版で確認できる。展覧会カタログは重いし、専門家の専門的な文章が中心で、買ってもついつい放置しがちだが、これならちゃんと読むし、展覧会の予習にもうってつけ。同展は夏に東京にも巡回するらしいので楽しみ。肝心の内容も、読み物として読みやすいよう工夫されていて、すんなり頭に入ってくるし、「なるほどシュルレアリスムってこういうことだったのか!」と納得できる。代表的なシュルレアリストたちのそれぞれの特徴がつかめて、さらに現代に至るまでその影響がどう続いているのかもよくわかった。今まで知らなかったアーティストの名前もいくつかあり、さらに興味がわいた。いやはや画期的な本。こんな本、もっと読みたい(というか自分が存在に気づいてないだけかもしれないが…)。
確かにあれが何で芸術っていうか、私にはまだ理解出来てないですね。
確かにあれが何で芸術っていうか、私にはまだ理解出来てないですね。
レディメイドのものでも、芸術になりうるということを示したことで、デュシャンの「泉」は、芸術史の中のエポックメーキング...
レディメイドのものでも、芸術になりうるということを示したことで、デュシャンの「泉」は、芸術史の中のエポックメーキングのようです。感覚で捉える芸術から、頭で、つまり思考で捉える芸術への展開ですね。アンディ・ウォルホールのマリリンモンローやデルモンテのトマト缶もその流れから出てきたものですね。
ほー。
ほー。