- Amazon.co.jp ・本 (529ページ)
- / ISBN・EAN: 9784582763294
作品紹介・あらすじ
文明開化期の日本…。イザベラは北へ旅立つ。本当の日本を求めて。東京から北海道まで、美しい自然のなかの貧しい農村、アイヌの生活など、明治初期の日本を浮き彫りにした旅の記録。
感想・レビュー・書評
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イギリス人女性、イザベラ・バードは病弱であったため、健康回復のために医者から旅行を勧められ、オーストラリア、マレー半島、チベット、朝鮮など世界各地の「奥地」を旅した人である。
そして、日本に来たのは、明治11年4月。「この国の中でもっとも外国人に知られていない地方を探ろう」と思い、北国を旅行しようと決心した。
しかも、綺麗に整備された街道ではなく、山間の道なき道や、橋のない川など、日本人でもわざわざ選ばないような酷い道ばかり。
イギリスから持ってきた簡易ベッドやビニールの折り畳み式浴槽や食料などの大荷物を馬に乗せ、そして伊藤という18歳の少年を通訳兼助手として雇って大冒険をした。
文の形式はイギリスの妹や友人に宛てた手紙という形式。なので、良いことも悪いこともあまりにも率直に書かれている。
山村の農民は男性は殆ど何も着ておらず、女性も着物を腰まで下ろし、いつも子供をおぶっていて、子供までがもっと小さい子供をおぶっていて、ものすごく貧しく、不潔のために殆どの人が皮膚病で、宿として泊まった家で出された食事も黒い米やきゅうりばかりなどひもじいものだったらしい。
日本の畳がどれだけ素晴らしいかを褒め称えているのだが、「残念なことに蚤だらけ」だったそうだ。
そこらじゅう蚤だらけで、その上、その頃の農村の人々には「換気」の概念がなく、家を締め切っているので、煙と湿気でカビだらけで下水の匂いが臭かったらしい。
しかし、どんなに貧しくても「乞食はいなかった」と書かれているとおり、人に施しを受けて生活する人はおらず、皆、勤勉に働く国民性であることも率直に書いている。
そして、イザベラが休んだ茶屋で食事もお茶も食しなかった時には「宿の女主人は決して代金を受け取らなかった。何故なら私が水しか飲まなかったからだという。」と書かれていることから、貧しくても誇り高い国民性だったのだと分かる。
そしてまた、世界各地を回ってきたイザベラから見ても「こんなに子供を可愛がる人たちを見たことがない」というほど、子供を大事にする国民性でもあったのだ。
また、外国人を見たことがない人ばかりで、イザベラの噂を聞きつけて人だかりが出来たことや宿で隣の部屋とを仕切る障子の穴から「無数の細い目が覗いていた」というプライバシーなどない宿泊生活であったらしい。
イザベラは横浜から東京、栃木、福島を通り、山間部を通って新潟に抜け、それから山形、秋田、青森と進んで、北海道に渡り、北海道ではアイヌ人たちを訪ねた。
日本人の生活や国民性だけでなく、景色の描写も素晴らしい。日光や会津や新潟の旧市街など「土足で歩くのが申し訳ないほど」掃き清められた道というのもすごいが、馬がつまづき、馬から何回も落とされてしまうような酷い山間部の旅でも、ふとした時に見た山の色などが見たこともないくらい素晴らしかった様子も書かれている。
アイヌ人との交流では、イザベラは何日間かアイヌ人と過ごしたにも関わらず、「彼らは未開人であり下等である」と書いているのだが、「誠実で親切という点では我々キリスト教の洗礼を受けたイギリスよりもずっと高度だ」と感心している。アイヌ人はお客様のことは手厚くもてなすのを慣習としており、お客様が帰る時には必ず、黍団子を作って振る舞うらしく、イザベラが帰る時にも出されたのだが「汚い手で丸め、洗っていない鍋で煮られた」団子に手を付けられず、アイヌ人を困らせたということだ。
イザベラから見てアイヌ人は非常に美しく、笑顔は魅惑的で、アジア人というよりヨーロッパ人に近かったらしい。欠点は殆ど手を洗う習慣が無く、不潔であること。皆大酒飲み(お酒を飲むことは神が喜ぶことだと思っている)なので働いても貯えが出来ないこと。そもそも時の流れの概念がなく、刹那的に生きているので、今の働きや稼ぎを未来に繋げようという意識がないことなど。
アイヌ人のことを下等な人種のようにもイザベラは書いているのだが、「下等」ではなく、「お人好し」だったのだと私は思う。イザベラがアイヌ人達に「闘わないのか?」と尋ねたところ、「ずっと昔、我々の先祖は皆槍を持って戦っていたが、ヨシツネが現れ、武器を捨てるように言ってから、闘わない。」と答えたそうだ。実際、平取のアイヌ部落の中には源義経を祀った日本式の神社があり、何故かアイヌ人たちは自分たちの大切な神として拝んでいたらしい。先祖が松前藩から受け取った骨董品を代々、大切に受け継ぐなど、日本人に対して敵対心を表すよりも「なんとかうまく折り合いを付けていこう」というアイヌ人らしさが現れている。こういう民族性は小説「熱源」にも書かれていた。
アイヌ人の習慣である入れ墨は「無くてはならないもの」だったが、「最近日本政府が入れ墨を禁止したから心配している」とイザベラに打ち明けたり、少量の毒を矢に塗って狩猟する彼らの方法も日本の法律の中では禁じられていることなど、少しずつアイヌ人が生きづらくなっていく様子がタイムリーに報告されている。「我々の生活のことをどうか日本政府には報告しないでほしい」と懇願する様子も書かれている。
イザベラは「アイヌ人は頑強なのでそう簡単に滅びないだろう」と書いているが、およそ150年後の現在は果たしてどれだけ子孫がいるのだろう。
イザベラの通訳兼助手の伊藤のように「アイヌ人は犬の子孫だ」と信じて差別し、その生活に興味を示さなかった日本人が多かった中、言葉を記録し、生活習慣を文字と絵で記録し、家の構造も記録し、人間性についても率直に書いてきたイザベラの仕事はノーベル賞級だと思う。
北海道の景色の描写なども素晴らしいが、道中に利用した北海道の馬が、みな鞭で打たれまくり、酷い扱いを受けているので使い物のならないほど痛んでいたというのも意外なことだった。
日本人の生活については私達が歴史の教育の中で教えられず、ショックなほど酷い生活状態が記録されていた。アイヌ人については「日本人が見向きもしなかった」細かな記録が残されていた。
どちらも「敢えて後世に伝えられなかった」面と「そもそも同時代の政府から興味を持たれていなかったため、公式な記録に残らなかった」面があるのだろうと思う。
今まで、「文明開花」「富国強兵」というような言葉や歴史上の有名人物や建築物や戦争などでしか埋まらなかった、頭の中の「明治」というジグゾーパズルのピースが少しずつ少しずつ埋まってきた気がする。
シーボルトやヘボン博士とも交流のあったイザベラ・バード。そんな時代、前人未踏の日本発見の旅を記録したこの本。全日本国民の必読書だと思う。
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読みたかった本。明治11年47才のイザベラが18才の通訳兼従者・伊藤と共に東日本と北海道を旅する。当時の農村の非常に貧しい暮らしぶりやアイヌへの考察などの記録も重要だが、自然災害や怪我にもめげず旅を続けた彼女の強さに驚嘆。
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ずっと読みたい本なのに、なかなか機会に恵まれずにいる未読の一冊
です。
『タフな女性』の話は好きなジャンル、軟弱な自分のお尻を引っ叩くた...ずっと読みたい本なのに、なかなか機会に恵まれずにいる未読の一冊
です。
『タフな女性』の話は好きなジャンル、軟弱な自分のお尻を引っ叩くためにも・・・。憧れに終わらせたくない私の悪あがきは生涯続きそう。2023/07/18 -
しずくさん、コメントありがとうございます!
「軟弱な自分」という意味ではしずくさんに引けを取らない私ですよ。読んで改善されたのかは疑問です...しずくさん、コメントありがとうございます!
「軟弱な自分」という意味ではしずくさんに引けを取らない私ですよ。読んで改善されたのかは疑問ですが‥。この本を読むとイザベラさんはただタフなだけでなく「それならそれでしょうがない」と事実を受け止める柔らかさもあり、そのバランスが踏破につながったのかなと思いました。
一気に読まなくても、他の本や映画の合間に一日ごとに読んでも旅行気分を味わえて面白いと思います♪2023/07/18 -
111108さん適切な返信コメントをありがとうございます!
>「それならそれでしょうがない」と事実を受け止める柔らかさもあり、そのバラ...111108さん適切な返信コメントをありがとうございます!
>「それならそれでしょうがない」と事実を受け止める柔らかさもあり、そのバランスが踏破につながったのかなと思いました。
そこそこなのです! その諦めができないからジタバタしちゃうのよね、私。
>他の本や映画の合間に一日ごとに読んでも旅行気分を味わえて面白い
最近、私もやり始めて1週間、長編と併せて苦手な短編作に手を出しています。2023/07/19
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旅行家の英国人女性が、明治初期の日本にやってきて、東京から栃木・新潟を経て東北地方、そして北海道を、若い日本人通訳の少年だけを連れて旅した紀行文。
欧州の人などほとんど足を踏み入れたこともない、日本の田舎を、人力車や馬車、徒歩で走破。当時の農村・山村や漁村の生々しい生活の様子が、外国人の視点でストレートに表現されており、すっかり洋式化してしまった現代の我々が当時の日本の田舎の生活を見れば、同じような印象で受け止めたのではと思いました。
石造りの建物に慣れた目から見ればみすぼらしい田舎の木造・板葺きの小さな家、プライバシー皆無のふすまや障子だけで仕切られる部屋、洗濯や沐浴の習慣がない様子、蚊や蚤虱、肉や乳製品がない食べ物の不自由さ…。一方で、外からの珍客を懸命にもてなす思いやりや、子どもたちを慈しむ様子、北海道に渡ってからはアイヌの人たちの暮らしぶりなども紹介されていて、近代化にはまだ程遠い日本の奥地で、長く長く続いてきた日本の暮らしが垣間見えました。
若干というかそれなりに相応に、先進国のお嬢様の、後進国の原住民に対する上から目線の表現があるのですが、時代から考えるとそれも自然だったかも。でも、例えばアマゾンや中国・東南アジアなどの僻地に暮らす人たちを私たちが見る目も同じかもしれないと、ドキッとする面も。
あまりにも率直に、みすぼらしい、不潔、汚い、嫌だ…と書いてあるので、慣れるまで若干複雑な心境ではありましたが、だからこそ実情に近いのかなと思い、興味深く読みました。 -
明治初期に日本の奥地ー東北地方から北海道にかけてを旅した英国夫人の紀行文。
自然に対する詩的な表現はいかにも英国人らしく、興味津々に土着文化のなかにわけいっていくバードの筆致はとても楽しいのだけれど、ここでも映画『サーミの血』を思い出す。
イザベラ・バードと現代人の自分では当然ながら受けてきた教育、歴史への反省に差があって、自分に元気がないとその差を時代の違いだと飲み込めないので読み進みめるのになかなか時間がかかった。
しかし彼女は当時の英国上流階級の女性の常識の範囲内で精一杯異俗への理解と愛情を示している。つまり、当時のヨーロッパ知識階級の人びとの思考として捉えてもよいのだろうな。
色々とし手厳しい意見も多いがアイヌのイヨマンテ(熊送り)の儀式についても言及があり、わたしはイヨマンテの記録映像はとても見ていられなかったのだけど、それをバードは熊信仰の儀式としてたんたんと記録している点でも信仰自体については(その信仰を未熟とか言っていても)敬意を払う人であったことがわかる。
とりあえず宮本常一の解説本が次に控えているので未消化のままにしておく。 -
名作。日本人にあとあと読まれることを想定していないのか、言いたい放題。それだけに貴重。
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2021年2月21日読了。
明治初期、日本人が知らない日本を旅した英国女性イザベラ・バードの紀行文。
横浜を発ち、日光、会津、新潟、山形、秋田、青森を経て、アイヌへ。文字通り「奥地」へと進んでいく。
良くも悪くも素直で忌憚ない書きぶりが面白かった。 -
旅行記の嚆矢。情景がありありと想い浮かぶような、瑞々しい記述に驚く。明治初期の日本の地方の情景が、あまりにもよくわかる。また、アイヌに関する記述も、非常に素晴らしい。日本国内には、ここまで適切な記述があるのだろうか。外国人故によくわかったということなのだろうか。また、いくつもの山越えをし、苛酷であったろう道のりにも驚愕する。
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明治10年の著書だから、およそ130年ほど前か。
当時のイギリス人から見た日本人の姿、そしてアイヌ人の姿が生々しく見えて興味深かった。
特段目を引くのは、形容詞である。
最初は、その対象のビジュアルを表現する形容詞と、形容された対象に対して著者が抱く感情を表現する形容詞のギャップから、訳者の直訳によるものなのかと勘ぐるほどだったが、読み進めるうちにこの感覚こそがイギリス的なのかもしれない、と思った。
また、アイヌ人を表現する「音楽的な声」という表現がとても印象に残った。
アイヌ語がわからないが故にそう感じたのかもしれないが、著者の細やかな観察眼から推測するに決してそれだけではなく、本当に声の質やリズムも音楽的であったのだろうと思う。
果たしてどんな声で話していたのだろうか? -
明治初期、鉄道もなく整備された道さえない山間の農村集落を巡りながら、東北地方、蝦夷へ単身で旅をする。
今でさえ難しく感じるこの道のりを、言葉も不自由な外国の、しかも女性が成し遂げたという事実を、どれだけの人が知っているでしょうか。
「だだだ大丈夫!?」―最初の私の印象。
読み進めるほどに、イザベラさんのタフさに圧倒されます。
宿では大量の蚊や蚤と戦い、道では馬に落とされたり踏まれたり暴れられたり、川を泳いで渡ったり、首つりになりそうだったり。
そんな過酷な状況を面白がってるところがあっぱれ。
加えて、彼女のものを視る目の公平さに心を打たれます。
美しいものは美しい。
醜いものは醜い。
自然も人間も彼女の感性のまま、ありのまま描かれます。
「ああ、しかしなんとすばらしかったことか!」
そう彼女に言わしめた数々の景色は、現代ではきっとほとんど失われてる。
でも、この本の中で、色褪せることなく輝き続けています。
宮本常一の解説本とは、いろいろ趣きが違う様です。やはり原典は大切ですね。
宮本常一の解説本とは、いろいろ趣きが違う様です。やはり原典は大切ですね。
kumaさんのおかげで、宮本常一さんという人を知りました。宮本さんの著書も読んでみたいと思いました。
原典は...
kumaさんのおかげで、宮本常一さんという人を知りました。宮本さんの著書も読んでみたいと思いました。
原典は豊かな西洋人の目から見た客観的で新鮮な目で捉えた「日本の奥地」ですが、宮本さんはそれを民俗学者の目で捉え直して分かりやすくされているのでしょうか?
イザベラ・バードはお嬢様育ちのようで、基本的に日本人やアイヌ人を高い所から見ている感も否めず、「蚤だらけ」とか文句ばっかり垂れているのですよ。そんなに文句があるならもっと綺麗な旅をすれば良いのに、シーボルトやヘボン博士と知り合いならいくらでももっと綺麗な旅が出来そうなのに、わざわざ不便で汚いところばかり通る旅をし続けたイザベラはお嬢様どころかとても進歩的な女性だったと思います。