江戸の本屋さん: 近世文化史の側面 (平凡社ライブラリー こ 18-1)

著者 :
  • 平凡社
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感想 : 11
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  • Amazon.co.jp ・本 (268ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784582766851

作品紹介・あらすじ

江戸時代のはじめ京都で、出版業は始まった。次いで大坂で、やがて江戸でも、本の商売が興隆する。読者層が拡がる。書目が変わる。統制の制度がつくられ、須原屋とか蔦屋とか、本屋たちの新しい経営戦略が展開される-出版を軸にして近世という時代とその文化を見直すとき、既存の歴史観の殻がやぶける。新しい近世研究を促した名著、待望の再刊。

感想・レビュー・書評

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  • 明治5年2月「学問のすゝめ」初版。
    諭吉の期待をはるかに上回る売れ行きだったという。再版に次ぐ再版、更に再版。
    この当時の活版印刷技術は大量生産にたえない未熟なもので、木版の方が生産性が高かったらしい。活字本で出したい諭吉。しかしあまりの売れ行きに木版で応えざるを得なかった。
    明治9年以降になると、新聞が活版印刷で軌道に乗るようになる。
    そこに至るまでに、膨大な読者をすでに抱えていた。
    本書は、印刷が近代化する前の、江戸の出版業者の盛衰を描いたもの。
    非常に興味深い江戸の文化史でもある。

    タイトルに「本屋さん」とあるのに、出版文化史とは?と言われそうだが、江戸時代の本屋さんは出版も兼ねていた。
    作家さんの育成とプロデュース、印刷のスタイル、印刷部数とか販売方法とか、それらを全て請け負っていたのが江戸の本屋さんだ。

    創成期は京都。
    仏書や日本の古典、俳諧本や浄瑠璃本・説教本も出されたが、まだ特権によりかかったもので、一般庶民まで読者を開拓する意欲はなかったという。
    やがて大阪書商の時代となり、好色本やハウツー本を庶民相手に売り出すように。
    すでに幕府や大寺院などとの結びつきはない。
    大阪の本屋さんたちは農村にまで出向き、本を売ったり貸して歩いたというから感動的だ。
    都市の発達とともに江戸でも膨大な読者を獲得していくのだが、幕府による出版規制も厳しくなっていく。
    売れ筋の本が出版できないだけでなく、時事ものは発覚したら死刑にさえなったらしい。
    文化の担い手である本屋さんへの肩入れが強く、為政者に対する著者の眼はかなり厳しい。
    徳川綱吉、松平定信、もうかたなし。
    小さなトリビアだけど、「奥付」を発案したのは大岡越前守だ。

    杉田玄白の「解体新書」刊行を引き受けた須原屋市兵衛。
    近代出版の先駆者だったという蔦屋重三郎。
    江戸を代表する本屋さんの生涯と仕事も詳しく掲載されている。

    さて言論統制の中でも、時事問題に関する禁書を写本という形にして「貸本屋」で貸し出すことで本屋さんは生き残っていく。
    文化5年(1808年)大阪の貸本屋は300人もいたらしい。
    江戸では800軒もあったというから、さすがの逞しさだ。
    なじみ客の文化サロンのようでもあり、一冊も借りずに日がな読みふける客もいたようだ。
    そうした裏のコミュニケーションは、封建的な秩序を変質させていく。

    ここで最初の福沢諭吉の場面に戻る。
    活版印刷の発展とともに、江戸の本屋さんたちは明治20年頃にはほぼ姿を消している。
    しかし、読者を拡大し読むことの楽しみを庶民レベルまで浸透させてきた功績が消えるわけではない。本好きな先人たちの話は読んでいても嬉しくなる。
    「学問のすゝめ」を読みふける明治の人たちの、その気概に圧倒されそうだ。
    為政者を脅かすほどの強大な力を持っていた江戸の本屋さん。
    戦乱の時代が終わり、安定期の中で文化の広がりを見せていく動向。
    庄屋さんの日記に書かれた晴耕雨読の満ち足りた日々。
    硬質な文章で書かれた、エネルギーにあふれた一冊だ。

    1977年刊行の本書は、近代史研究の先駆けだったらしい。
    一般向けに書かれたもののようだが専門的な記述も多い。
    「図書館と江戸時代の人びと」「江戸の蔵書家たち」「江戸の読書会」と読んできて、多少下地があったせいか理解しやすかった。
    面白かったので、もう少し関連本を読んでみたい気持ちでいる。

    • 夜型さん
      江戸庶民の読書とまなび はいかがでしょうか。
      https://bensei.jp/index.php?main_page=product_...
      江戸庶民の読書とまなび はいかがでしょうか。
      https://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&cPath=&products_id=100803
      2020/09/08
    • nejidonさん
      夜型さん♪
      これ、すごーく読みたいです!
      表紙とタイトルだけでワクワクしますね。
      いつも[読まずに死ねるか]という気持ちにさせて下さっ...
      夜型さん♪
      これ、すごーく読みたいです!
      表紙とタイトルだけでワクワクしますね。
      いつも[読まずに死ねるか]という気持ちにさせて下さって(笑)ありがとうございます‼
      2020/09/08
    • 夜型さん
      改めましてこんにちは。
      薦めるのは、タイミングが大事だと思うのですね。
      よかったです。
      独学大全ももうすぐです。
      届くのが楽しみ。死...
      改めましてこんにちは。
      薦めるのは、タイミングが大事だと思うのですね。
      よかったです。
      独学大全ももうすぐです。
      届くのが楽しみ。死ねません。生きましょう、共に。
      2020/09/08
  • 本の本
    書店
    歴史

  • 当初の興味は、今ではほとんど忘れ去られてしまった、江戸時代に興隆した出版文化、特に大量の書籍印刷が、彫り師による手彫りの木板(版ではない)によって支えられていたという、驚異的な事実への好奇心である。

    パソコンでチャチャッと文書を作ってしまえる(まさにこの評価もその一つ)今に比べると、思想を文字にして普及させるための手間暇は、実に驚くべきものだ。特にこの想いが強くなったのは、江戸期に生きた盲目の国学者、そしてヘレンケラーがその生き様に励まされ、日本に訪れた時に真っ先に希望したという、塙保己一先生の『群書類従』の板木約一万八千枚を、渋谷近くにある「温故会館」で実際に見た時である。江戸時代に掘られたこれら大量の板木は、今も一枚も欠けることなく保管されている。そして何より、今もこの板木を使って摺ったものを購入できるのだ。実に驚異というほかない。全部すると666冊にのぼる群書類従の板木は温故会館の大きな倉庫いっぱいに、天井から床までを埋め尽くしている。
    江戸期に発行されたこのような木板印刷の図書はゆうに千冊を超え、江戸期を通じて日本の津々浦々に普及していた書籍は一千万冊を超えるという。当時の人口が二〜三千万であったことを考えると、なんと日本人は知に対する貪欲な好奇心を持っていたのかと驚くばかりだ。しかしその出版文化は、現代には残っていない。この本づくりを支えたさまざまな職人も仕事も、やはり何一つ残っていない。群書類従の板木を手にしながら、果たしてこの板一枚掘るのに、一体どれくらいの時間を要し、そしてその対価はいかほどであったのか。。。

    一ページを埋める文字数にもよるが、今の原稿用紙、四百字詰原稿用程度の板を掘るのに、約一日半。板を掘るのに、著者の原稿を「筆耕」と呼ばれる書道に覚えのある人に清書をお願いし、特殊で薄い和紙に書かれた美しい文字は、板に貼り付られ、それを掘るのである。

    京都から起こった日本の出版文化は、大坂へ、そして江戸へと下る。当初江戸は京大阪の支店であったが、やがてその勢力は逆転する。特に江戸後期になると、寛政の改革による出版の検閲が、かえって京大阪に本店を持たない江戸発の新興の書手を増やし、また絵草紙など新たな庶民の関心に応える書籍が生まれる。

    江戸後期に書籍への需要が爆発した理由は、多発した地震や飢饉に対する対策書、北のロシア、南からの欧米の圧力、そしてそれらに対する日本人のとめどもない「好奇心」が生み出した「知への渇望」にあった。江戸期の出版産業はそれに応え、そして明治に入ってもなお二十年までは木板印刷が残っていた。明治十年の西南戦争を伝えたのは木板ですでに当時普及していた新聞だった。

    しかし、世の常であるように、江戸期の日本が生んだこの知の流れは、それが生み出したとめどもない日本人の好奇心の渦についに耐えきれずに巻き込まれて、それに応える形でようやく西洋の活版印刷が台頭する。学校ではグーテンベルク云々を教えられるが、日本ではその精神的素地を作った江戸期に普及したのは「手彫りの木板による出版文化」なのだ。つまり順番が逆である。しかしこの独自の出版文化は、須原屋市兵衛や蔦屋重三郎(TUTAYAの屋号のオリジンの一つ)のイノベーティブな姿勢を忘れて保身に入ったがために、ついに自ら滅ぶことになる。
    これもある意味、日本人の気質を示している気がする。

    ある意味、日本人が世界の動きに眼を覚ますのは、自らそういう滅びを招くことによってしか、期待できないのかもしれない。今の日本の産業は、まさにそういう自己満足と保身の塊であって、自ら滅びの道を歩んでいることに気がついていないように。

  • 江戸時代の出版事情と文化、読書層の変遷を綴る。
    I  京都町衆と出版・・・京都に始まる出版販売。
    II  元禄文化と出版・・・大坂での俳諧と浄瑠璃、浮世草子の流行。
    III 田沼時代の出版革新・・・江戸に花咲く出版文化。本は庶民へ。
    IV  化政文化と出版・・・本は地方へ。貸本屋の成り立ち。
    V  幕末の出版・・・寺子屋。地方書商、庶民の情報関心の増大。
    いかに本が庶民まで届くようになったかの変遷が面白い。
    幕府の出版統制や飢饉の救荒書についても、詳しいです。
    また、蔦屋重三郎、須原屋についての記述は、
    大いに参考になりました。
    残念なのは、著者もあとがきで書いているとおり、
    享保以後の京都・大坂の書商の動向が無いことですね。

  • 江戸時代の出版事情やそれに関わる人物や風俗などが書かれている本。

    ものとしては研究書に近いものがあるが、対象範囲が限られているのもあってそれほど込み入った内容ではなく読み物としても十分に楽しめる内容だと思う。
    江戸時代の町人文化について興味があるなら文句なくオススメの一冊。

  • 本屋や貸本屋の興隆を通じて江戸時代の出版文化の変遷をつづる。読者層の拡大と、上方から江戸への文化拠点の移動など、読んで引き込まれる。しかし松平定信は歴史関係で顔を出すと大抵ろくな影響を残してないな。

  • 本著のような近世日本に於ける読書市民層の成立の研究が進めば、政治学的な明治維新の捉え方だけでなく、日本における近代社会の勃興の機運の様態がより明らかになると思う。

  • 近世、京で始まり江戸へ伝播した出版業が、どのように成長し、確立されていったかが、解りやすく書かれている本です。
    電子化が急激に進んでいる昨今、今一度原点を振り返ってみるのも面白いですよ。

    【鹿児島大学】ペンネーム:まる
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    鹿大図書館に所蔵がある本です。
    〔所蔵情報〕⇒ http://kusv2.lib.kagoshima-u.ac.jp/cgi-bin/opc/opaclinki.cgi?fword=11111051210
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