- Amazon.co.jp ・本 (262ページ)
- / ISBN・EAN: 9784582833980
感想・レビュー・書評
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院生のときに同著者の『少女領域』を拝読してからずっとファンでした。近代文学、幻想文学、少女、少年といった私が形も作れず「好きだなあ」と思っていた世界をまるごとパッケージして縦横無尽に語り尽くされる論考にはちゃめちゃに心が踊ってずっと大切にしていた一冊でした。
不思議と著者の別の作品を探そうという発想が浮かばず(就職してから余裕がなかったのもある)、書店で10年ぶりに高原さんの著作を見つけた瞬間ぶわっと院生の頃の気持ちが甦ってすぐ購入しました。
尾崎翠、小川洋子、松井栄子、矢川澄子、稲垣足穂の論考が本当に面白かった。まだ読んだことのない赤江瀑の紹介にも興味が高まりました。多分取り上げられている著書の作品を読み終わるたびに、この作品を繰り返し読むと思う。
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筆者お得意の分野。
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第1章 山査子、第2章 葡萄、第3章 檸檬、第4章 巴旦杏、第5章 橄欖樹、第6章 桜桃、第7章 柘榴、第8章 無花果、第9章 棗、第10章 茘枝 といった、果実の名が冠せられた本。それぞれの章で扱っている作家はお楽しみに…。
著者にしては意外な程肩肘張っていない文章だと思ったが、「第9章 棗」の坂口安吾論で他著作の様な文体が復活してしまう。何故だろうと考えると著者の思い入れの強い作家や好みが強い程あの読み難い文体になってしまう様だ。『夜長姫と耳男』、『桜の森の満開の下』、『紫大納言』は「望ましくない安吾のテクスト」で「嫌な感じ」と断じている。「無垢」なる物への「憧憬」をテーマにしたこの本で安吾に限り「無垢」を描くのを認めない。「リアリティ」こそが安吾で「幻想物」は書いて欲しくないと言うのはもう叶わぬ夢で只の我儘だ。