- Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
- / ISBN・EAN: 9784582855494
作品紹介・あらすじ
唯一の「正解」を見出すのが難しい問題が山積している。そんな時代に新聞はいかなる役割を果たすべきか。盛んにいわれる「新聞危機」をどう乗り越えるか。書評や論壇担当といった、一般的な新聞記者像とは異なる経歴を歩んできた著者が、自らの体験を軸に、これからの目指すべき新聞の姿を指し示す。現象の奥にあるものをみつめる-。「論壇記者」の体験から新聞の可能性を探る。
感想・レビュー・書評
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肝心の「熟慮ジャーナリズム」の記述がうすく、フワッとしていた。一方、この部分いる?感のある記述も多かった。
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社会
メディア -
著者の毎日新聞での勤務経験を回想録として綴っているのだが、いきなり陸羯南の話が出てきたりして書きたい放題。著者は「余録」も書いていた人だし論文を多数読んできて広い視野は持っているのでしょうが、新書としては全体がぶつ切りでその一つ一つのパーツがあまり厚みがないので、なんだかよくわからないモザイクである。
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著者の論壇記者人生を振り返りながら、新聞論壇が社会の中でどのような役割を果たしていたのかを論じる。
曰わく、「論壇=公共空間」であったということなのだが、それを言うにはあまりにも「公共」という概念の定義がなさすぎる。論壇記者がどんなものであるのかというのはわかったのだが、公共と言うからには、例えば読者がそれにどう反応していたのかを説明する必要があるのではないか。
「熟慮ジャーナリズム」と題してるのだから、そのくらいのことはしてほしかった。 -
タイトルにつながるかんじんな「熟慮ジャーナリズム」についてあまり述べなかったけど、日本の戦後論壇を知らない外国人の私にはなかなか面白かった。