- Amazon.co.jp ・本 (172ページ)
- / ISBN・EAN: 9784582856002
作品紹介・あらすじ
日本では中世まで、亡くなった人は、河原や浜、道路わきの溝などに捨てられていた。死は穢れとして、忌み避けられていたからだ。そんななか、人々が弔いを託したのが仏教である。葬式と、墓石を建てる習俗の起源を探りながら、日本人が仏教に求めたことと、仏教が果たした意義を探る。
感想・レビュー・書評
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古来より日本は死を穢れとして扱い、庶民の遺体なども河原に打ち捨てられていたのを、鎌倉新仏教の時期を境に、官僧の縛りが無い仏僧によって葬式の形が整えられたという史実は、そこが日本人の死生観の転換期でもあるだけに感慨があった。そもそも親しい人の遺体を型式と祈りによって葬送するスタイルには、心を込めた別れを希望する人々の潜在的ニーズがあったのだろう。それを穢れとして忌み嫌った人たちが死に絶えた頃、揺るぎない慣習となり、江戸期の寺檀制度の確立を経て今に至っている。妻帯を認める真宗系が世襲によって檀家との結びつきが切れ難く、その為江戸期に勢力拡大したというのは成程で、翻って昨今、多くが葬式屋として既得権益に寄りかかるだけの姿には、鎌倉期よりも退廃したものを感じる。人々の価値観が大きく変わりつつある現在は、もしかすると新たな「新仏教」興隆のチャンスなのかもしれず、世間から揶揄される一方の寺院関係者から法然や親鸞の如き人物が出てきてこそ、自分たちの行く末も切り拓けるに違いない。
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現代日本の坊さんが葬式を担うという常識を改めさせてくれた。
他国の葬儀事情、昔の日本は遺棄葬、葬式仏教者の誕生の経緯、日本での墓の誕生など、面白い。
前提とされる知識はあまりない。漢文にアレルギーがある人は辛いかもしれない。
・鎌倉仏教の担い手たちのほとんどは、官僧身分から離脱した遁世僧だった。(だから禁忌であった葬儀に向かえた)
・戒名は、修行中に死んだ雛僧の無念を晴らすために、禅宗で授けられたのが始まり。
・キリシタンでないことを証明する寺請制度が寺院を堕落させた。
・一般民衆の位牌は室町時代(1338~1573)末期から。仏壇も17世紀から。16世紀にはない。 -
江戸時代以前において、如何に葬式仏教が確立したか、死穢の意識の変遷とからめ、豊富な資料を元に判りやすく書き記されている。
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思いがけず中世石造物の新たな知識を習得。
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●『池上彰と考える、仏教って何ですか?』参考文献
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(2012/10/14読了) 神道では死は穢れ。官僧にとっても死は穢れ。そこからどのようにして、僧侶が葬送に携わるように思想が変化していったかが詳述されている書。
硬い墓石は弥勒信仰が関わっていた(56億7千万年後まで持つようにという願い)というのも、なーるほどーという感じ。
印象的だったのは、葬式仏教は「きちんとした葬送儀礼を望む人々の願いにこたえた革命的なことだった点に注意を喚起したい」(P146)というところ。今は揶揄する言葉は葬式仏教だけど、鎌倉時代には画期的なことだったんだなあ。 -
葬式の歴史よりも死穢のタブーがどう変化していったかについての言及に興味を持った。禅・律・念仏の僧たちがどういう根拠を基に死穢を乗り越えていったのかについてもう少し詳しく知りたいと思った。
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11????on朝日
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不要の声も多い葬式だが、そもそもは穢れを恐れるあまり、風葬・遺棄葬が当たり前だった中世に、人々が強く求め、仏教がそれに応えたものだった──日本人は“弔い”をいかに獲得したか。
日本では中世まで、亡くなった人は、河原や浜、道路わきの溝などに捨てられていた。死は穢れとして、忌み避けられていたからだ。そんななか、人々が弔いを託したのが仏教である。葬式と、墓石を建てる習俗の起源を探りながら、日本人が仏教に求めたことと、仏教が果たした意義を探る。
松尾 剛次
1954年長崎県生まれ。東京大学大学院博士課程を経て、現在、山形大学人文学部教授。東京大学特任教授(2004年度)。日本中世史、宗教社会学専攻。1994年に東京大学文学部博士号を取得。日本仏教綜合研究学会前会長