- Amazon.co.jp ・本 (315ページ)
- / ISBN・EAN: 9784584121054
感想・レビュー・書評
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冒頭の、今どきの若いモンがヘソを平気で街中で出すようになって、何か世の中がおかしい、という話を読んで「この著者は期待できないかも・・・」と思いつつも、パラパラ読み中。
いくら天皇は日本のヘソ への導入が必要だからって・・・詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
確か渡部氏の本だった思うのですが、日本が戦争に負けてそう年月が経過していないときに、留学先のイギリスで「日本が誇れるものは何か」と問われて、「二千年にも渡って天皇制が続いていることだ」と答えたら驚かれたという内容が書かれていました。
中国や欧州では、国家権力を握った人が以前の権力者を全て抹殺するので、どんな帰属であっても数百年の歴史しかないそうですが、日本では長い間、天皇と権力者が並存するという不思議な体制であったと思います。この本を読むことで、天皇を中心に日本全体の歴史を振り返る機会が得られたと思います。
また、武士(源氏、平氏)の起源は、天皇家に由来する(天皇家から出る:臣籍降下ときに授与された姓)こと(p72)を初めてこの本で知りました。また、天皇家が滅びる危機として、足利義満が絡んでいた(p222)という事件も初めて知りました。
以下は気になったポイントです。
・権威とは、受け手から崇められる存在で敬意の対象である一方、権力は、受けてを支配する強権、受けてに崇めることを強要する存在である(p8)
・天智天皇(中大兄皇子)は、大化改新以来の最大の功労者である中臣鎌足に大臣の位を授けて、藤原の姓を与えた(p25)
・歴代天皇における女帝は八人10代を数えるが、そのうち6人は6世紀末から8世紀末までの178年のうちの88年間を占めている(p34)
・桓武平氏には17流あり、最も有名なのは「平高望」系で、創始者の三男・良将の子や、北条氏の祖先である、桓武天皇の息子である嵯峨天皇には50人の子供がいて、そのうち32人が臣籍降下して、21流ある源氏となった(p74)
・中央から地方へ派遣された役人が任期が過ぎても戻らないで、在地地主として留まったものが武士の起源である(p84)
・藤原氏を生母としない天皇(後三条天皇)は、宇多天皇以来、11代170年ぶりのことであった(p112)
・1160年、平治の乱の翌年に、平清盛は正三位・参議となり、武士としては初めて公卿となり、7年後には従一位・太政大臣という人臣最高の官位に上りつめる(p128)
・平清盛の全盛時には、日本全国のほぼ半分の30国、荘園は500箇所に及んだ(p131)
・改元には二種類あり、新天皇の即位である「代始改元」と、天変地異・世の乱れ等の不吉現象を鎮める「災異改元」があった、明治以降は一代一元となった(p140)
・元寇が第一次と第二次の間に7年もの年月を要したのは、南宋を滅ぼすことにより、その財力と人員を利用するためであった(p195)
・足利義満は1408年に義嗣を皇位継承者として披露する儀式を行っており、もし60歳まで長生きしていたら(実際は51で急死)天皇家は滅び、足利国王が統治する国になっていたかもしれない(p222)
・1584年時点(小牧長久手の戦い直後)での官位は、家康が従三位に対して、秀吉は従五位であったが、1年後には秀吉は従一位関白、豊臣姓を賜って家康の上位に立った(p232)
・徳川家光が摂家から正妻を迎えたことにより、その後の12人の将軍はすべて正妻を皇族・朝廷関係者から迎えることになる(p241)
・オランダはプロテスタントであり、ポルトガルやスペインのように布教活動を伴わない、オランダとの交易によりキリシタンを考慮せずにすむメリットがあったので、オランダとの交易を認めてキリシタン禁教令を1611年に出した(p256)
・当初、日本の占領負担を米・英・中国・ソ連にしようとしたが、ソ連が北海道を領有しようとしたので、アメリカは大統領令で参謀本部の分割占領案を破棄した(p284)
・1924年に昭和天皇が結婚した際に、自ら側室制度を廃止した、これにより嫡流男子に恵まれなくなる現象が起きても仕方なくなった(p296)