知識人の終焉 (叢書・ウニベルシタス 244)

  • 法政大学出版局
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  • Amazon.co.jp ・本 (140ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784588002441

作品紹介・あらすじ

資本・国家の論理と言語 = 文化の位相を捉えなおし,高度情報化社会における〈知識人 = 普遍的理念〉神話の崩壊と〈知〉の自由な試みにポストモダンの可能性を探る。

感想・レビュー・書評

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  • 「ポストモダンの条件」と合わせて文庫化してほしい。特にこの本のⅦ ポストモダン問題への軽やかな補遺。

    感想

    資本主義は意欲主義なのかもしれない。そして、欲望は意欲の表現でもある。つまり改善や親和の意欲よりも欲望の意欲や遂行の意欲が上回ってしまっている。もしそうなら、これが逆転すればいいわけだが。
    人は経験以上のことをする。衝動や意欲だろう。平和であればこのような力が無謀すぎないで済むが、逆に乱世であれば無謀なことをするわけだ。

    詰まるところ現代は、言語が売り買いされている。
    メディアには他者が生き残る意思=言語:説得が広まっている。言語は現状ではコミニュケーションではなく、従い:体制的な力である。
    大事なのはその言語の力を利用することではなく、言語の力を鼻笑いできることだ。言語的にナンセンスだと否定できればできるほど、言語の売り買いに巻き込まれなくなっていく。そうなったときにその現代の人々を操作する言語は命令する力を失い、ただの伝達に変わる。
    このように抜け出した者には、改善や親和の自由行動が選べるようになってくる。
    問題視されることのあるネオリベラリズムは、この鼻笑いによって弱体化していく。AIに飲み込まれない人間もこの力を持っているだろう。
    文系力、批判力、言語力を高めていくことだ。力をつけるのには何年もかかると思うが、もっとも低価格で環境負荷の低い対策がこれなのだろう。

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