幾何学の起源: 定礎の書 (叢書・ウニベルシタス 758)

  • 法政大学出版局
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  • Amazon.co.jp ・本 (435ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784588007583

作品紹介・あらすじ

普遍的な知を求めて科学と歴史の時空を縦横に駆けめぐって原初のカオスを包摂した多様な起源を発見し,幾何学を超える普遍性をそなえた新たな〈知〉の誕生を語る。

感想・レビュー・書評

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  • 2005年に『地理学評論』に掲載した文章を転載。

    共にgeoを接頭語に持つ古い学問である地理学と幾何学.わたしたちはギリシャ科学としてのプトレマイオスとユークリッドをそれぞれの起源とみなし(ロイド 2000),ルネサンス期のネオ・プラトニズムとともに復活するという歴史物語で満足している.最近,地理学者の論文の表題に幾何学の語が用いられているものがあるが(杉浦 1996; マッシー 2002),それはある種比喩的なものである.その一方で,ルネサンス期の幾何学に関する歴史的で特殊な問題を探求したコスグローヴ(2001)は興味深い.
    本書は「幾何学の起源」という表題に,わたしたちの根源的な空間理解を探求するということを込めている.同様の哲学的省察はジャック・デリダによる本文より長い序説を含むフッサール(1976)による同名の書によってなされているが,評者は2度読んでもほとんど理解には達していない.
    ミッシェル・セール,その多くが日本語に翻訳されているこの人物の作品群に接近する取っ掛かりとして,地理学者である私は本書を選んだ.デリダ=フッサールでたまったフラストレーションの解消の助けになることを願って.
    しかし,私のその安易な期待は脆くも崩れ去る.それもそのはず,本書『幾何学の起源』は著者セールにとっても30年以上をかけた集大成なのだから.冒頭の文章は「普遍的なもの――その初期の構成物の一つ」と題されている.普遍的な形式としての空間と時間はいかにしてその普遍性を手に入れるのか,それが本書に込められたテーマである.末尾に「1958年5月 オビェール 1992年11月 京都」と記され,このテーマに関する著者の思惟が34年間継続していたことを読者は確認する.
    本書の大部分は歴史的な記述とそれに関する哲学的議論であるが,冒頭の文章にはこうした歴史的な考察が現代のわたしたちの生にいかに関わってくるかという問題意識が存在する.普遍的なものとは著者にとって単なる知的好奇心の対象ではない.普遍性は帝国主義的であるといい,「普遍的なものの行きつく先は,野心的で残虐な局地性による空間全体の侵略であった」(4)という.そして,「暴力も幾何学のように普遍的なのだろうか」(2)と問いかける.「あらゆる科学,一般にあらゆる学問と同じく,幾何学は〈悪〉の問題に根を下ろすことから始まる」(191),という認識は,学問に携わる者ならば誰もが持ってしかるべき問題である.
    本書は確かに難解だ.評者もその3分の1も理解したとはいえない.しかし,このような書から何か一つでも学ぶことがあったり,誤読かもしれないが何かしらの新しい発想を生んだりすることを期待して立ち向かうことも全くの無駄ではないだろう.例えば,「場所の系譜学」を提唱する加藤(2002)に対して,本書のなかの同名の文章(57-58)はどんな意味を持つのだろうか1).
    難解なのは他でもない.著者は普遍的な空間の考え方を支える幾何学の起源を辿ろうというのだから,もう一つの普遍的な存在である時間について,その均質な流れに対して不可逆で具体的な目盛を与えた歴史というものを無批判に受け入れるわけにはいかないからである.この探求のなかでは「起源」という概念もが自明ではないのだ.「私が起源と交流するのは,決して伝統的な歴史のチャネルによってではなくて,数学それ自体を創始し,基礎づける努力によってなのだ」(33).
    本書でもユークリッドは重要な存在だが,タレスやプラトンに割かれたページも少なくない.といってももちろん,この人物たちには「歴史家たちの通常の時間を溯っていけば,年代記などが,新しいことを始めた英雄たちの架空の,あるいは根拠のさだかでない名前を教えてくれる」(243)との留保付きだが.タレスの幾何学とは「なによりもまず,ある図柄を書き表す技法であり,ついでその描かれた図柄が目の前にあるにせよないにせよ,それについて語る言語である」(208).「タレスの物語は,この同じ表象の全般的なオルガノンにどっぷりと身を浸した透視図法,投影図法,立体の建築学的光学,直観的数学の最初のことばなのである」(253),などと説明される.
    また,プラトンといえばもちろん『ティマイオス』におけるそれである.「『ティマイオス』のコーラ(中略)この豊饒な汚れなき母胎から,終わりなき言説,大きな物語としての幾何学というこの多様体の途方もない増殖が爆発するのであって,その諸結果の流れが今日にいたるまで絶え間なく増大し続けるばかりでなく,頁や壁の上の書き物,畑の小麦,抑制の利かぬ戦争,神殿における祭祀の連続的な増加をもたらすのである」(60).プラトン『ティマイオス』における「コーラ」概念については最近翻訳されたデリダ(2004)とともに,その地理学的意義を検討する必要があろう.
    「ロゴス,つまりことば」(153)がここで重要である.「それはある比から別の比へと進み,さらに置換されることによって後者から第三の比へ等々と移っていく比例中項にほかならない」(414).ことばは具体的な事物を抽象的な存在に還元する最も根本的な手段であり,それが同時にロゴスと不可分に結びつくなかで,抽象化された個々の事物同士を関係づけることを可能にする.土地の大きさ,形,方向性に関することばである幾何学により,わたしたちは地上の具体物を抽象物に変換する.その時,幾何学は普遍的存在となり力を手にするのだ.
    幾何学は近代科学の発明品ではない.「比例こそが,ある領域から別の領域へと移動し,滑っていくギリシアの偉大な発明である」(412).「神話と幾何学は言語と協力し,同意する」(171).「神秘的なものプラス物理的なものイコール幾何学」(259)なのである.非常に古いにもかかわらず,今日でも非常に強い力を発揮している幾何学の存在を,本書を通じて読者は思い知らされるであろう.そして,本書のような近代以前の科学に関する議論に触れるに連れ,地理学に関する同様の議論であるファリネッリ(2002)の意義を少しずつ理解できるし,この論文も難解であるが少しずつ内容も理解できるようになる.
    「われわれはもはや,幾何学ぬきの,幾何学以前の,あるいは幾何学の拡がりを取り去った,土地の観念も知覚も全く持ち合わせていないのである」(422).

    1)加藤(2002)の英文タイトルには,場所の系譜学が「genealogy of location」となっている。またセールの原語表記は確認していない。
    文  献
    加藤政洋 2002. 都市空間の史層,花街の近代――ひとつの「場所の系譜学」へ向けて.10+1 29: 138-152.
    コスグローヴ, D.著,成瀬 厚訳 2001. 風景の幾何学:16世紀ヴェネツィア本土における実用的・純理的芸術.コスグローブ, D.・ダニエルス, S. 共編,千田 稔・内田忠賢監訳『風景の図像学』365-394.地人書房.
    杉浦芳夫 1996. 幾何学の帝国――わが国における中心地理論受容前後.地理学評論 69: 857-878.
    デリダ, J.著,守中高明訳 2004. 『コーラ――プラトンの場』未來社.
    ファリネッリ, F.著,遠城明雄訳 2002. 地理学の一般理論のために.空間・社会・地理思想 7: 138-186.
    フッサール, E.著,田島節夫・矢島忠夫・鈴木修一訳 1976. 『幾何学の起源』青土社.
    マッシー, D.著,加藤政洋訳 2002. 権力の幾何学と進歩的な場所感覚.思想 933: 32-44.
    ロイド, G. E. R.著,山野耕治・山口義久・金山弥平訳 2000. 『後期ギリシア科学――アリストテレス以降』法政大学出版局.

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著者プロフィール

(Michel Serres)
1930年フランス南西部のアジャンに生まれる。海軍兵学校、高等師範学校を卒業。数学、文学、哲学の学位を取得。58年からクレルモン=フェランの文学部で教鞭をとり、ライプニッツ研究で文学博士となる。69年からパリ第1大学教授として科学史講座を担当。数学、物理学、生物学の研究に加え人類学、宗教学、文学などの人間諸科学に通暁する百科全書的哲学者としてフランス思想界の重要な一翼を担い、科学的認識と詩学を統一的な視野に収め、西欧的思想の限界に挑む。90年からアカデミー・フランセーズ会員。邦訳された著書に、『火、そして霧の中の信号──ゾラ』、『青春──ジュール・ヴェルヌ論』、『天使の伝説─現代の神話』、『ローマ──定礎の書』、『小枝とフォーマット──更新と再生の思想』、『白熱するもの──宇宙の中の人間』、『カルパッチョ──美学的探究』、『世界戦争』(以上、法政大学出版局)など多数。2019年没。

「2021年 『パラジット〈新装版〉 寄食者の論理』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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