悪についての試論 (叢書・ウニベルシタス 1007)

  • 法政大学出版局
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  • Amazon.co.jp ・本 (267ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784588010071

作品紹介・あらすじ

「フランス反省哲学」の思想潮流を継承し、リクールに多大な影響をもたらした二十世紀の知られざる哲学者ナベール。その主著である本書(1955年刊行)は、きわめて晦渋で屈折した文体ゆえ読者を限定する一方で、思想の歴史のなかでも唯一無二の緊張と潜勢力をはらんだ独自の「悪」論をなしている。訳者による周到で詳細な「ナベール入門」ともいうべき、充実の解説および注を付す。

感想・レビュー・書評

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  • 面白い面白くない以前の問題として、挫折しそうなほど難解だった。
    いわゆる「悪」について、と言うよりも、正当化できないものについて書かれている。犯す悪と被る悪については、ちょうどその事について考えていたので、タイムリーだとも思ったけれど、結局結論は出ず(?)。何せ、「しかし」だの「だが」だの、逆接が多くて、言いたいことはどこなんだ、という状態で。一文を何度も何度も読み返しながら、少しずつ読んでいったので、読み終わるのにものすごく時間がかかった。それでも、ちゃんと論旨は追えていないと思う。
    しかし、こんなに難解で、こんなに読むのに時間がかかった本なのに、訳者解説まで読み終わった今となっては、もう一度最初から読み返したいとさえ思っている。私はこの試論の本質に少しも辿り着けていないと思うから。いや、勿論、もう一度読み返したところで、それでも本質に辿り着けない可能性の方が高いのだけれども。
    また、読んで思ったのだけれど、この試論はなんだかそこはかとなく性善説のにおいがする。犯してしまった悪について、自分はなんてことをしてしまったのだ、という立場は勿論あるけれども、それよりも、悪を意志して行動した場合についての言及がもっと欲しかった。いや、多少は、意志して行動した悪についての記述はあったと思う、多分。ただ、それよりも重点を置かれている(というより、「悪」をもっと広い視点から捉えて、という意味で)のが、やはり「正当化できないもの」という概念で、そこには地震とか台風とかの自然災害も含まれるわけで、ナベール自身はさらにアウシュビッツのことも念頭に置いていたようだけれども、そうなるとものすごく範囲が広い。まあ、そういう論旨の線上で「被る悪」の問題も指摘されていたのだから、設定自体は間違っていないか、と思ったりもする。
    そして、訳者解説で、これでも原文を読みやすいように変えたというようなことが書かれていたので、一体原文はどれだけ難解な文章なんだ、と思った。そして、フランス反省哲学は面白いのか?という疑問。道筋が曲がりくねりすぎて、そこまで反省しなくても、と言いたくなる。はっきりきっぱり言ってほしくなる。でも、それが「哲学する」ということなのかもしれない。確かに、そういう方法でしかたどり着けない場所というのはある気がする。

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著者プロフィール

(Jean Nabert)
1881年にフランスのイゾーで生まれる。1910年に哲学のアグレガシオンを取得し、地方の高校の哲学級で教え始める。1924年に博士論文『自由の内的経験』を刊行。1931年から1941年までアンリ四世高校の高等師範学校の準備級で教える。1943年に『倫理のための要綱』を刊行。1944年に哲学の視学総監となり、その後ヴィクトール・クーザン文庫の長を務めた。1960年に死去。その際に残された最晩年の遺稿がリクールらの手で整理され、1966年に『神の欲望』として刊行された。メーヌ・ド・ビランに淵源し、ラシュリエやラニョーを経由する「フランス反省哲学」の系譜に連なる。反省という経験を悪の問いとの不可分性において根底から思索し直したその歩みは、極度に晦渋な文章表現にもかかわらず、リクールを始めとして現代フランス哲学を代表する思想家たちに少なからぬ衝撃と影響をもたらした。

「2014年 『悪についての試論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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