市民の共同体: 国民という近代的概念について (叢書・ウニベルシタス 1026)

  • 法政大学出版局
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  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784588010262

作品紹介・あらすじ

「国民(ネイション)とは何か?」という問いに答えることは、「民族」や「国家」とは異なる、近代社会の政治的プロジェクトとしての「市民の共同体」の理念を明らかにすることである。20世紀の戦争と国際政治の経験を踏まえつつ、ナショナリズムや民族的・宗教的帰属の問題を正しく理解し、乗り越えるための議論を提示した、現代民主主義論の必読文献。待望の邦訳。

感想・レビュー・書評

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  • ドミニク・シュナペール著、1994年初版。先日読んだばかりのベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』とかなり重複するテーマの本なので、比較しながら読んだ。
    シュナペールさんの本書は、文体が複文構造がやたら多く、読みにくいところがあって、どうやら言いたいことの中身もなかなか微妙なので、読むのに苦労した。
    アンダーソンの著書との共通の認識は、「国民」概念はあくまでも民主主義化された近代以降のみに存在するという点だ。王制のもとでは「臣民」であって、民主主義以降、「主権」を与えられた者だけが、「国民」と呼ばれるらしい。(ただし日本の場合は国民の意識が低すぎて「主権在民」が実質存在してこなかったと思う。やはり、西洋的思考でそのまま日本を考えることはできないのかもしれない。)
    シュナペールの論では、「国民」概念より以前に、「市民の共同体」なるものがあって、これはどうやら自然発生的な、人間関係の集積体のような概念らしい。そして、「国民は一つの市民の共同体に住民を統合する」(P44)と定義される。
    そして、「国家」とは、主権者である「国民」の「道具」であると書いている。このへんも日本の事情とは大違いだ。
    シュナペールさんの論理は複雑で、一読ではなかなかとらえきれなかったのだが、「国民としての統合」にあたって、各個人や諸集団間の「差異」が「同一化される」という辺り、かなり危うい気がした。差異は、あくまでも差異として残らなければならないのではないだろうか。「おれとあんたらとは意見が全然違うよ。でもまあ、この際、この辺の妥協点で手を打っておくよ」くらいの「同意」ならあり得るが、それは決して「同一化」ではない。
    国家としては、すべての住民がどんどん「同一化」してくれた方がラクだ、という点についてシュナペールさんの筆致はやや批判的だが、少し弱い。日本は「文部省唱歌」にも端的に見られるように、明治以降ひたすらに「国民同一化策」を進めてきた。すると地方の多様性、個人の多様性は抑圧されてゆく。日本国民の一般大衆も「みんなおんなじ」をよしとする心性があって、他国に比べるとかなりの程度「同一化」が規範化されているように見える。だからこの問題は、私たちにとって極めて重要なのだ。
    私は個人や地域や文化の多様性が大切なものだと思っている。しかし個人の多様性を極端に推進すれば、アナーキズムに陥ってしまうのだろうか。だがマイノリティの永続的不幸をほったらかしたまま「統合」される「国民/国家」には「善」はあるのか?
    この本には不透明な部分があるが、様々な考察が繰り広げられており、参考になった。もう少し他の社会学・政治学・哲学を読んでから、再読してみたいと思う。

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著者プロフィール

(Dominique Schnapper)
1934年生まれ。社会学者。パリ政治学院およびパリ大学社会学博士課程(第三課程)修了。パリ第五大学にて博士論文『文化的伝統と産業社会』により文学博士号を取得。1981年より2015年現在に至るまで、フランス国立社会科学高等研究院(EHESS)教授(研究ディレクター)。現代におけるフランス共和主義の代表的論者の一人として世界的に知られ、その歴史への深い知見に基づく研究は高く評価されている。邦訳には『市民権とは何か』(風行社、2012年)がある。

「2015年 『市民の共同体』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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