- Amazon.co.jp ・本 (350ページ)
- / ISBN・EAN: 9784588410321
作品紹介・あらすじ
2016年に惜しまれつつ逝去した現代音楽界の巨匠ブーレーズとフランスを代表する神経生物学者シャンジュー、ブーレーズ後の世代を担う作曲家マヌリによる刺激的な対話。作曲家・指揮者が音楽を創造するさい、あるいは聴衆が音楽に心を動かされるさい、人間の脳内ではどのような生物学的プロセスが生じているのか。最晩年のブーレーズが辿りついた作曲論、芸術論、科学論が明かされる最後の書物。
感想・レビュー・書評
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この本を買ってみたのはこの鼎談に作曲家/指揮者ピエール・ブーレーズが出ているからというより、J. P. シャンジューが出ているからだ。シャンジューと言えば、ポール・リクールとの対談の中で凄まじい博識ぶりと知の深さを発揮し、「凄い人だな」という印象をもたらしてくれていた。単なる脳科学の専門バカとはまるで違って、哲学やあらゆる文化面にも及ぶ深甚な洞察と知識が圧倒的だった。
一方でブーレーズは、私は彼の作品では「レポン」辺りは好きで、幾つか著書も読んだけれども、どうも頭でっかちで頑なすぎる面が鼻についてしまう。あまりにもドグマティックで独断的、融通が利かぬ「イヤな」高学歴者の臭いがする。
噂では、ブーレーズは既存の権力に対して抗ってきた反抗児だったとのことだが、今や自らが権威の座につくと、どうも鼻持ちならない自負心ばかりが押しつけられるようだ。こういう傾向は文筆家としてのクロード・ドビュッシーにも見られる。権威の磁場から逃れるように走ってやってきた権威主義者。
本書でのシャンジューは、そんな尊大なブーレーズのインタビューの聴き手役に甘んずるしかないといった様子だ。ブーレーズがいちいち自説に固執して人の話に興味を持たないので、シャンジューが存分に語ることができていない。さすがシャンジューは、膨大な知識を縦横に生かしてうまく立ち回ってはいるけれども。
たとえばシャンジューが旋律を知覚するときの、聴き手の脳の活性化部位が特徴的であることを指摘すると、ブーレーズは黙って聞いていることができず、
「それはどんな旋律でどんな和声を伴っているのかなど、音楽についての具体的データがわからなければ何とも言えない」
などと邪魔をするのである。
確かに自然科学における「実験」については、現実の複雑きわまりない多層性を無視した「無風状態の」虚構のものに過ぎない、と批判している人もおり、その論点はもっともな部分もある。しかしそうした「極端な単純化」のモデル化をとおして科学は進展し、現に近現代文明の推進力をうながしてきたことに間違いはない。
ストラヴィンスキーやピカソは、確か自分の創作過程を科学的手法で、是非とも解き明かしてみてほしい、と言っていたと思うが、ブーレーズにはそんな気はさらさらなく、自分の言うことだけが絶対だという姿勢を崩さない。
鼎談のもう一人の出席者はブーレーズの弟子のような存在であるらしい作曲家フィリップ・マヌリ。ここでは彼の役目はブーレーズの開陳する説をせいぜい補足するだけの、ブーレーズの金魚の糞である。自らもいっぱしの作曲家のはずなのに、彼の作品や創作過程などは、本書ではまったく話題にも上らない。ひたすらブーレーズをヨイショしつづけるマヌリの姿は、悲しくもあわれである。
そういうわけで、全体にブーレーズが強引に自分の見解ばかり述べているような本書では、せっかくのシャンジューの知性も生かされず、ただのブーレーズへのインタビューと化してしまっている。
滔々とモノローグを続けるブーレーズを、誰か早く黙らせて、彼の頭蓋骨に手っ取り早く電極を挿してみてくれないか、と読んでいて何度もおもった。
本を読むにつけ、ピエール・ブーレーズのことが嫌いになる。詳細をみるコメント0件をすべて表示