- Amazon.co.jp ・本 (333ページ)
- / ISBN・EAN: 9784591099193
感想・レビュー・書評
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先日読んだ『今を生きるための現代詩』がよかったので、著者の旧著に手をのばしてみた。2007年刊で、渡邊にとって初のエッセイ集だったもの。
「女流詩人が書くエッセイ」というと、乙女チックな内容、あるいは“女オンナした”恋愛至上主義的な内容を想像する向きが多いだろう(本書のカバーイラストはまさにそんな感じ)。
ところが、本書はそうしたイメージとはおよそ真逆の内容であった。なにしろ、巻末の著者プロフィールには「苦手は、すべての乙女チックなもの」 という一節があるくらいだ。
写真を見れば著者はなかなか美人なのに、競艇などのギャンブルが大好きで、ボクシングや相撲、プロ野球などの観戦が趣味という、「中身はほとんどオッサン」な人なのである。
といっても、本書にはギャンブルネタやスポーツネタのエッセイは皆無に等しいのだが、「美人詩人なのに中身はオッサン」というギャップの面白さが、そのまま本書の魅力となっている。詩人らしい繊細な観察眼と言葉へのこだわりを随所で発揮しつつ、全体としてはサバサバと男っぽいユーモア・エッセイになっているのだ。
著者の「女流エッセイストとしての座標軸」を考えてみるなら、岸本葉子と岸本佐知子の中間あたりといったところか。
つまり、基本は岸本葉子風の“日常こだわりエッセイ”でありつつ、岸本佐知子風のねじれた笑いと妄想のテイストもあるのだ。
軽めのユーモア・エッセイが並ぶ合間に、ときどきシリアスな内容のエッセイが挟み込まれる構成。そのどちらも面白く読める。 -
914.6
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久々に面白い文章を書く人を見つけたなあ、これ誰かの文章に似てる、
と思いながら読んでいて、・・・・・・・私じゃん、と思った。
詩人なんて、一番言葉に対してラディカルで慎重であろう職業の物書きと
書き方が似てるなんて、なんておこがましい(大汗)
読んできた作家に近いものがあるのか、性癖が似ているのか分からんが、
私的には文章の捻り具合、言葉の選び具合がツボにはまる。
横浜ベイスターズの「連敗力」など、何気なくも爆笑するコラム集。
http://takoashiattack.blog8.fc2.com/blog-entry-1081.html -
詩人って、日頃どんなことを考えているのでしょう?そもそも詩人って何?
本書はそんな疑問に答えてくれる、詩人である渡邊さんの日常を綴った、超おもしろエッセイです。
タイトルに兼業詩人とあるくらいですから、渡邊さんも本業の他にいろいろ仕事を持っておられます。詩人が詩を書くだけで口に糊することができないという事情もあるのでしょうが、主婦であったり、塾の先生をしたり、あるいは詩以外の文筆業に勤しんでおられたりと、日々お忙しそうです。その上、ギャンブル好き、ボクシング好き、悪人好きときているから話題には事欠きません。世の中の理不尽なこと、お気に召さないことにも、遠慮会釈なくプンスカ怒ってらっしゃいます。実に痛快、報復絶倒なエッセイです。
ただ、やっぱりプロの詩人だけって、言葉へのこだわりがすごいです。プロだから当たり前のように思われますが、言葉を扱う仕事に携わっている人々が、いかに日本語を誤って、あるいは乱して使用しているかに、あらためて気づかされました。言葉の乱れが社会を乱している、逆の言い方をすれば、日本語を正しく使えば、この国はもっと良くなるのではないかとさえ思えました。
渡邊さんの本業である、ワンダーな詩も読んでみたいなぁ。
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詩人や歌人であってその後小説家になった人は多い。しかし、その逆コースをたどった人はいない。書き手の加齢と共に表現感覚が、驚異(ワンダー)から共感(シンパシー)に移るからである。年をとってからもセンス・オブ・ワンダーをもち続ける人は稀である。それは社会の中で人間関係の中で生きるには、大変しんどい道だからである。若い表現者達よ、せめて若い内はワンダーを追い求めよ!{文中より}
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どんな時代でも詩人は存在し生活しているんだ。おまけで代表詩の一つでも載せて欲しかった。
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結構笑えるエッセー
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ワンダー思考とシンパシー思考。その境目。米米「あの時〜」の歌が石井さんにとって境目だったのか、、、。前者でずっと貫くエネルギーはすごい。
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おもしろいものに出会うことは、それだけで単純に幸せなことだが、おもしろいという評判を聞いてから出会うのと、どういうものかわからないのに出会ってしまった場合では、後者の方が、お得感が断然高い。 私の場合、「ローマの休日」がそのお得感の最高値を記録している。 高校生の頃、映画初心者だった私は、名画座での同時上映の作品(タイトル忘れた。そのころ人気のあったアイドル女優が出ていたと思う)のほうを目当てに行って、「ローマの休日」に遭遇している。 オードリー・ヘップバーンも「ローマの休日」もその名前くらいは知っていたと思うが、どういうものか知らなかった。 さて、本の話。そのオードリーへ・ヘップバーンと渡邊十絲子を並列してよいのかどうか。最強の東の横綱に対して、西方が知名度やその他の点で、見劣りするのではないか(失礼します)。やや、ためらわないわけでもないが、ここは、えいっ!と挙げてしまおう(それにしても、なぜ、「ローマの休日」を思いついたのか…。そうだ。金城一紀の小説『映画編』ダー)。 著者のことは、「本の雑誌」で新書の書評コラムの連載などを読んでいたので、本についての文章を書く人だ、ということは知っていた。しかし、こういうエッセイも書いていたとは気がつかなかった。 それにもまして、タイトルにもあるように、詩人だとはまったく知らなかった(失礼します)。 この詩人(兼業)のエッセイは驚きに満ちている。 この本の最後(「驚異と共感のはざま」)に書かれているように(著者はここで歌人の穂村弘の文章を引いているから二重引きになってしまうけれど)、著者は、自身の詩にシンパシーではなく、ワンダーを指向している。斬新な言葉や視点を追い求めている。 私は著者の詩をほとんど読んだことはないが(失礼します)、この本、このエッセイは、斬新な視点、言葉、構成にあふれている。 かといって、読みにくいわけではない。違う。おもしろい。 取り上げているテーマはあくまで日常的なこと(「試練の美容院」「ごきぶりとわたし」「カラスの健康」「愛と青春の東急バス」)。 読み終わって、しびれました。 お得です。