人間機械論 ――人間の人間的な利用 第2版 【新装版】

  • みすず書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622078838

作品紹介・あらすじ

通信と制御の観点から、機械、生物、社会を捉えるサイバネティックスという新しい学問分野を創始し、命名したウィーナー。その主著『サイバネティックス』の内容を、よりわかりやすく説いたのが本書である。第2版では、その概念が普及した状況から、より思想的・哲学的考察に重点をおいて改訂。自動機械や統治など、科学や社会の未来を予見しつつ警鐘を鳴らす。

感想・レビュー・書評

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  • 原著は1950年に書かれたということで、すでにそれから70年以上がたつわけですが、本書の中には、今読んでも納得する主張が多くありました。まず本書は、ウィーナーの代名詞ともいえる「サイバネティクス」とは何か、という問いに対して、ウィーナー自身がやさしく解説した本という側面があります。その意味で、私はサイバネティクス入門書として読みました。端的に言えば、通信と制御という話なのですが、それが人間と機械間、あるいは機械と機械間で行われるには、という話になります。本書の前半は技術的、科学的な視点からサイバネティクスの解説がなされていきますが、たとえば通信の受信という意味で人間を受信端末にみたてると、音声の受信、セマンティック(意味的)な受信、そして行動の段階が来ることになります。そしてこの段階を経るにつれてエントロピー増大、つまり情報ロスは免れ得ないことなどが解説されていました。

    しかし後半になると、人間社会を構成する法律や社会政策、国家間の外交・機密などに話が展開していきます。また情報は商品として交換できるのか、情報はあっというまに価値が減少し、保存できないから商品としては適さない、というような、まさに21世紀のデータ社会を予見しているような主張もありました。また最後の方では、AIが人類を統治するようなディストピア的世界観も紹介され、本書が70年以上前に書かれた本だとは思えない、強いメッセージ性を感じました。ウィーナーの主張のなかで特に印象に残ったのは、(当時のアメリカ人は)ノウハウにばかりこだわり続けているが、もっと大事なのは「know what(何をすべきか)」であるという主張です。これはまさに、21世紀のAI技術者の間でも大きな議論となっている、倫理的な側面になります。

    この主張を読んだときに、ピーター・ドラッカーと野中郁二郎氏の論との共通点を感じました。ドラッカーは、古代ギリシャ時代以降、know why(エピステーメ)こそが知識だったものが、産業革命によって、know how(テクネー)が知識として最も重要になったことを指摘しています。そして野中郁二郎氏はこの論をひきつぎ、21世紀はknow what should be done(何をすべきか、フロネシス)という、倫理的でもある実践知の重要性を主張されていますが、ウィーナーも基本的には同じ警鐘を鳴らしていたということではないでしょうか。本書は、21世紀に読んでもまったくいろあせない、強いメッセージを持った本だと思います。

  •  この本はサイバネティクス(通信と制御の科学)それ自体の詳細な解説ではなく、サイバネティクスの考え方から人間社会の在り方について迫る一般向けの本です。

     この本の内容については、「人間機械論」という表題よりも「人間の人間的な利用」という副題のほうがそれをよく示しています。外界から得た情報を自己に反映させ、自己の目的達成のためにかなった状態へ修正する(サイバネティクスという言葉は、ギリシャ語で舵手を意味するキュベルネメシスに由来するといいます)。

     自己を修正する(エントロピーの増大に反する)存在という点で、人間や生物、そして一部の機械は似通った存在です。サイバネティクスは、このフィードバックという考え方を軸にして生物(人間)と機械を横断する分野となります。

     しかしこの本で筆者が問題にするのは、このようなサイバネティクスの特徴を述べることではありません。この本での問題は「人間の”非”人間的な利用 (inhuman use of human beings)〔原書の表題〕」です。筆者は人間を同一の機能を繰り返し繰り返し行なう存在へと堕することを「人間に対する冒涜 (p. 22)」だといいます。つまり多くの人間を、上から下された意に従うだけの存在、鎖で櫂につながれた存在にとどまらせることは、人間のもつ可能性を投げ出すことに他ならないのです。

     「人間機械論」という表題は、ともすれば人間を機械のように扱っていると誤解してしまいそうですが、上記のとおり、内容はまったく違うものです。

  • サイエンス

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著者プロフィール

1894-1964。ポーランドに生れ、アメリカに渡ったユダヤ人の言語学者レオ・ウィーナーの長子として生れた。天才肌の父のもとで知能早熟児として出発した彼は、9歳でハイスクールに特別入学し14歳でハーヴァード大学に入学、18歳で数理論理学の論文で学位をとる。まもなくイギリスに渡りケンブリッジ大学でバートランド・ラッセルから数理哲学を学び、ついでゲッチンゲン大学にも学び、帰米して1919年マサチューセッツ工科大学講師、34年以後同大学の数学教授。30年頃から神経生理学者と共同研究に従事し、計算機械も生物における神経系も同じ構造をもつことを認め、その数学的理論としてのサイバネティックスを創始する。1948年『サイバネティックス』(邦訳、岩波書店、1958)を著わして生物学、工学、社会学等広汎な分野に関連し、著者の視野の広さと鋭さを示す。著書はほかに『サイバネティックスはいかにして生まれたか』(1956)『科学と神』(1965)『人間機械論』(第2版、1979)『神童から俗人へ』(1983)『発明』(1994、以上みすず書房)などがある。

「2020年 『発明 【新装版】』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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