貧困と闘う知――教育、医療、金融、ガバナンス

  • みすず書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622079835

作品紹介・あらすじ

インド、マラウィ、ケニア、メキシコ、バングラデシュでの実践が明らかにしたのは……ワクチン接種キャンペーンをもっと効果的にするには? 低コストで子どもたちの教育を改善するには? 出勤しない教師や看護師にどう対応する? マイクロクレジットは貧農を救う魔法の処方箋か? 村落集会はほんとうにコミュニティの自己決定を強化しているのか?

「そのコンセプトの明快さ、その柔軟性、そしてそれが政策と研究の交差点に位置していることによって、ランダム化比較実験は特別に豊かで汎用性が高い道具になった。…本書では、こうした実験について報告することで、人間開発の挑戦に新たな光を当てることにしたい。私たちは、伝統的な政策はどの程度まで目的を果たすことができたのか、そして、これほどまでに進歩が遅いのはなぜなのかを、理解しようと試みる。この探究を進めるにあたって、私たちはアクターの行動や動機の豊かさを明らかにしようと試みる。これらをよく理解することによって、私たちは、より効果的な政策を立案するための道筋を提案できることになるだろう」(第 I 部の序)

生活水準のみならず、市民的自由の前提でもある、教育、医療、金融、ガバナンスについての最新の研究成果を凝縮。

感想・レビュー・書評

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  • 読み書き学習
    →各平均的な学力で構成した授業体制の方が、生徒の学力向上に繋がる。教師としても、レベル別となるの指導が行き届かなく、やる気が阻害させる。
    サボるというのは日常茶飯事でお客が来た時だけ、授業をしている風に見せる傾向あり。
    課外授業で子供たちの学力底上げを行う

    腸内寄生虫の駆除
    →one for all , all fie one とまでは言わないが、クラス内で一人でも寄生中に感染していれば、早速治療する必要がある。そうすれば、他クラス内に拡大することはない。周囲に危害を与えるとなると、親も治療を推し進める傾向にある。

    ワクチン接種を推進するためのレンズ豆配布
    →人間は将来の危惧意識より今現在を心配する。将来的には収入も増え、対応は出来るだろうと先延ばしにする傾向あり。しかし、ワクチン接種は今現存行い未来行いることを予防するためのもの。
    そこで、ワクチン接種したらレンズ豆配布を行ったところ、接種の向上が出来た。今物を欲しい思いから出来た立証

    蚊帳を無料配布or割引購入
    →無料で配慮しては大事に使わない、ただ貰うだけで価値を見出さない、ばら撒きだとの指摘があるが、無料で配っても割引券で購入を促し有料購入にしても使用率は同程度という研究発表がある。仮に無料配布した場合、使用者は使用促進大使として、隣人が気になるあまり、購入&使用という好循環を生み出す。
    何故必要か?どのように使うべきかを認識したら、人は自然と自ら使う

  • RCT randomized controlled trial ランダム化比較試験。
    貧困層の親を説得して子供が学校に行けるようになったから識字率が向上するわけではない。報酬や無料配布した所で貧困解決に直結するわけでもない。
    その土地、慣習を踏まえ客観的に効果を見ることの大切さ。教育、医療を向上させるには汚職の追放も必要。

  • 感想
    ナッジ、行動経済学、社会心理学。単体では机上を賑わすのみ。フィールドに出て熱意と組み合わせることで。上からの政策を待たずに改善できる。

  • タイトル通り、貧困が生み出す諸問題(教育、医療)とマイクロファイナンス・ガバナンスと汚職にどう立ち向かうかに関して、様々な社会実験を題材に考えていく本書。先進国日本ではなかなか考えにくい場面も多いかな?と思ったが、さすが人間、だいたい考えることは同じで、いかに教育を受けさせるか(子供を学校にこさせる為に親を説得するか)や、予防接種を受けさせるか、なんかはとてもとても腑に落ちた。

    欠勤が大きな問題になっていることに関しては、真面目な国日本ではあまり考えにくいことだったが、カメラかぁ〜、そして不意打ちかぁ〜と納得。

    どうすれば効率よく、コスパ高く問題を解決できるのか、考えていくための知恵たっぷりの本でした。

    そして、訳者見たら、知ってる先生でびっくり……!峯先生、さすがです。

    p.74 第一の解釈の根拠になっているのは、時間的不整合の観念である。ワクチン接種の例について考えてみよう。それは即座の投資を必要とする。すなわち、子供を保健センターに連れていかねばならないか、そこで子供はむずがって泣くだろうし、もしかすると自主的に一時的に発熱するかもしれず、これらに耐える時間が必要である。しかし、この投資の便宜を享受できるのは、ずっと後になってからの話である。子供が麻疹にかからないのは未来のことであり、さらに、それがいつのことだかわからない。デビット・ヒューム以降、さらに最近では心理学者の研究のおかげで、人間は現在と未来の事について著しく異なる考えをすることが知られている。人間は現代についても衝動的な決断を下す傾向があるけれども、未来についてはよるより合理的なやり方で気にかけるのである。医学的な画像処理技術はどのような決断をするかに応じて、人間の脳の活性化する部分が違う事まで明らかにしている。すなわち、即座に行動すると言う決断を下す(2週間後ではなく今すぐ支払う)際には「感情的な」部分が活発になり、未来に関わる決断を下す(6週間後ではなく4週間後に支払う)際に は「計算する」部分が活発になるのだ。今日負担すべき費用や困難を感じるけれど、明日支払うはずの同じ費用は、そこから比べれば、それほど重くないと感じるわけである。子供のワクチン接種について、あるいは延期しようと思えばできる他の決断(例えば定期預金を開設したり、禁煙したり、食べる量を減らしたり、定期的に運動したり)について考えるとき、私たちは、そのような投資は今日は高くつくけれども、来月になったらもっと容易に実行できるだろうと言う幻想を抱く。ところが、明日は今日になれば未来は現在となり、必要とされる努力が改めて大きくなったと感じてしまう。そういうわけで、手遅れになるまで、決断は延期され続けることになるのかもしれないしれない。ワクチン接種が常に明日に延期されてしまう事は、このような問題の先送り行動によって説明することができるだろう。もっとも、自分の子供が病気になれば、すぐに治療できるように親はそれなりのお金を費やすつもりでいるのだから、子供にワクチン接種を受けなかったとしても、これが親の愛情の欠如のせいでは無い事は明らかである。子供が病気になれば、治療の利益は身近に感じられる。このように投資と収益が同時に発生する場合、行動はより良いになる。今日得られる小さな収益(例えばレンズ豆1キロ)は、ある行動(予防センターに行く)に必要な小さな投資を埋め合わせる見返りとして受け止められる。そこから、この種の介入が効果的であることが説明できる。大部分の先進国では、ワクチン接種は特定の期間中に行わなければならない。このような接種時期の義務付けも、同じような役割を果たしている。つまり、処罰を逃れることが直接的な利益になるわけである。

    公衆衛生においては、義務や金銭的インテンシブインセンティブを正当化するものとして外部性(または他者への影響)の存在が以前から引き合いに出されてきた。子供たち一人ひとりに麻疹の予防接種をすると、それ以外の子供も保護することができるし、そうするしなければ他の子供を危険にさらすのである。ワクチン接種の社会的な利益は個人的な利益を上回るのだから、たとえ個人が受ける利益が少ない場合であってもコミュニティ全体が恩恵を受けるような行動については、個人に対して奨励したり強制したりする必要がある。さらに、時間的不整合は、内部生(個人が自ら主にもたらす損害)を増加させてしまう。つまり、子供のワクチン接種を今すぐ実行しなければ、今日の自分が明日の自分に手を貸すことになるのである。このことが、インテンシブを与えたり矯正したりすることが正当化する第二の理由になる。この内部性で是正し、来月やるつもりのことを今日できる事に出来るように助けることで、個人が自らにとって好ましい行動を起こせようとするわけである。

    時間的不整合は、小さなインテンシブなインセンティブであっても大きなインパクトを持ち得ることを説明するが、行動の変化をひき起こすための手段は他にもある。ちょっとした「ひと押し」もまた、顕著な効果をもたらし得る。つまり、人々にそうしない自由を食べながら、正しい選択をするように助けることも可能である。例えば、私はそれを望みません、と言う意見が表明されない限り、人は 予防ケアの恩恵を受けたがっているのだ、と単純に仮定する事は重要な効果を持つ。胸の上で述べたように、腸内寄生虫を駆除する事は子供たちの健康と教育に貢献するが、この事例はデフォルトの選択肢が果たす役割をわかりやすく示している。1年目は、親が特別な用紙を起動して反対した場合を除いて、登校していた子供たち全員が治療を受けた。その結果、子供たちは78%のケアを受けた。眠になると、米的な配慮のために研究者たちは実施要領を変更することになり、登校した子供たちの中で親が明確に治療を許可する用紙に署名したものだけを、治療対象とした。ケアを受けた子供の割合は、78%から59%に減少してしまった。

    p.86 長期的な影響はどうだろうか。隣人や友人が蚊帳の無料配布を受けている人々は、自分も1つ購入してみようと言う気になりやすい。特定の人々に蚊帳を無料配布すると、他の人々の購入の妨げになるどころか、彼らに投資を促すインセンティブになる。最初の使用者が、今は、その製品の販売促進大臣になるわけである。最終的に、数カ月後、配布の第一次に参加したすべての家庭が、150ケニア・シリングと言う価格で蚊帳を購入してみてはどうかと言う提案を受けた。 2つ目の蚊帳を買った人の割合は、最初の日家を無料で受け取った人に対しては21%だったのに対して、割引券をもらった人を(それを使った実際に購入したかどうかわからない)については15%だった。通の無料配布は依存文化をもたらすと言う懸念は当てはまらない。無料化の試みは未来の購入を妨げるのではなく、むしろ各家庭に新製品を試す機会を与えることで、それを手に入れるためにお金を払おうとする気にさせるのだ。つまりこれらの蚊帳は、無料サンプルを排除して消費者に試してもらう新製品と似たようなものである。こうした結果は、予防行動のメリットに関わる2つの学習メカニズムをわかりやすく示している。それは実践であり、実例を示す力だからである。

    p.180 しかしこうした高水準のイニシアティブは、望まれたものと言うよりは、強いられたものである。これらのリスクが彼らの生かしているストレスは非常に大きい。(貧しい国にいるか、豊かな国にいるかを問わず)貧しい人々は、豊かな人々よりも鬱状態になりやすい。牧歌的な田舎生活のイメージとは全く違うのである。いくつかの国で調査員たちは、自分の子供たちにどんな希望を抱いているか、人々に尋ねてみた。最も多かった回答は、給料をもらえる職業について欲しい、できれば公務員になってほしい、と言うものであり、学校と教育はそのような職業の入り口だと意識されていた。そして実際に、貧しい国々の下の貧しい人々(1日一人当たり2ドル以下で暮らしている者)の生活と、貧しい国々の中産階級(1人1日一人当たり2ドルから10ドル)の生活を比べてみると、それらの生活の際は、後者の方が安定した職業についているのに対し、前者は自営又は日雇いの仕事に依存していると言う事実によって、説明するできることが明らかになっている。また最貧層よりも中産階級の方が家計の中のより大きな部分を子供たちの健康と教育に支出しているが、おそらくそれは中産階級の状況の方が相対的に安全であるという贅沢が許されているからである。

    逆説的なことに、社会が豊かになればなるほど、そのメンバーが日常生活に関わる重要な決断を下す際に、社会の方が面倒みてくれるようになる。メキシコのように中程度の債務を抱えた国でも、緊急入院は無料、あるいは自治体の負担である。インドの貧しい人々にとっての選択は、多くの場合、手術を諦めるか、病院に手術代を払うために大きな借金を抱えるかである。同じように、最も貧しい国で暮らしていても、給料もらえる職業に就くことができれば、健康保険や、退職後の生活のための積立金等がついてくる。したがって貧しい人々は、最初からの二重の不利な条件に直面していることになる。まず、自分の生活が複雑で不安定であるために、 日常生活について落ち着いて考える時間も、エネルギーも、なくなっている。さらに、今日は圧倒的な影響力を持っているテキストでは、彼らはいっそう多くのことを決断するように要求されているのだ。貧困問題を解決するために貧しい人々により多くの責任を委ねるべきだと言う観念は、私たちが述べてきたコンテクストでは、不合理なものに見える。

    もちろん、だからといって貧困との闘いにおいて、マイクロファイナンスを果たす役割が存在しないと言うことではない。常にある事業を有しているもの、あるいは事業を始めようとして生活が容易になることを確かである。 元は貧しい人々のニーズに適合する保険と貯金のサービスをどのように提供すべきか、熟考してみる必要がある。しかし、これらのマイクロ事業から明日の「マイクロソフト」が飛び出してくると考える人々が金融サービスにアクセスできるようになったとしても、これが、より大規模な事業の出現を可能にするような開発政策の代理になるわけではない。マイクロファイナンスは、教育へのアクセスを保障し、その高いインフラと保険サービスを作り上げるような公共政策の代理を務めることはできない。貧しい人々が豊かになり、自分自身で市場のサービスを購入できる購入する余裕が出てくるのを待っているわけにはいかないのである。とすると、政府はそれらのサービスの質をどうやって保障すべきか、と言う問いが生まれる。本書の第一部「人間開発」では、健康と教育における様々な介入の効果について考察してきた。しかし、何をなすべきかが明確に分かったとしても、汚職と劣悪なガバナンスが努力を台無しにしてしまう恐れがある。ここにおいてもまた、貧しい人々は、それらのサービスを組織化する最良の方法について発言することができるし、そうしなければならない。
    汚職を根絶するためにはコミュニティーに権力を与えるだけでは充分ではない、と言う事実が残る。社会が通常の動きを修正し、別のやり方で資源を配分しようとする際に、遅くは自然と現れてくる傾向がある。そして、地元の監督は、汚職に対する奇跡の解決策にはならないのである。貧しい人々がそれを得るために戦いたくなるような高品質の公共財を提供することが、最初の1歩になるかもしれない。しかし貧困との戦いより足させようと望むならば、試行錯誤、相違、そして根気が不可欠である。それらは存在しない魔法の杖を見つけるためではなく、今日からでも最も貧しい人々の生活を改善するようにするために、不可欠である。

    p.189 読者の便宜のために、ここで本書の内容を簡単に振り返ることにしよう。まず第一部「人間開発」は、「教育」と健康」という2つの章で構成されている。社会の発展の究極の目標は、人々の選択の幅を広げるプロセスとしての人間開発を前進させることである。教育と健康の前進はその重要な構成要素であり、公共政策が大きな役割を果たす領域である。それそうだそうであるからこそ、RCTに基づいて政策の有効性を完璧に評価することが必要になっている。 第二部「自立政策」は、「マイクロクレジット」と「ガバナンス」という2つの上で構成されている。公共セクターが住民の面倒を見るのではなく、人々が自分で自分の面倒を見ると言う自己自立と独立採算、そして現場への人間以上の原理を導入することができないので有効になっており、これを国ではマイクロクレジットと地方分権がそのような体制の焦点となっている。しかし、それらの自身の有効性の客観的な検証が発足しており、ここでもことが必要とされている。本書全体のを俯瞰すると、第一部では公共介入が期待される教育・保健衛生セクターにおいて民間のアクター(とりわけNGO)と果たす役割が重視され、第二部では民間の活力が期待される小規模金融や地方分権において公共のルールが果たす役割が重視されると言う逆転の発想が見られるが、デュフロ氏の議論の運びは非常に慎重かつ周到である。

    それぞれの章の内容を要約しておこう。第1章のテーマは「教育」である。伝統的アプローチでは、まず子供たちを学校に通わせることが重要であり、そのためには親を説得すること、そして家庭の教育費負担を軽減することが必要だとされる。この様式を公的な費用負担よりも、教育の利益に関する情報を伝えること、子供の健康状態を改善して通学できるようにすることの方が重要かもしれない。さらに、そうやって子供が学校に行くようになったとしても、問題が残る。生徒が学校で何かを学んでいるとは限らないのである。新しく教員を採用したり教科書を配布するといった「同じものを増やす」アプローチよりも、教育方法を改善し、教員のモチベーションを高めることを試みる方が効果的かもしれない。金銭的運転インセンティブもバウチャー制度も、教育の改善の特効薬ではない。組織の習得を重視する学校を作り出すこと、そして通学、通勤することに皆が喜びを感じられるような学校を作りだすことが重要ではないか。

    第二章のテーマは「健康」ないし「保健医療」である。インドにおいて看護師の欠勤が目立つケースから議論が始まる。看護師は村人に強制的赴任処置の手先だと思われていると言う事情もあるのだが、そもそも予防ケアへの需要が低いために、保健センターに出勤しても村人が来てくれない。治療ケアについては頑丈な需要があり、人々は民間のヤブ医者にまでお金を払おうとするのに、予防ケアが普及しないのはなぜだろうか。ここでデュフロ氏は、時間の経過とともに選好が変化して行動が一貫しなくなると言う時間的整合性の考え方を採用し、人間の心理的な「弱さ」から、予防ケアへの需要が伸びない理由を説明する。では、どのような政策が必要なのか。まず、予防ケアについては価格感受性が強いこと、つまり小規模でも補助金を投入すれば、需要が大きく変化することを確認できる。レンズ豆と言うささやかな報酬を与えることで、母親は子供の予防接種に連れてくるのである。感染症のリスクについては、エイズに関する教師教育を素材として、一般的な呪文を唱えるのではなく、的を絞った具体的な情報を知らせることの大切さが強調される。

    第3章のテーマは「マイクロクレジット」(この用語はマイクロファイナンスと特に区別されずに使われている)である。本書の基礎となるキーワードは、逆選択(取引前の情報の非対称性が存在する場合、劣悪な財ばかりが市場に出回るかもしれない。例えば、貸し手が借り手の過去の行動を知る術がなければ、リスクを抱えたものばかりが融資を申し込んでくるかもしれない)と、モラル・ハザード(取引後に情報の非対称性が存在する場合、契約者が望ましくない行動に走ってしまうかもしれない。例えば、貸し手が借り手を放っておくと、そのうちに借りては融資の返済を止めて、お金を持ち逃げするかもしれない)である。これらの2つの危険があるため、途上国の最貧困層を対象とする金融では金利が法外に高くなり、貸付限度額が低くなる傾向がある。ところがグラミン銀行などのマイクロクレジット機関は、高利貸よりは低い金利で、貧困層対象に大規模な貸付を実施することを成功した。女性への貸付、毎週の返済、連帯責任等の特徴の中で、デュフロ氏が特にマイクロクレジットの成功として指摘するのは、定期的な集まりによるソーシャルキャピタル(社会関係資本)と増進効果、そして完済者には有利な条件で再貸付を行う「動学的インセンティブ」である。マイクロクレジットが人々に貯蓄の規律を課すこと、そして、保険分野への越境する取り組みが生まれていることも指摘される。とりわけ保険の普及にあたっては公的な補助金をためらってはならないこと、そして、すべての人が生まれつき起業家だと言うわけではない以上、マイクロクレジットが万能の解決策ではないことが強調される。

    第4章のテーマは「ガバナンス」及び「汚職」である。ここで汚職は、個人的な特権を得るための公務員による規則違反として広く定義されているが、その最大の被害者はお金持ちではなく貧困層である。近年、汚職の程度を計測する現場の技術が格段に進歩している。この上では公共介入と市場のロジックを衝突するところに汚職が生まれると言う理論的に興味深い解釈が提示されている(「汚職は、いうなれば、介入の邪悪な横顔なのである」)。汚職と闘うためには、上からの行動と下からの行動を効果的に組み合わせる工夫が必要であり、有権者に情報提供する努力を欠かせない。汚職を撲滅するにあたっては地方分権が重要であると言う議論が有力だが、分権を進めていくと、地方政治において多数派男性の地域ボス支配が強まる結果になるかもしれない。この動きを回避するには、「指定カースト」や女性など、立場の弱い人々の政治代表を人為的に促進するクオータ(人口割り当て)制が重要な意味を持つ。政治代表のルールが変わると資源分配に変化が生まれ、集団間の力関係も大きく変化することがあるのだ。女性のクオータをめぐるデュフロ氏の評価は冷静なもので、悲観論と楽観論が混じり合っている。男性の女性に対する根強い心理的、文化的な差別はクオータの導入程度で解消するものではない。しかし、女性の指導者の活動にを目の当たりにすると、仕事をする女性の能力に対する男性の偏見は減少するかもしれない。男性の女性に対する認知パターンは、クオータを他の実験によって少なくとも短期的に変えうるのである。ちなみに、1969年から2016年までで78人を数えるノーベル経済学賞受賞者の中で、アフリカ系人はアーサー・ルイスただ1人、アジア系人はアマルティア・センただ1人、そして女性はエリノア・ストロムただ1人である(他は全員が「白人男性」だと言うことになる)。デュフロ氏が自らの社会的属性を意識させられる機会は、おそらくとても多いことだろう。アーサ・ルイスも、晩年、経済学と人種問題に関わる論考を多く残している。

    p.195
    本書の冒頭でのでデュフロ氏の議論で見られるように、この方はMDGsの達成を意識して執筆されたものであるが、その後、2015年9月の国連総会では新たに「持続可能な開発目標」(SDGs)が合意され、2030年に向けて世界のあらゆる貧困を解決することが国際社会の目標となった。SDGsでは、貧困は今や、発展途上国だけの問題ではないと言うことが認識されている。日本を含めた先進国においても制度劣化と格差拡大が進行し、「生き方の幅の広がり」を享受できない人々が増加している。世界の国々の政治と経済が内向き志向を強める今だからこそ、世界のあらゆる場所で、あらゆる貧困を撲滅すると言うSDGsの人類共通の課題を再認識することの意味が強まっていると言えるだろう。自己利益を追求しバラバラに分解していく人々を、貧困との戦いと言う共通の課題のもとで結合させる結束させる。そして、このような骨太の原理原則を進めていくためにこそ、具体的な政策の細部に注目し、本当に役立つ政策の仕掛けを練り上げていく必要があるのだ。米国のMITに腰を押し付けたでデュフロ氏は、政策実務の世界では、オバマ政権の開発政策の顧問なども務めた。本書には良心的社会改革者の「上から目線」、すなわち「あなたたちに対し必要な事は、私たちの方がよく知っています」と言うテクのテクノクラート的な態度を感じさせる部分も多い。しかし、デュフロ氏の構え方が非常に興味深く思えるのは、常に「現場」と共にあろうとする献身と粘り強さ、そして実験と試行錯誤の繰り返しながら真実に到達しようとする求道者的な情熱が、社会科学者の冷徹なロジックと分かちがたく結びついているところである。この「熱意」と「冷」の矛盾こそが、改革的な手法を生み出す彼女の知的エネルギーの源泉なのかもしれない。小さな相違を大切にして、「よりマシな」手法を試しながら少しずつ前進していこうとする姿勢は、日本発の「カイゼン」運動にも似ているところがあるが、これらの違いと共通点を考えてみるのも興味深いだろう。博士はまだ比較的若手の研究者であり、MITのラボの活動も拡大の途上にある。これからの彼女の仕事が実に楽しみである。

    紹介された著作 シモーヌ・ヴェイユ『根を持つこと』

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  • 配置場所:2F手動式書架
    請求記号:333.8||D 95
    資料ID:W0186191

  • 開発目標1:貧困をなくそう
    摂南大学図書館OPACへ⇒
    https://opac2.lib.setsunan.ac.jp/webopac/BB50080067

  • 9月新着
    東京大学医学図書館の所蔵情報
    https://opac.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/opac/opac_search/?amode=2&kywd=4311476115

  • 日本にも当てはめられるかなあ。
    感覚的にはかなり適合できそうな部分があると思う。

  • この本は、貧困への対策である、諸問題に対して実際の処方箋を作り上げている途中の闘いについて書かれている。もちろんそれらの諸問題への対策も大事だし、触発されるが、最も触発されたのは、RCT(ランダム化比較実験)の力と、発見された問題へのアプローチである。為政者だけでなく、お前が、頭の中で考えたことなど、漏れがあるのだから、試して原因を執念深く探れという強烈なメッセージである。

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著者プロフィール

MITアブドゥル・ラティフ・ジャミール記念教授(貧困削減および開発経済学担当)
フランス出身。パリ高等師範学校卒業後、1999年にMITにてPhD取得(経済学)。2009年には「天才賞」として知られるマッカーサー・フェローシップを、2010年には40歳以下の経済学者に贈られるジョン・ベイツ・クラーク賞を受賞。2013年ダン・デービッド賞、2014年インフォシス賞、2015年アストゥリアス皇太子賞など受賞多数。著書に『貧乏人の経済学』『貧困と闘う知』がある。2019年、ノーベル経済学賞を受賞。

「2020年 『絶望を希望に変える経済学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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