イスラム報道 増補版・新装版

  • みすず書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (300ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622087779

作品紹介・あらすじ

『オリエンタリズム』の著者が、西洋(=アメリカ)のメディアに現れるフィクションとしての「イスラム」を描き、アクチュアルな問題を本書を通して世に問うたのは、1981年のことだった。そして現在、この傾向はますます振幅をきわめ、CNNを中心に放映されるイスラムの映像は、無批判のかたちで日本のテレビでも流され、あご髭のムスリム=テロリストという表象は、われわれの脳裏に刻まれている。
本書は、原著刊行16年後に出た新版に著者が寄せた50頁を超える序文を加えた増補版である。現代世界を考えるための必読書。

感想・レビュー・書評

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  • 先月、増補版が新装版として復刊した。1986年に初版(原著は1981年)、増補版が2003年(原著は1997年)、そして増補版の新装版が2018年12月に復刊された。さらに、NHK「100分de名著」のスペシャル企画として2018年3月17日に放送された「100分deメディア論」で本書は取り上げられた。この放送は書籍としても2018年12月に『別冊NHK100分de名著 メディアと私たち』(NHK出版)出版されている。
    原題は『Covering Islam(カヴァリングイスラム)』、ここでいうCoverとは「報道する」という意味を持つが、同時に「隠ぺいする」という意味もあり、著者はその意図について序文にて言及し、本書の意図を以下のように語っている。

    「私がこの本と『オリエンタリズム』で指摘することのひとつは、今日「イスラム」の言葉が使われる時、ひとつの単純なことを意味するようだが、実はある部分はフィクション、ある部分はイデオロギー上のレッテル、またある部分はイスラムと呼ばれる宗教の最短の呼称である。西洋の共通の慣用による「イスラム」と、八億以上の民衆、アフリカとアジアを中心とする数百万平方マイルの土地、多くの社会、国家、歴史、地理、文化をもつイスラム世界で進行中のきわめて多様な生活との間には、真の意味のある直接のつながりは何もないのである」(本書2頁)。

    著者は西洋の共通の慣用による「イスラム」、これが如何に成り立っているかをいくつもの事例を引き合いに出し西洋のメディアが持つ権力構造を指摘している。
    例えば、1978年から始まったイスラム革命と呼ばれるイランの政変、米大使館人質事件や1980年にアメリカで放映されたイギリスの映画作家が作成したサウジアラビアのドキュメンタリー『王女の死』を巡るアメリカ、サウジアラビア等の反応を事例として取り上げている。
    『王女の死』で指摘しているのは西洋、西洋は主にアメリカの事ではあるが、その発信力、映像の製作からその影響力をサウジと比較し、それに対して西洋が勝利しているという事だ。

    「ニュースや映像を実際に作って配信すること自体、お金よりも強力であった。単なる資金よりも西洋でものをいうのは、このようなシステムであるからだ」(本書97頁)。

    この状況は16年後に出た1997年の増補版でも基本的には変わらず、より深刻になっているとサイードは指摘し、自らの実体験を書いている。1995年のオクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件(9.11テロ以前でアメリカ史上最大の犠牲者が出た事件)に際して、当初様々な憶測が飛び交いサイードもイスラム過激派のテロではないかと25本をくだらないメディア関係者からの電話取材をされた。実際は、アメリカ国籍の白人であるティモシー・マクベイとその軍隊時代の同僚テリー・ニコルズらが逮捕されたのだが。

    「アラブ人やムスリムとテロリズムのあいだのまったくもって作為的な結びつきが、これほどまであからさまに思えたことはなかった。我知らず罪に連座しているような意識を抱かされたのだが、それこそまさに、私が抱くべき感情とみなされていたことに私は愕然とした。要するに、メディアは私を攻撃したのだ。イスラーム―あるいはイスラームと私の結びつき―がその理由だった」(本書ⅸ頁)。

    この構造は今でも「西洋」において、その一部でもある日本でも再生産されていると思う。
    また、広くメディア論として報道対象をどう認識するのか?という問題はある対象をステレオタイプ化するという事でもある。対象を「アラブ人」と報道するのか、「ムスリム」とするのか、あるいは「ペルシア人」とするのか「イスラム教シーア派」とするのかとかである。同時にこれは、その対象を設定するこちら側は何なのか?という問題にもなる。

    「第三章 知識と解釈」では、ある対象を解釈することがその状況と切り離せないこと、さらにはその解釈の総体である知識そのものが持つ地位について以下のように述べている。

    「他国の文化を知るという作業の主たる基礎となるテキストの解釈は…結果が客観的だといえるわけでもない。解釈は社会的な活動であり、状況とぴったりからみ合っている。その状況の中からまず解釈が生まれ、次いで状況が解釈に知識という地位を与えたり、不適当とみなして拒否したりする。解釈はこの状況を無視できないし、いかなる解釈もそうした状況の解釈なしには完全でありえない」(本書192頁)。

    知識が地位をもつかどうかというのは流動的で、社会や時代によって変わっていく。同時にある地位を持ってしまった知識をどう扱うかは、おそらくメディアの在り方の議論として今後も重要になっていくのだろうと思う。
    また、読む自分にも何らかの「知的な枠組み」があり、その上で読んでいる事は無視できない。少なくともこの本が日本で三度復刊していること自体が持つ意味も考えざるを得ない。

  • これは主に欧米におけるイスラムの表象を対象とした内容であるが、日本におけるイメージについてもほとんど同様のことが言えるだろう。
    オリエンタリズムを指摘したサイードがよりメディアの伝達の問題点や知識と権力の関係について記した内容になっている。

  • これはジャーナリズム、特にアメリカのジャーナリズムを説明するための古典である。イスラムを報道するのに米国の利益から報道するという姿勢は、日本のジャーナリズムが取り入れてた手法と同じである。
     マスコミ研究の古典であろうし、メディアリテラシーの文献でもある。

  • 「オリエンタリズム」の著者エドワード・W・サイードが、イスラム報道に関して論じる。

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著者プロフィール

1935年11月1日、イギリス委任統治下のエルサレムに生まれる。カイロのヴィクトリア・カレッジ等で教育を受けたあと合衆国に渡り、プリンストン大学卒業、ハーヴァード大学で学位を取得。コロンビア大学英文学・比較文学教授を長年つとめた。2003年9月歿。

「2018年 『イスラム報道【増補版】 [新装版]』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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