吉田茂と安全保障政策の形成: 日米の構想とその相互作用、1943~1952年 (国際政治・日本外交叢書 9)
- ミネルヴァ書房 (2009年6月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (378ページ)
- / ISBN・EAN: 9784623052042
作品紹介・あらすじ
7年近くに及ぶ占領を終えて独立を回復しようとしていた1952年春、新しい日本の安全保障を確保する手段として吉田茂が選び取ったのは、米軍による沖縄の戦略的支配・日米安全保障条約・日本自身の漸進的再軍備という組み合わせであった。吉田はなぜ、どのように、この方針を決定したのか。そしてこれが日米間の合意として成立したのはなぜだったのか。本書は、戦後日本の安全保障政策の起源というべき吉田の決定が、米ソ冷戦へと突入する国際政治と連動しつつ日米間の相互作用を通じて形作られる過程を、日米の一次資料を駆使して実証的に描き出す。
感想・レビュー・書評
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大戦末期以降の米側の対日構想と占領下での日本外務省内検討をそれぞれ概観した後、吉田首相下での検討と日米合意の形成に至る過程を見る、との構成。
日本の安全保障に関し、日米とも内部では様々な選択肢があったことが分かる。米では1949年秋の時点で、全面/多数講和又は講和先送り、日本の再軍備容認/非容認。日本では、1951年初頭までに外務省内の研究を経て吉田の下でのA〜D案検討。
朝鮮戦争で警察予備隊が創設されるも、一直線に再軍備となったわけではなかった。吉田にとっては保安隊は「警備力」強化との位置づけに過ぎず、旧軍人グループの再軍備計画には否定的。この吉田構想を「限定的な再軍備」と見るか、「再軍備は後回しにして非軍事面優先」と見るか、両方の見方が可能だろう。
著者は日本の安全保障に関する各構想をマトリックスで整理する。吉田構想は、自主独立と再軍備という鳩山・岸型とは明らかに異なる。非軍事的な発展や貢献、国連の集団安全保障、ある程度の自立性、これらそれぞれを包含し、同時にどれにも偏ることなく米国との合意点を見出した。吉田が「状況思考的に選び取った」漸進的再軍備と日米安保の組み合わせは左右どちらからも非難の対象となったが、どちらの要請にも完全に反する方針ではなかった、と著者は指摘する。詳細をみるコメント0件をすべて表示