旧石器遺跡捏造事件

著者 :
  • 山川出版社
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感想 : 8
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  • Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784634150089

作品紹介・あらすじ

遺跡はどのように捏造されたのか。渦中にあった元文化庁主任文化財調査官が、10年の沈黙を経て、いま明らかにする。

感想・レビュー・書評

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  • 日本のみならず世界中を震撼させた考古学の大事件「旧石器捏造」。犯人以外で事件を最も身近に体感してきた著者の禊の書である。

    事件発覚当時、文化財保護行政を統括する立場にいながらも共犯者として疑われ、10年ものあいだ地を這うように過ごしてきただろう著者の苦悩を想像すると胸が痛くなる。

    捏造を行ったF氏の動機や手法など不明な点は多く残るものの、事件の概要を知る充分な資料である。

  • 学会界、いや日本全体を揺るがした捏造事件の 犯人像真相を 身近にいた著書が書いている。
    考古学が 好きな 方は一度 読まれると良いと思う。
    日本の権威主義の 塊のような学会 の一つで起きた事件であるが 、群馬大学の医学部の 手術 では犠牲者がたくさん出たことに似ている。
    考古学 について 書かれた本であるが 胃の中の蛙である 日本の学会の一端を見たような気がする。
    よく書かれた本である 考古学も これからは頑張って開かれた 学会になっていくだろう。

  •  旧石器捏造事件の「黒幕」「共犯」と当時指弾された元文化庁文化財調査官の考古学者による事件の総括書。捏造の経緯から発覚後の検証まで長期にわたる事件の推移を知る上で有用だが、基本的には藤村個人への責任転嫁の線で、自己弁明色は否めない。「結果的にわれわれが、捏造場所、層位、発掘場所も設定して捏造舞台を用意してやっていたことになる」(p.144)と研究体制の未熟が捏造を誘発させたことを認める一方、当初から学界内に存在した批判が権威的・権力的に圧殺された過程には口を濁している。他方、事件後も「新発見」に踊る事態や遺物の誤認問題があり、教訓が生かされていないという指摘は重い。

  • 旧石器遺跡捏造に関する二冊目。
    著者(岡村道雄)は、過去に藤村氏とともに「発掘」に携わり、第一線から退いた後も積極的に彼らの「成果」を宣伝してきた人物である。その著者による反省の書であり、研究者でありながら「捏造」が見抜けなかった背景について考察している。

    事件に関する考察は、もう一冊の本(河合信和,『旧石器遺跡捏造』,文春新書)とほぼ同じである。「捏造」が見逃され続けた背景には、当時の学会における論争(「前期旧石器」存否論争)があったこと、そして、マスコミにおける過熱な報道が、「捏造」に対する疑問や反論を封じ込める結果となったことが指摘されている。

    ただ、著者は実際に発掘現場にいた身であることから、より専門的な話も書かれている。例えば、当時の発掘では「発見者と研究者が階層的な役割分担」(p.37)を持っていたとされ、現場で発掘品を「発見」する発見者と、それに(不審点を疑問に思いつつも)“合理的”な説明をつける研究者とで役割分担が行われていたと言う。こうした構造も、「捏造」が見逃され続けた背景であったと言えよう。

    本書の評価については「弁明」「責任転嫁」などの批判的なものが目立つ。確かに、その論調は、どこか自己弁護的なものがあることは否定できない。しかし、単にそうした一面的な評価を以って斬り捨てるのではなく、当時のプロたちがどのように騙されたのかを知る意味でも、少し耳を傾けてみるのも悪くはないだろう。

  • スクープ後まもなく出された毎日新聞社の『発掘捏造』の時点では、捏造は、毎日が目撃した総進不動坂と上高森の2件だけということになっていたが、その後、1974年以降藤村の関与した「遺跡」は殆ど全部クロということになったらしく、ちと戸惑う。
    こちらは、共犯とも教唆した黒幕とも批判されたという、藤村の初期の「成果」で若いころの業績をあげ、発覚当時は文化庁の役人で、「発掘」成果を無批判にとりいれた著書をたくさん書いて物議をかもしてしまったという岡村道雄が、定年退職してやっと自ら総括したという本。
    なんか言い訳だらけ。いやみで情緒的な決め付け文章もあちこちにあり(結局彼は、石器にも、遺跡にも、難しい学問的な興味はなく、うまくばれないように石器を埋め込むための情報を得、手口を考えるかが重要だったのだろう。とか。まあひどい目にあったんだから、恨み節にもなるわな。)、自分への批判と聖嶽報道で自殺した賀川氏のことを絡めて書いたりとか、ちょっと科学者的でない書きぶりが、悪いけど、発覚直後「小説的な語り口」等を批判されたのもさもありなんと思ってしまう… 藤村本人に聞きたかったことを箇条書きにしているところも、もろ誘導尋問で、そんな聞き方じゃホントのことは聞きだせませんよ、って感じ(実際に著者に会った時、藤村は捏造に関することは殆ど何も語ろうとしなかったのだが)。
    とはいえ、今なお書くことを止めた人たちもいたというから、こうやって自分なりの総括を公にするだけでも、大変なことだったんだろう。
    考古学についての学術的な専門的知識を持たない藤村が、なんで一定の学説に合致した捏造を何度もできたのか? と思うと、専門家の教唆ないし示唆を疑うのが自然だが、今にしてみれば、(かなりめちゃめちゃだった後期だけでなく初期の発掘も)おかしな点が多々あるというのなら、違う場所の出土品を埋めてまた掘り返して見せたという犯行は単独犯だったというのはわかるが、学術上や社会的な問題は、そんなもんに学術的な価値を与えた人たちの責任としか思えないんだけど?
    だってちゃんと見抜いていれば子供のいたずらみたいなことですんだことを、ちゃんと検証もしないで囃し立てたからこんなことになっちゃって、しかもエスカレートして35年も続いちゃったっていう話じゃん?

    今では「捏造」は特に注目されていなかったころからやっていたことになっているが、じゃあそもそもなんでやろうと思ったのか、とか、「捏造」に使った出土品は、本来あったところでちゃんと発見を報告していればそれはそれで価値があったはずなのに、なんで「捏造」の道具にしちゃったのかとか、それらは著者が藤村に問い質したかったことにも通じるのだが、結局わからないままだった。

  • 「ドッゴハンド」。次々と歴史を塗り替える石器の発掘をした
    男がいた。しかし、彼は25年近くも自作自演を続けていた。

    毎日新聞のスクープにより、捏造の手口が暴かれたのは約10年前。

    この捏造事件の際に文化庁の主任文化財調査官だった著者が、
    捏造事件を検証する書である。言い訳の書でもあるかもな。笑。

    遺跡捏造のスクープを放った毎日新聞の取材班がこの事件をまとめた
    本は大分以前に読んだ。こう言っては何だが、ドッゴハンドの捏造
    手法は小学生でも思いつく単純なものだった。

    では何故、多くの考古学者がそれを見破れなかったのか。しかも
    25年に渡っての捏造である。考古学の世界が抱える旧石器への
    期待感が根底にあったのではないか。

    発掘作業のなかで、なかなか石器が発見されない遺跡でも彼が発掘に
    参加した途端、いきなり多くの石器が発見される。後年にねると、
    なんと発掘予言に近いことまでやってのけている。

    「神の手」。いつしかそんな名を賜った彼の発掘に対して、懐疑的な
    人々も存在した。著者自身も疑問点を彼や共同発掘者にぶつけている
    のだが、反論されるとそれ以上の追求をしていない。

    捏造を繰り返した本人の罪が一番思いだろうしかし、自分たちの仮説
    に符合するような出土品が発見されれば、徹底的な調査もせず旧石器
    であるとしてきた考古学会にも大きな責任があることも確かだ。

    ドッゴハンドには考古学の専門知識はなかったという。その彼は捏造
    発覚後、精神を病み解離性同一性障害と診断され、一部の記憶を失く
    しているという。

    教科書を書き換えるほどの発見が、ほぼ捏造であった大事件である。
    なのに、その動機や真相は今や闇の中だ。彼が次々と旧石器を発掘
    したことで、当時はにわかに考古学ブームが巻き起こった。あれは
    一種のバブルだったのかも知れぬ。

  • 事件の発覚当時,「周りの人がすぐに気づきそうなもんだが…」と思った記憶がある。

    それでも気づかれなかったのは
    ○ 発掘成果の検証体制の不備
    ○ 発掘者や研究者の倫理の問題
    ○ マスコミによる報道の過熱
    ○ 考古学ブーム
    ○ 「まさかそんなことをするはずがない」という思いこみ
    にあったという本。

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