- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784635320047
作品紹介・あらすじ
山で働き暮らす人々が実際に遭遇した奇妙な体験。現代版遠野物語。
感想・レビュー・書評
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実家の近くには、2-3分で行けるところに、低い山があり、そこにある神社の境内などで遊んだりしていた。
高校か大学の頃、トレイルランニングもどきに山を走ってみようと朝に行ってみたことがある。
山の中は、静まりかえっていて、薄暗かったり、変な音が聞こえたりするわけでもないのに、気味が悪くなり、そそくさと帰ってきてしまった。
単純に怖がりなだけなんですけど、そんなこともあって、山の怪を記した本書に興味を持って読んでみました。
後書きにもあるように、記されている話は、不思議な話というくくりでもあるからか、怖い話でもじわじわとくる話が多い。狐火や、不思議な音、迷ってしまう話などが多いが、その中でも山小屋関連は、ジワっくる「怖い話」だった。他の怪談系でもあったが、山小屋で何かがきている話は怖い。
また、狐について、地域差がある話など、直接聞くことによってわかる話もとても興味深かった。
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すっっっごい、おもしろかった!こわい!!
だって、ものすごい昔の話じゃない、まだ生きてる人から聞いた話やで?夜、一人で読んでいたら怖くなって、子どもが寝ている布団に潜り込んで、ぬくぬくしながら最後まで読んだ。
自然の中で暮らしたい。そんな夢みたいなこと思っていたけれど、ちょっと怖じ気づく。子どもが、キツネにさらわれたら、どうしよう?・・・なんて本の一冊読んだだけで思ってしまう自分なんか、おそらくまっさきにキツネや蛇やタヌキに悪さをされるタイプなのでは。 -
面白かった。
長年東北などのマタギを取材しているカメラマンである著者が聞いた、民話や昔話と言うほどではない(しかしそれ故に消えようとしている)「山人が語る不思議な話」。
誰も入っていないはずの山で、木を切るチェーンソーの音がする。
前まで来た足音と開けた音がしたのに、開いていない扉。
日々通って慣れ親しんだ山で、なぜか迷った話。
「これはこういうことだろう」というオチがあるわけでもなく、(「あれはリンが燃えてるんですよ」、だとか「亡くなったばかりの家族のしわざ」「狐のしわざ」という人もいるけれど)ただ、不思議なことがあった、という語りを集めている。
中には、どう考えても酔ってたからでしょ、というようなお話もあるが、それはそれで面白い。
昔は祖父や祖母の語るこういった話を聞いて、それが民話などの形に熟成されていったが、今はまず少子化で子どもがいないし、子どもたちはゲームに夢中、語る祖父祖母もテレビに夢中でそもそも語る機会がないそうだ。
この本は貴重な話の集積になるかもしれない。
山ですれ違ったがほかの人間には見えなかったという、編み機を片手にぶら下げた女の話に対する、「いったいどれだけ編み物好きなのだろうか」という著者のツッコミ(?)や、「狐火の正体は俺だ」と語る話の構成、「おわりに」で書いている怪異譚に対するスタンスなど、むやみに全て肯定せず、かといって否定するでもない著者の受け止め方にも好感が持てた。 -
思うことあって再度読み直したが、やはり怖い。マタギや木樵の人たちから聞いた話をまとめたものだが、とても怖い。
夜一人で布団の中で読んでいたら、何かが屋根の上やベランダにミシミシッと乗ってきたような音がして、思わず防犯カメラで確認してしまった。何もいなかったが怖かった。夜に読むのはおすすめしない。
でも、2巻も借りてこよう! -
著者はフリーランスカメラマン。礼文島から西表島まで、全国を股に掛け、主にマタギなどの狩猟を取材する。
本作はそんな取材の際に、あちこちの山人から聞いた、山に関するちょっと怪しい物語。
タイトルは「やまかい」と読むのかと思ったら「さんかい」と読ませるらしい。
1つ1つの話はごく短い。
突然現れる白い道。勇んで進むといつの間にやら藪の中。
ふっと現れて個室トイレを使う女。去っていく後ろ姿を見ると足がない。
狐に取り憑かれた家。狂った息子の背中をどやすと息子はおとなしくなったが、今度は母が大暴れ。オオカミを祀る神社からお札をもらうと異変は収まる。
悪天候の中、たどり着いた小屋に近づいてくる錫杖の音。シャン・・・シャン・・・。止んだかと思ったら一瞬後にドン! 小屋までもが揺れる。
別段、オチはない話もある。不思議だが、結局何だったのか、最後までわからない話も多い。
笑い話で済むような話もあるが、実際に人の命が失われることもある。
不条理だけれど、そんなこともあるのだと何となく人々が納得してしまっていることもある。
そしてこれが「現代に」あったことだというところが本書のミソだろう。
しんと静まる山の中に、一人取り残されたような、何だか心許ない話なのだ。
怪談と呼ぶほどは怖くない。呪いや祟りと呼ぶほどおどろおどろしくない。
見間違えたのだとか錯覚だとか、説明を付けようとすれば付きそうなものもあるが、むしろ謎は謎のまま放置しておきたいような、そんな気もしてくる。
この感覚はどこか、遠野物語にも似ている。
生身の体で山に一歩踏み込んだとき、人は無防備で、あまりにも無力なのかもしれない。
闇のしじまに目を凝らし耳を澄ます、そんな心持ちがする。 -
東北の訛りは聞き取りにくいのによく本にまとめたなあと思った。内容は子供の頃よく聞いた祖母と友人の世間話と似ていた。(出身青森)自然・山には説明出来ない不思議があり、畏怖しなければならないものと知らず知らずに刷り込まれてたのかもと思った。
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本当に恐いです。
地味に恐いです。
阿仁マタギや各地の猟師、山びと達から、実話として聞いた、奇妙で恐ろしい体験談集。
昔から、山は恐いところでした。
灯りのない頃、山は真っ暗なところでした。
山には獣がいます。山は神様も居ます。
山は彼らの縄張りでした。
山びとは、彼らを認め、彼らを尊重し、そして上手に付き合ってきました。
でも、それは、とても恐いことなのです。
自然を怖れ、自然と共存する。
そうやって、日本人は山深い里で暮らしてきたのです。
本書を読んで、いままで普通に遊びに行ってた場所が、恐い場所に変わっても、その責任は負えません。
だって、山はもともと恐い場所なのだから。 -
山歩きに行ってテン泊なんかすると、周囲は本当に漆黒の闇に閉ざされる。夜中にふと目が覚めて、目の前で手を振ったりしても全く何も見えないほど。
表では時々、ひたひた、かさかさ、などと訳の分からない音がしたり(テントだと増幅されて聞こえるらしい)、外に出るとキラリン☆と何かの目が光っていたりする。
人里離れた場所は、怪異な雰囲気に満ちている。
最近でもそんな調子だもの、昔はもっと、いろんなものがいたり見えたりしただろうなあ、と思わさる。
著者(以前読んだマタギの本を書いた人でもある)が、秋田の阿仁マタギほか全国各地の山人たちから、「山で出遭った怪」について聞き書きした本である。
狐に化かされた話、人魂の話、山小屋にやって来る足音の話などがたくさん出て、寝る前にベッドで読んでいると背筋がゾワゾワくる話が満載なのだが、一番怖かったのは「道の傍らになにか人間でないものがうずくまっていた。その顔を見て腰を抜かし、ほうほうの体で逃げ帰ったあと、3日高熱で寝込んだ。一体どんな顔を見たんだろうか」というような描写が出てくる時である。
とにかく、なんだかよく分からないものが一番おっかない。