1985年刊。
著者は
① 藤田覚(東京大学史料編纂所助手。天保期以降の海防論)、
② 守屋嘉美(東北学院大学文学部教授。阿部正弘政権論)、
③ 森安彦(国文学研究資料館史料館教授。生糸販売業の開港による経済変動)、
④ 井上勝生(北海道大学文学部教授。尊王攘夷と公武合体運動)、
⑤ 青木美智男(日本福祉大学社会福祉学部教授。民衆教育の進展)、
⑥ 宮崎ふみ子(東京大学史料編纂所助手。民衆の宗教運動)。
編者は青木美智男と河内八郎(茨城大学人文学部教授)。
有斐閣「講座日本近世史」7巻は開国前後の模様を叙述する。
阿部政権の内政外交を描く②。
そもそも阿部外交(和親条約の締結)を否定的に見るのは意外だが(状況から考えてかなり頑張ったと思う)、外交と内政が連関性を強めていること、内政の立場が紀州派・一橋派というような単純な構図ではないことは読み解ける。
具体的には、阿部正弘政権から堀田政睦政権初期の分析には、
⑴a幕権強化・雄藩連合否定、
b幕権強化・雄藩連合肯定、
c幕権剥奪・雄藩連合肯定、
d幕権剥奪・天皇集権型。
これに
⑵a開港促進≒自由貿易促進、
b鎖国堅持・攘夷。
分析にはこれらのマトリックスが必要な点は読み解ける。
例えば、島津斉彬は⑴b⑵aだが、水戸斉昭は⑴c⑵b。
松永慶永は⑴b⑵b→⑵cへ。
あるいは阿部正弘は⑴b⑵a(開明派幕府吏僚もこれに近い)。
井伊直弼は⑴a⑵aに近い等。
一方、民衆の土着宗教で富士信仰の意義(⑥)、あるいは寺子屋的教育の淵源は近世初期に遡る。
理由はⅰ)いわゆる村請制確立と実施のため、ⅱ)増加しつつある小規模農民=広い中間層の農業経営の実を上げるために、村内での識字力向上が必要ということ。
しかし、商業の進展が急ピッチに進む天保期には、いわゆる寺子屋に飽き足らぬ私塾までが増加するという状況にまで辿り着く。
高い学力の必要性が商業の発展と軌を一にしている可能性は十分配慮する必要がある。
さて、生糸輸出の進展が、従前の貨幣経済進展の中で商人性を強めてきた地方の豪農層(例えば質屋を兼業)から農民的性格を剥離していく。さらに、商業資本家へと進む傾向が見て取れそう。
また、維新の少し前から暫くは不況であった。
これは、内乱と政権交代による日本の不安定さ、欧州市場において病虫害を克服した養蚕業の回復、日本の生糸の価格高騰、米国南北戦争による混乱等が理由に挙げられよう。
また、開国直後にぼろ儲けした欧州の大型商社は日本で衰退。生糸生産元を抑えきれなかったためか。
①につき、海防は財政制約と密接な関係にある。
そもそも、莫大な費用を要する海防は、確かに幕府など中央権力における喫緊の課題であった。ところが、幕府財政は破綻寸前で、海防の各藩への委託は不可避であったが、委託の進展は分国亢進を帰結する。
従前の幕藩的分国制では租税の一元管理・配分不可能という認識が生まれ、分国的な藩権力を中央に収公する必要性を自覚するに至った。それは幕府・雄藩ともに認識しており、その権力の帰属をめぐる闘争が幕末の闘争であった。