- Amazon.co.jp ・本 (348ページ)
- / ISBN・EAN: 9784642008013
作品紹介・あらすじ
倭国はどのように誕生したのか。日本歴史の原点である旧石器・縄文時代から初期ヤマト政権誕生までの時代を、自然環境、東アジアとの関わりの問題も含め、考古学の最新の成果にもとづきダイナミックに描く。
感想・レビュー・書評
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旧石器捏造発覚からそれ程経っていない時期に書かれているので、いささかの乱れが見て取れるものの、時代が下った縄文期から弥生期にかけては間違いない、疑いない、の断定でどんどん進んでいく
これもまた今の時期から見ると随分おかしな所が多く見受けられ、この界隈の人達は一生このまま繰り返すと思うと悲しく感じられる詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
日本の時代史1 倭国誕生 白石太一郎
2002年(平成14)6月10日 第一刷発行 吉川弘文館
はじめに
一 日本列島の黎明
1 日本列島の形成と旧石器文化
2 縄文文化の成立と展開
3 縄文文化の特質
二 弥生文化の成立と展開
1 水田耕作の始まりと渡来人
2 農耕社会の成立
3 クニの成立と地域的首長連合の形成
三 倭国の誕生
1 考古学からみた広域政治連合の成立
2 邪馬台国連合の成立
3 倭国の誕生はいつか
四 倭国の変容 初期ヤマト政権の成立
1 初期ヤマト政権の成立
2 ヤマト王権の原領域
3 初期のヤマト王権
おわりに 倭国の国家形成の特質
Ⅰ 日本の旧石器文化 東・北アジアから考える
一 人類の起源と東アジアへの到達
二 東・北アジアの中期旧石器文化について
三 後期旧石器時代の石器群の変遷
四 後期旧石器時代の衣食住
五 後期旧石器時代の精神文化
六 石器捏造問題を考える
Ⅱ 縄文文化論
一 縄文時代とは
二 縄文人の基本戦略と環境変化
三 定住の利点・欠点と欠点の克服
四 定住的狩猟採集文化の完成
五 縄文社会の限界
Ⅲ 農業の始まりと地域文化の形成
一 二つの弥生文化
二 大陸系の弥生文化要素
三 縄文系の弥生文化
四 大陸系文化要素の意義と弥生文化の多様性
Ⅳ 考古学からみた漢と倭
一 楽浪海中に倭人あり
二 東夷の王、大海を渡る
三 倭の奴国王、使いを遣り奉献す
四 共に一女子を立てて王となす
五 親魏倭王卑弥呼
Ⅴ 日本列島の環境史
はじめに
一 環境と環境変化の特質
二 旧石器時代の環境史
三 縄文時代の環境史
四 縄文時代から弥生・古墳時代
Ⅵ 倭人の形成
はじめに
一 旧石器時代の日本列島人
二 縄文時代人
三 縄文人から弥生人へ
あとがき
参考文献
関連年表
図録目録
索 引
P33 弥生時代の社会で・・・青銅器の原料、鉄の精錬遺構
P41 一方、伊都国の中心と考えられている福岡県怡土平野にある前原市の三雲・井原遺跡群中の三雲南小路一号甕棺墓も・・・福岡藩の国学者青柳種信が残した詳細な記録『筑前国怡土群三雲村古器図説』・・・
P58 現在のところ、こうした機内・瀬戸内海連合と玄界灘沿岸地域との・・・これに代わる仮説として、北部九州勢力の畿内への・・・
P71 箸墓古墳については、『日本書紀』にきわめて興味深い伝承が伝え
られている。すなわち崇神天皇十年九月条には・・・
P82 邪馬台国の領域 こうした畿内地方の南北の古墳分布にみられる顕著な相違は何に起因するものであろうか。・・・
P88 古墳時代前期の古墳には、一基の古墳に二~三基の埋葬施設が検出されているものが少なくない。・・・
P118 装身具を身に着ける習慣が本格的に始まったのも二~三万年前
P139 たとえばエジプトのワディ=クッバニーヤ遺跡では、豊富な野生の根茎類を中心に定住化が試みられたし(C,Renfrew and P.Bahn,1991)、ロシアのマリタ遺跡では豊富な動物資源を基に定住化が試みられたという(木村英明・1997)・・・
P195 濃尾平野に定着した遠賀川系の集団が、水田耕作をおこなっていたことはまず間違いないだろう。まだその時期の水田跡はみつかっていないがそれ以外の文化要素を総合し、西日本の状況と比較してみれば明らかである。一方、条痕文文化やその影響を強く受けた中部高地・関東地方の初期農耕は、水田稲作ももちろんおこなっていたが、石器の組み合わせや台地上に立地することが多い集落のあり方からすると、陸稲ないし雑穀栽培にかなりの比重を傾けていたのではないかと想定される。縄文人はキビ・マメ・ゴボウ・ヒョウタンなどかなりの種類の植物を栽培していたことがわかっている。そのひとつにイネが加わり陸稲として栽培され、弥生前期にそれがメジャーフードになったのではないだろうか。
P270 最近、三内丸山遺跡の近くの大矢沢野田遺跡で、同時期に、クリ林だけでなく、ウルシ林を維持・管理していたのではないと思われる痕跡が見つかった。クリやウルシだけでなく現在野生植物として一括してしまっている多くの植物が、人間との深いかかわりによって、人為的に維持・管理されていたのではないだろうか。