- Amazon.co.jp ・本 (410ページ)
- / ISBN・EAN: 9784642039284
作品紹介・あらすじ
関東大震災後、朝日・毎日両新聞社が寡占体制となる。ラジオ放送の開始、国家総動員体制とメディアの協働関係、敗戦からテレビ放送浸透へ…。活版印刷が消えてインターネットが始まった現代までの歴史を明らかにする。
感想・レビュー・書評
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近代日本のメディアの「不都合な過去」。いよいよ下巻の1919‐2018。新聞だけでなくラジオやテレビも登場してきます。上巻は1918年の朝日新聞が白虹事件に屈して完全に権力にすり寄るところで終わりましたが、下巻は、その朝日新聞が東京日日新聞とタッグを組んで市場を独占するプロセスから始まります。それは資本の論理で弱小新聞を追い込んでいくビジネスの徹底です。しかし、編集に対して経営を優先させる在り様が1945年の敗戦に至るまでの政府の広報機関としてのメディアに自ら化していく歴史につながっていきます。それは敗戦後のGHQへの忖度とも相似形に思えます。本書では言及されませんがTOKYO2020の中止を社説で掲げた新聞が、オリパラスポンサーであり続けた時に新聞と新聞社は違うんだ、ということを感じましたが、それは日本の新聞にそもそも埋め込まれたDNAなのかもしれません。公共的な役割と私企業としての利益の相反、購読者がどんどん伸びてるときは露呈しなかったことが顕在化しているのかもしれません。しかし、最終章、著者は言います。「そもそも新聞(ニュース)、新聞紙(ニュース・ぺーパー)、新聞社は別のものであり、新聞を必ずしも紙に印刷し発行する必要はない。新聞は電報、テレビ、ラジオでも伝えられてきたし、インターネッとによって伝えられるようになったのは当然である。新聞、新聞紙、新聞社を不可分のものと考えてきたのは、これまでの歴史の惰性にすぎない。」と。さらに続けて「新聞社の経営衰弱と新聞の衰弱を混同してはならない。ましてそれを民主主義の危機などと直結すべきではない。新聞社ジャーナリズムが民主主義の担い手だったというのは新聞関係者の勝手な神話である。本書で述べてきたように、新聞社ジャーナリズムは自社の経営拡大と、読者を国策に動員することこそ自己の使命としてきたのである。」…納得!だけど、さて?
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東2法経図・6F開架:361.45A/A78k/2/K