- Amazon.co.jp ・本 (196ページ)
- / ISBN・EAN: 9784642056557
作品紹介・あらすじ
江戸時代の"捨て子"は、どこに、どのように捨てられ、拾われたのか。ともに添えられたモノや手紙に託した親の思い、捨て子を貰う人々、江戸にもあった赤ちゃんポスト構想。そこから見えてくる捨て子たちの実像を描く。
感想・レビュー・書評
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徳川綱吉の生類憐みの令の一環で捨て子が取り締まられるようになったが、現実には、貧しい層で捨て子はよくあった。それでもなるべく裕福な家庭にもらわれてほしいと思うのはやはり親心のようだ。興味深いのは、上級クラスでも捨て子があったこと。貧困だけが理由ではなかったようだ。
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江戸時代 [生類憐みの令] により子供は共同体で育てるものという考え方が定着していったこと。
明治へと移り、家という観念が強化され子供の養育には母親の責任が重大だというように変わっていったこと。
そして現代、より子供の養育に関しては狭苦しい考えかたになってきているのではないか…と思った。 -
江戸時代から近世にかけての役所に残る公文書記録から読み説かれている。
生類憐みの令の果たした役割、捨てられる場所、一緒に置かれた物品や手紙、捨てられた後につけられた名前など、興味深い。
あとがきで、南西日本では捨て子、対して東北日本では間引き、堕胎に関する史料が多いとある。続きの本は出たのか、調べてみようと思う。
産業革命時代の英国の子どもとも比較できようし、鎖国時代とはいえ、どうやらロシアの捨て子養育院を参考に、役人が案を出していた件などについても書かれている。 -
この子を殺して私も死ぬ!という極に走らずに、双方共に生き残るために子を「捨てる(=託す)」。
望みを運に託して子を人のもとに捨てる。
ひとつもこぼさないようにするよりも、こぼれても大丈夫にするほうが大事なんだろうな。
捨て子を捨吉と名づけて、でもそりゃあんまりだろうと変更したり、親に気づかれやすいように捨てられた場所の名前を入れたり、幸せを願う名前にしたりって話が印象に残った。