江戸のパスポート: 旅の不安はどう解消されたか (歴史文化ライブラリー 432)
- 吉川弘文館 (2016年8月19日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (270ページ)
- / ISBN・EAN: 9784642058322
作品紹介・あらすじ
街道の整備や旅(はた)籠(ご)の充実などにより、庶民の旅が盛行した江戸時代。旅人は、身許証明であると同時に、病気や不慮の事故の際に保護を求める文言が記された「往来手形」を携えていた。追放・勘当による無宿者など、手形の恩恵を受けられない人々の問題にも触れつつ、この旅行難民救済のシステム=パスポート体制からみえる江戸時代の光と影に迫る。
感想・レビュー・書評
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■一橋大学所在情報(HERMES-catalogへのリンク)
【書籍】
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旅先でどうにかなったらどうしよう、と言うのは皆考えることだと思うが、独り身とはいえ救援者費用の保険はかけるようにしている。
今よりずっと旅行環境が苛酷だった江戸時代にも、順礼やら商売やらでそれなりの往来があって、当時はどうしてたのだろうか。タイトルに引かれて手に取った。
江戸時代の庶民の旅行は、元禄時代(1700年頃)から増え始め、19世紀後半にピークを迎える。18世紀後半(1767明和令あたり)から、往来手形が発行されるようになり、これが一種の身分証明とともに万一の際の救護を求める文書になっていたという。どこかで病気になっても、往来手形で身元が確認できれば、公費で村継ぎにカゴで送り返すしくみがあったのだ。取り上げられている例では、鳥取から青森とか、かなりの遠隔地まで運んでもらっている。
本書では、紀伊の田辺町の史料によっているが、ここは熊野参詣の中辺路の基点にあたり、自分が中辺路を歩いたときもすごい難路で苦労した記憶があるが、困窮状態に陥るものも少なくなかったようだ。
一方で、この恩恵にあずかれない「帳外」の人口がだんだん増加し、宗門人別改帳に記載のある人、つまり戸籍登録のある人口が減ってしまう現象が発生する。天保の飢饉などで乞食に出てそのまま後難を恐れて義絶されたりしたケースが多かったようだ。明治になって往来手形が廃止されるまでこの傾向は続いたというが、そういえば、欧州でも第一次世界大戦やロシア革命で無国籍者、法の保護の外にある人の大量発生が国の解体を導いたのではなかったか。
もちろん著者はそこまで言ってないけど、ハンナ・アレントがそんなことを言ってたような、いなかったような。