六波羅探題 (歴史文化ライブラリー 535)

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  • 吉川弘文館
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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784642059350

作品紹介・あらすじ

承久の乱後に京都に置かれた鎌倉幕府の出先機関、六波羅探題。洛中の治安維持と裁判を担い悪党の鎮圧を任されるなど、西国統治に重要な役割を果たした。北条一門の有力者が任命され、執権・連署に次ぐ重職とされた実態はいかに。朝廷や大寺社とも折衝しつつ、機能を整えていった変遷を辿り、政治家としての力量が問われた探題北条氏の姿を描く。

感想・レビュー・書評

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  • 鎌倉幕府の京都における地方機関である六波羅探題について発足から滅亡までを通史的に概観する内容。歴代の活動内容や組織としての変遷が分かりやすく、六波羅探題の視点から見る鎌倉時代史の叙述は興味深いものがあった。

  • 承久の乱に勝利した鎌倉幕府は六波羅探題を設置した。六波羅探題は従前の京都守護と比べると鎌倉幕府直轄の組織である。六波羅探題には北条一門が就任した。六波羅探題は北方と南方に分かれていた。相互牽制の工夫である。

    中世の日本では東西を中央集権的に支配することは不可能であった。後の室町幕府も関東に鎌倉府を置いた。しかし、このような機関は中央から自立し、独立王国化する危険がある。実際、鎌倉公方は室町将軍に対抗しがちであった。六波羅探題を北方と南方に分けることは一つの工夫である。

    鎌倉時代は北条氏による他氏排斥が相次いだ。これは北条氏自身にも影響を及ぼした。比企能員の変では北条義時の正室の姫の前が離縁した。北条義時没後の伊賀氏の変では義時の後妻の伊賀の方や兄の伊賀光宗は流罪になった。

    しかし、一族誅殺を繰り返した北条氏にしては子ども達には寛大であった。義時と姫の前の次男の重時は六波羅探題として兄泰時の執権政治を支えた。重時の子孫は極楽寺流となり、執権や連署、六波羅探題を輩出した。義時と伊賀の方の子どもの政村も伊賀氏の変で影響を受けず、執権・連署に就任し、北条時宗の時には一族の長老として得宗を支えた。

    義時と姫の前の長男の朝時は母親の離縁の理不尽への反発や正室の息子という自負から得宗に反抗的であった。この傾向は子孫にも継承され、子孫の名越流は宮騒動や二月騒動と謀反を企てたとされる。しかし、二月騒動の名越氏の謀反は冤罪とされ、逆に討伐した御内人らが処刑され、名越氏は復活した。北条氏は源頼家の息子の一幡や阿野全成の息子の阿野時元を殺害しており、源氏嫡流滅亡の原因になっているが、北条一門には凄惨さは後退している。

    鎌倉幕府滅亡時は北条一門は一緒に滅亡した。六波羅探題も鎮西探題も滅亡した。名越流も最後の当主の北条高家が六波羅探題救援のために上洛し、後醍醐天皇方と戦って討ち死にした。この時に一緒に上洛したのが足利高氏である。高氏は鎌倉幕府を裏切り、それが鎌倉幕府滅亡につながる。鎌倉時代は一族の殺し合いが繰り返されたが、北条一門は滅びる時は一緒に滅びた。暗君の北条高時が得宗であったことも踏まえれば北条一門の有力者の一人くらい裏切っても不思議ではないが、そのようにはならなかった。江戸幕府滅亡時に御三家が朝廷側に立ったことと対照的である。

  • 京都占領軍による〈承久の乱〉の戦後処理を主任務として成立した。「得宗家の泰時・時氏」から「極楽寺流北条氏の世襲による請負」に移行し、朝廷→関東申次(西園寺)→執権探題という流れを作る。蒙古襲来を契機に「得宗家・身内人ライン」で強化し官僚機構を整備、「北条氏傍流の能力主義」へ変遷し寺社対応や悪党対策で疲弊していく「悪党とは、荘園領主が荘園支配の秩序回復を目指し、幕府・六波羅の武力を引き込むために使用した、訴訟上の用語」とのこと。滅亡に際し探題被官は全滅するも、在京人は建武・足利政権で生き残った(2021年)

  • 承久の乱後に設置された六波羅探題と重役に就いた北条一門の有力者の実態を描いた本。
    探題には有能な人物が選ばれており、北条氏は得宗以外も人材が豊富であることがわかります。
    得宗家から疎まれた名越一門の高家のあっけない戦死が、足利尊氏に裏切りをきっかけを与え、六波羅滅亡、北条氏滅亡に繋がっていく歴史の皮肉です。

  • 承久の乱の戦後処理・占領軍的性格だった初期から滅亡に至るまでの六波羅探題について、歴代の北方・南方探題についた北条一族それぞれの履歴を主軸に通史が丁寧に解説される。京都の警察的役割やまつろわぬ寺社強訴勢力への対処、六波羅探題を支えた探題被官や在京人・官僚についても詳述される。

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著者プロフィール

1961年、神奈川県生まれ。1983年、國學院大學文学部史学科卒業。1989年、國學院大學大学院博士課程単位取得退学。現在、國學院大學非常勤講師、博士(歴史学) ※2021年11月現在
【主要著書】『六波羅探題の研究』(続群書類従完成会、2005年)、『北条重時』(吉川弘文館、2009年)、『小田原北条氏権力の諸相』(日本史史料研究会、2012年)、『中世の武家官僚と奉行人』(同成社、2016年)

「2021年 『六波羅探題 京を治めた北条一門』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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