- Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
- / ISBN・EAN: 9784642063944
感想・レビュー・書評
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1940年から参謀本部の中堅将校の動きを中心に日米開戦に至る経緯を分析。
彼らなりの合理性を備えていたとはいえ、一貫して見られるのは組織の論理優先、手段と目的の倒錯、過度な楽観的見通し、相手国に対する無理解といったところだろうか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
対米開戦に至る過程には、参謀本部の田中新一作戦部長以下の作戦幕僚たちを中心に、彼らなりの合理的思考があった、とするのが特徴。日中戦争の「東亜戦争」への拡大シナリオ。独ソ開戦に影響された陸軍の性急な北進論とこれを抑えるための海軍の南進論。官僚的作文の産物である41年7月の「帝国国策要綱」での両論併記、同時に決定された南部仏印進駐に対する米の反発、対米戦覚悟、と続く。
なるほど、一定の論理はあったのだろう。戦争準備たる動員には時間がかかるために「開戦決意」は早い段階で必要、という陸軍の理屈にも筋がなくはない。しかし机上シミュレーションや予算獲得のような平時の政策なら想定するシナリオに沿って行動するのは分かるが、全面禁輸により米が戦争の対象として浮上して以降、戦争は他の何をおいても避けるべき選択肢とはならなかったのか。それともこれは後世から見るからで、当時は対米戦の想定被害を過小評価し、かつ対米戦が自然な惰性の流れだったのだろうか。
また、日ソ不可侵条約があったのに、これを破棄する北進論が対米開戦の直前まで一貫して作戦幕僚の念頭にあったのも現在の感覚では驚く。独ソ不可侵条約から2年後に独ソ戦が始まっているので、当時の感覚はそうだったのだろう。
なお、著者は別に「海軍善玉論」でもなく、陸軍の唯一の対抗勢力である海軍も、米を想定敵国として組織を拡充してきており、この場に及んで非戦を決断できなかった、と書いている。