- Amazon.co.jp ・本 (279ページ)
- / ISBN・EAN: 9784642075220
作品紹介・あらすじ
江戸時代後期、商人資本の蝦夷地開発により変容・解体を迫られるアイヌ社会。古代?近代に至る蝦夷地(アイヌモシリ)の姿を東アジアの視野から見つめ、国家と民族、市場経済と地域、文明と未開の文化意識を考える。
感想・レビュー・書評
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「蝦夷」と呼ばれた人・土地は、古代から中世、近世とその範囲を変えてきているが、国家に「まつろわぬ」境界外の者や場所を指してきた。
本書では、古代から近代までを一応対象とはしているが、主として近世の蝦夷地、そしてそこに住むアイヌ民族と、松前藩や幕府その他の「日本」との関係を考察したもの。
特に興味深く読んだのは、第3章、第4章の蝦夷地における経済的動向のこと。 第3章では、蝦夷地の開発がアイヌ社会をいかに変容(というより破壊)したかを叙述する。
「商場知行制」から「場所請負制」へと享保から元文期に移行する。商場知行制がもっぱらアイヌ交易を内容にしていたのに対し、場所請負制は交易権と漁業権の二つを含み、むしろ漁業経営が中心となって展開していく。産物で言えば、鮭と鰊。鮭は塩引鮭で食料、鰊は肥料として用いられた。このように蝦夷地が商品生産地するとともに、内地から企業的商人が登場する。
そうした中で起きたのが、寛政元(1789)年クナシリ・メナシのアイヌ蜂起。請負地での日本人出稼ぎ者の横暴に耐えかねて起こしたもの。蜂起は日本側の策略により早期に鎮圧されてしまったが、この寛政蝦夷騒動は幕府に大きな衝撃を与えた。それは、この蜂起の背後にロシアがいるのではないかとの危惧を持ったため。
そして幕府は寛政11(1799)年東蝦夷地の直接統治に踏み切り、場所請負制を廃止し直捌制を導入した。これは姦商を排除することでアイヌを保護し、アイヌがロシアと結び付くことを阻止しようとしたものであったが、商人を排除しても現地組織はそのまま温存されたため、アイヌの保護にはほとんど役立たなかった。
第4章では、「東アジア物流のなかの蝦夷地」と題して、西蝦夷地から樺太・山丹・満洲とつながるルート、東蝦夷地から千島・カムチャッカへとつながるルート、2つの交易ルートが説明される。また、国内交易についても、各地との商品の取引品目や取引額、取引量などの状況がデータにより説明される。この辺りのことはほとんど知識のないところだったので、非常に興味深かった。
こうして近世には蝦夷地が日本の内国市場と緊密に結び付いていたことを知ったのだが、アイヌに対して、土地や鮭、鰊等の大切な資源を奪い、その社会を破壊したことに何ともやるせない思いを持った。明治国家になっても、近代的土地私有権の名の元に自前の狩猟・漁撈権が制限されてしまったし、不慣れな農業への移行などの同化政策を強いられた。旧土人保護法こそ廃止されたものの、アイヌの歴史についてあまりに無知だったことを恥ずかしく思う。 -
382.1A/Ki24a//K:東2法経図・6F開架