- Amazon.co.jp ・本 (190ページ)
- / ISBN・EAN: 9784653036364
感想・レビュー・書評
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「BOOKLOG」では、この本のサブタイトルが表示されない。
タイトルのみ。
”「唐人殺し」の世界”とだけ表示される。
まるで闇世界のノンフィクション本のように見えるなぁ。
これは、由緒正しい立派な歴史の学術書である。
古文書を緻密に読み解いている。
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1764年4月6日、朝鮮人・崔天宗が宿泊先の西本願寺津村別院にて殺害された。
何者かに喉を一閃、掻き切られたようである。
仲間の通信使団の見守るなか、多量の失血により翌朝までに死に至った。
崔天宗は、朝鮮王朝より派遣された朝鮮通信使団の中官の一人である。
今回の来日は、第10代徳川将軍家治の襲職の祝いへの参加のためであった。
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朝鮮通信使側は、三名の上々官を中心に声明文を作成し、迅速な罪人への対応を大坂町奉行所に伝達・要請した。
現場には残された犯行に使われた凶器の情報とともに。
凶器は、「魚永」と刻印された日本製の短刀であった。
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大坂町奉行所は、外交通使訪問中の殺人事件という特殊案件に消極的だった。
朝鮮通信使に対応する日本の窓口は対馬藩である。
事件は対馬藩にて処理せよ。
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対馬藩の動きも鈍い。
事件担当が決まり、検分した当初、殺害について意見は割れていた。
倹使となった対馬藩目付桜木は、崔天宗の死を自殺と推察した。
直前に朝鮮使同士でのいさかいごとがあったということが先入観になっていたかもしれない。
一方、検分に同道した大石伝十郎は、件の日本刀の情報から、他殺、それも犯人は日本人という見立てをしていた。
藩の見解としては、自殺の線で事件を処理しようとしていた。
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そのころ、対馬藩ではひとつの噂が広まろうとしていた。
事件をうけて召集をかけられた通詞のうち、鈴木伝蔵だけがいつまでたっても姿を現さなかった。
4月13日、ようやく伝蔵の家来が主人の書簡を藩に届ける。
書簡の内容では、伝蔵による殺害の自白が認められた。
伝蔵捕縛のため、日本側が動きはじめる。
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崔天宗殺害に対馬藩内部の人間が関わている。
消極的だった大坂城代は、江戸の命を受け事件解明に動きだす。
対馬藩を通さず直接に通信使と書簡による連絡をとりはじめた。
対馬藩は、正式な筋を通さず「脇筋」から朝鮮とやりとりをするものとして不快感を示す。
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対馬藩としては、事件は不慮のできごとである。
両国の関係を考えての駆け引きがこの事件にまつわる人々に様々な影響を与える。
通信使たちは、帰国後、事件解明が長期化したことの責を追及される。
日本では、下手人鈴木伝蔵の死罪の他、対馬藩家老以下19名の責が問われて処罰される。
事件は、個人的な感情のもつれ、両国関係者の思いの行き違いのなか起こった。
行き違いや相互の不信感がますますつのるなか、両国の関係を憂う当局から、事件は担当機関の管理能力の問題として処理されていく。
その意味で事件はやがて封殺されるべき運命にあった。
しかしながら、事件を通じての人々の思いは風聞として伝わる。
風聞故の歪みを伴いながら。
本書の試みは、風聞がやがて文芸の作品として定着する過程を分析することにある。
定着の中で、明らかにされなかった両国の関係から、対外認識の歪みを固着させるーその発生の道筋を分析を行うーーー興味深い研究である。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
あまり日朝間の関係に踏み込んだ内容ではなかったが、崔天宗殺害事件の経緯とそれに対する幕府、対馬、通信使側の反応と、事件が風聞となり、その後、創作されていった流れを概括した本だった。