政治的なものについて ラディカル・デモクラシー (ラディカル・デモクラシー 1)

  • 明石書店
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感想 : 5
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  • Amazon.co.jp ・本 (217ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784750328195

作品紹介・あらすじ

「左派右派をこえて」「コスモポリタン民主主義」のかけ声の下、時代遅れとして無視される政治的な敵対性。だがそれは今や新自由主義のヘゲモニー下でむしろ激化している。「政治的なもの」の欠乏に抗して多元主義的民主主義の可能性を探究する理論的思考の到達点。

感想・レビュー・書評

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  • 挫折した。

  • 「みんなちがってみんないい」がなぜダメか。政治哲学的にわかる。

  • [ 内容 ]
    「左派右派をこえて」「コスモポリタン民主主義」というかけ声のもと、時代遅れのものとして無視されるようになった政治的な敵対性。
    しかし、右翼ポピュリズムの台頭やテロリズムの続発からもあきらかなように、それはネオリベラリズムのヘゲモニー下でむしろ激化している。
    「政治的なもの」の欠乏に抗して多元主義的民主主義の可能性を探究する理論的思考の到達点。

    [ 目次 ]
    第1章 はじめに
    第2章 政治と政治的なもの
    第3章 対抗モデルを超えて?
    第4章 ポスト政治的ヴィジョンに対する最近の挑戦
    第5章 どの世界秩序を目指すべきか―コスモポリタンな秩序か多極的秩序か?
    第6章 結論

    [ 問題提起 ]


    [ 結論 ]


    [ コメント ]


    [ 読了した日 ]

  • わりとおもしろかった。
    ベルギー出身の政治学者の本。

    ジジェクが、ジャック・ラカンの享楽の概念を使ってナショナリズムの魅力を説明する本を引用してたり。

    イデオロギーの終焉を告げた人々、ベックやアンソニー・ギデンスの理論を批判してたり。


    ブレアは、たしかにサッチャーとは違うやりかたではあるが、結局はネオリベラルの土俵に適応することを選んだ。その企図は、社会民主主義をネオリベラリズムへと融解させることにあったのだ。・・・新労働党の長期戦略は、「社会民主主義を、自由市場を奉じるネオリベラリズムの一変種へと変化させること」である。たしかに、ある程度の再配分や、公共サービスの向上に努めるといった社会民主主義的な目標は、いまだに存続している。とはいえ、これらはネオリベラルの政策に従属しているのだ。すなわち、法人企業を、かつての社会民主主義政権が資本主義を制御するべく設定していた規制から自由にするという政策である。・・・・・」p.92

    トドメは、ハートとネグリの『帝国』を強烈に批判してる。『帝国』とリベラル派のコスモポリタニズムの間には一致が見出せる、と言って。


    事実上『<帝国>』は、コスモポリタンの立場を急進左翼的にしたものでしかない。それは、私たちを力づけてくれるどころか、むしろ、現在における政治的な思考と行動の無力を強めることにしかならないのである。 」p.158


    社会民主主義政治の諸形態とのかかわりにおいては、『<帝国>』で提示されるテーゼとベックやギデンスのテーゼのあいだにはあきらかな一致がみいだされる  」p.161


    『<帝国>』が成功したのは、現行のリベラル派のヘゲモニーに対するオルタナティヴの欠落に特徴づけられた風潮に、風穴を開けたからだけではない。それに加えて、成長をつづける反グローバリゼーション運動に、政治的な言語を与えたように思われたからでもある。・・・・・しかしながら、これらを説明するためにの新たな理論的言語が必要なことは火をみるよりあきらかだった。ハートとネグリが動員したドゥルーズ的な用語が魅惑的になるのは、まさしくここにおいてである。この試みのおかげで、グローバルな運動により表明された多用な抵抗は、ドゥルーズとガタリが『アンチ・オイディプス』や『千のプラトー』で深めていた発想と共鳴できたのである。それでもやはり私は、反グローバリゼーション運動が、『<帝国>』の提示する考えを援用するのはとんでもない誤りだと確信している。 」p.163

    ようするに、この人は、ハートとネグリの『帝国』の言うマルチテュードでは、原理主義やテロリズムの論理に対抗できないばかりか、そのような敵対性を生んでしまうような擬似普遍主義の押し付けになる、として批判してるのだ。

  • 合意形成社会の一端として、多元主義がどのように作用するか。
    ほかの社会学者の紹介も踏まえつつ。内容はとてもよかったがいくつかの矛盾を感じる。多元主義社会において「多元主義を認めない」という人を容認した場合にその社会は崩壊するのではないだろうか。しかしながら多元主義であるがゆえにそれを容認しなくてはならない?もう少しほかの文献も読んでみる必要がある。

    再読/ 2012/10/23
    大前提として対立の抹消は不可能
    情念の消滅も不可能
    文脈に依存する倫理

    よくもわるくも、政治的なものへの興味が薄れて来た。

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著者プロフィール

ベルギー生まれ。現在、ウェストミンスター大学民主主義研究所教授(政治理論)。ハーバード大学、コーネル大学、プリンストン大学先端研究所、パリ国立科学研究センター(CNRS)などでの研究職や、コロンビア国立大学、ロンドン市立大学、ロンドン大学ウェストフィールド・カレッジなどの教授を歴任。パリ国際哲学カレッジにも参画。邦訳に、『政治的なるものの再興』(千葉眞・土井美徳・田中智彦・山田竜作訳、日本経済評論社、1998)、『民主主義の逆説』(葛西弘隆訳、以文社、2006)、『政治的なものについて』(酒井隆史監訳、篠原雅武訳、明石書店、2008)、エルネスト・ラクラウとの共著『民主主義の革命』(西永亮・千葉眞訳、ちくま学芸文庫、2012)などがある。

「2019年 『左派ポピュリズムのために』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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