電通と原発報道――巨大広告主と大手広告代理店によるメディア支配のしくみ

著者 :
  • 亜紀書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784750512105

作品紹介・あらすじ

東京電力 269億円(普及開発関係費、2010年)
電事連加盟10社 866億円(普及開発関係費、2010年)
完全独占企業が莫大な宣伝広告費をメディアに投じている理由はなにか。
博報堂の元社員が実体験と統計資料をもとに、
巨大広告主―大手広告代理店―メディアの強固な絆を解説!

感想・レビュー・書評

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  • 少し古いのだが、広告業界を覗いてみたくて。本著は博報堂OBによって書かれたもの。興味の発端は、先の東京オリンピックでの電通関係者の逮捕だが、至近の週刊誌報道なども契機とした芸能界隈での老舗権威の度重なる失墜、つまり、ジャニーズや吉本や宝塚、それでもって韓国勢が紅白歌合戦での躍進劇。デジタル転換の遅れや自社ビル売却など、決して安泰な事業を送っている訳ではない彼らが、今、何をしているのか。妄想を膨らませるために読んでみた。

    原発利権、その危険性を報じる事を広告費のマネーパワーで一定程度抑え込んできたという本書の告発は最早古いし、だから日本企業はヤバい、という論調には必ずしも同意しない。少なくとも、福島原発の時にそのヤバさは崩れ、明るみに出たのだから、報道は機能したとも言える。

    東電が地域の独占企業であるにもかかわらず、大量の宣伝広告費をメディアにばらまいていたのは、原発の反対派による告発や原発関連のニュースが表舞台になることを押さえ込むためだった、というのは、既知の事。クライアントの企業不祥事に対する危機管理セクションを電通や博報堂は持っていて、ある程度その機能が働く事は、当然あり得る事。そのためのNHKでは?という問題は別の話だが、本音はそちらにある。

    という事で、本書は少し物足りないが、こうした広告会社が日夜の努力でプロダクトや企業についての印象操作を巧みに行い、今日も日本経済を動かす欲求のエネルギー源になっている事は、敬服すべき事だ。過労死が続かぬ事、手段を選ばす、社会悪を齎さぬ事を切に願う。

  • 電通告発本ではない。広告代理店の仕事に対する基本姿勢を、もと博報堂社員である著者が紹介している。顧客のためにはなんでもやるという姿勢が、結果として原発を抱える事業者等を擁護することになっているということらしい。悪意がないから余計にしまつにおえないのかもしれない。

  • 図書館。

    原発報道と銘打つほどには原発について書かれては
    いなかったように思ったけれど、広告代理店の
    ビジネススタイルがわかりやすかった。

  • 勇ましいタイトルですが、「原発」の割合より「電通」の割合が圧倒的に多い。表紙にそれが現れてますね。謝罪会見やイメージ回復キャンペーンなんかも広告会社の「お仕事」になるそうで、こと原発報道関係については読んでいて腹立たしくなることが多々あります。そういえば、原発意見公聴会の取り仕切りも博報堂だったし、他に入札したところは電通だけだった。
    著者も断っているように、第五の権力ともいうべき広告会社の側面を紹介する、というもので、原発事故以外の、広告会社とメディアの話がほとんど。商売とはいえ、嫌な話ですよ。

  • ツイッターにしろブログ界隈にしろ、兎に角世界は常に何者かのあくどい陰謀によって支配され、陰謀者は美味しい思いをして、我々貧乏人は徹底的に搾取される、そんな話が絶える日は無い。

    ある一面に於いてそれは確かにその通りではある。弱肉強食の現実は間違いなく存在し、そこには所謂勝ち組と負け組がいる。そして勝ち組は益々勝ち、負け組はどんどん負けるという残酷な現実も存在はする。

    しかし、もう一つの側面から現実社会にアプローチすると、また違った面も見えてくる。それはどんな光景か?自らに課せられた義務を果たすため、世界が滅ぼうが人が死のうが、兎に角自身のミッション達成のためにがむしゃらに突き進んでいる人たちがひしめき合う社会だ。

    今回、反・脱原発界隈でちょっとだけ話題になっていた本を読んでみた。本間龍さんの『電通と原発報道 巨大広告主と大手広告代理店によるメディア支配のしくみ』という本なのだが、タイトルだけ見ると「おや、また全ては電通の陰謀であるって、その手の本?」と思ってしまうのだが、さに非ず。

    実は著者は元・博報堂の営業マン。「昔の商売敵で本を書いたのかよ!w」などと思いつつまえがきを読み、本文をどどどと読んでみたのだが、実はこの本、ある種の広告業界本だった。いや、むしろ業界のあり方の概要を割と丁寧に説明しながら、そのあり方にこそネット上などのメディア陰謀論に繋がるようなある種の業界内/間のもたれかかり合いがあるのだということを示していた。

    俺のように広告業などに関して余り知識が無い人間にとってはそもそも広告代理店とはどんな仕事をしている会社なのか、から知ることが出来る入門本にすらなり得る。逆に言えば、その業界について詳しい人が読んでも余り面白くない本なのかも知れない。ましてや、強烈な反・脱原発的業界内告発を期待する向きには全くと言って良いほど向いていない本でもある。

    しかし、個人的にはこの本、読後に妙な納得感を味わった本だ。

    そう、大抵の現実は実に散文的な実態なのだ。どこかに強烈な悪意を持った大ボスが居るわけではなく、ましてや完全無欠の正義のヒーローが居るわけでもない。

    この本で描かれる電通・博報堂(デンパク)の人々は、兎に角クライアントの利益を上げる、守る為にありとあらゆる方策を用いる。挙げ句、同じ社内でも部署が違えば半ば敵同士だったり取引相手だったりと、間を取り持つ担当者は東奔西走。ある意味でそこらの忙しい商社マンや経営者などと大して変わらないのだ。

    あとがきの一節を引用したい。

    ” しかしあえていうなら、原発という悪魔の商品販売を目標に狂奔した東電はじめ原発推進団体に比べれば、デンパクに明確な自己の意思などありません。なぜなら広告代理店には売るべき製品があるわけではなく、彼のレーゾンデートルは「得意先の課題解決を通じてその対価をもらう代理人」であるからです。”

    では意思を持たないから罪は無いのか?と問われれば決してそんなことはないのだが、それと広告代理店陰謀主体論が正しいかは全く別の話になる。まさにこれは、「戦争における兵士の責任」に近いと言えるかも知れないが、それはまた別の話で。

    そしてこの構造は別に広告代理店に限らず、他ならぬ東電や推進団体、政府、立法府、司法府、他の団体、そして個人にも同様に言えるのではないかとすら思う。

    つまり、「自分たちしか見えていない」。

    自分たちしか見えていないから自分たちが果たすべき役目、使命をひたすらこなそうとする。そしてそれが目的化する。一種の官僚主義である。そして責任を徹底的に細分化することにより、全体に於いて誰も責任が取れないままの状態へと突き進んでいく。まさに現代の、我が国。緩やかな無間地獄。首謀者無き陰謀が進行していると言うわけだ。

    俺は一々陰謀論、または「真実」を信じている人たちをとやかく言うつもりは無い。もしかしたら俺が信じている何かだって、それに類するものなのかも知れないし、それが客観化出来ていない中で他人にどうこう言うというのも非常に気が引ける。

    しかし、時に全体を、あるいはある問題を俯瞰する時に、実は全体がそれぞれに「ピタゴラ装置」(ルーブ・ゴールドバーグ・マシン)になっていて、それらの装置同士が思わぬ反応動作をし合っているだけだったという視点も持てた時、案外どの辺に問題の本質が隠れているのかが妙に見えてくる瞬間もある。そこで動き回る人間の姿は悲哀に満ち、自分もその中の一つの装置なのかと思うときの妙な無常感は何とも言えない。

    そして何より、そんな馬鹿馬鹿しくもどうにもならない仕組みのせいで、多くの人々が不幸になったり命を失っているという現実こそが最も悲しい現実だ。

  • 表には出てこない、
    業界の裏事情が描かれていて、
    興味深かった。
    こういう情報は、
    マスコミには書けないだろうけど、
    そしたら真実を伝えるメディアって、
    ないんだろうか。

  • 表題につられ読んだが

    1章と 最後の章以外は 広告代理店の仕事の仕方に多くのページがさかれている。

    そのクライアント(メーカや広告主)とメディア(テレビ 新聞など)の間を取り持つのが広告代理店であり その仕事の仕方が

    日本の民主主義の根幹をくさらした一因になっていることを教えてくれるため

    この本を読む価値は高い。

    博報堂出身の著者が 電通を名指しで批判しているというより
    広告代理店と癒着するメディアという構造を批判している本である。

    その癒着もビジネスにとってお互い利があるからで
    国民にためになっていないことまが 明らかなのだから

    これは 国民が立ち上がらないといけない。

  • 電通と原発報道 という題名だが、内容的には、日本の広告代理店とは(原発報道からみるカラクリ)とかの方がよいと思った。

    内容は、元博報堂社員だった筆者が、現場レベルでの電通と博報堂の違い、広告代理店の仕事とは、そのうえで原発報道への過剰な対処が行われていたことを(予想を含めて)書いてある。

    電通と博報堂の違いも理解できたので読んでよかったと思った。日本は空気の文化であって、行き過ぎた配慮が時には、陰謀として語れることが多いが、広告代理店においても同じような面があるように感じだ。

  • 新聞、テレビ等メディアの一面がよくわかった。また、広告代理店がなにをしているのかもよく分かった本。企業の社会貢献・還元という言葉が空しく聞こえる。まあ、どこの国でもこんなものか。

  • 「広告を打つ」って言葉があるけど、それって何にために打つんだろう。

    競合がたくさんいる会社が打つのは、分かる。イメージアップが必要だからね。
    企業だけじゃなく、政党が打つのも、わかる。競合政党がいるからね。
    何かのイベントをやる、その動員をするために打つのも、わかる。知名度が必要だよね。


    じゃあ、電力会社が広告を打つのは、なんでだろう。

    競合相手は、いない。地域ごとに一社ずつしかないから。圧勝、一人勝ちだ。
    じゃあ、動員をするための知名度アップのため?そんなことしなくても、エネルギーは生活必需品だから、みんな使うよね。

    でも、答えはこの「動員をするため」だったら。
    一体何のための動員?

    本書は、この謎解きのために書かれた。
    驚くべきことに、エネルギー会社が動員するのは、その「広告」を目にする、消費者だけじゃなかった。

    誰しも、お金をくれる人には頭が上がらない。
    エネルギー会社がお金を渡すのは、二つ。マスメディア。そして両者をつなぐ広告代理店。


    エネルギー料金は、「公定価格」と言って、自由に料金を変えられない。(ここまでは中学生でも習う。)
    でも、一応企業だから、赤字にはなっちゃいけない。でもぼろもうけもしちゃいけない。
    だから、政府に、「運営にこれくらいの費用がかかっています」という帳簿を提出する。これが一つの目安になって、価格が決められている。

    じゃあ、問題は、その帳簿の真偽だ。それが自己申告だとしたら…。ここにカラクリがある。

    本書にデータが載っているけど、電力会社は広告費がすごい。
    これは彼らが勝手にやっていることだ。でもこのお金が、電気料金に上掛けされているとしたら。

    本書は、上記のカラクリがマスメディアに仕掛けられているがゆえに、決してマスメディアでは紹介されない本だ。いわば「内部告発本」。

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著者プロフィール

1962年生まれ。著述家。1989年、博報堂に入社。2006年に退社するまで営業を担当。その経験をもとに、広告が政治や社会に与える影響、メディアとの癒着などについて追及。原発安全神話がいかにできあがったのかを一連の書籍で明らかにした。最近は、憲法改正の国民投票法に与える広告の影響力について調べ、発表している。著書に『原発広告』『原発広告と地方紙』(ともに亜紀書房)、『原発プロパガンダ』(岩波新書)、『メディアに操作される憲法改正国民投票』(岩波ブックレット)、『広告が憲法を殺す日』(集英社新書、共著)ほか。

「2021年 『東京五輪の大罪』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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