西洋が西洋について見ないでいること ---法・言語・イメージ [日本講演集]

  • 以文社
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  • Amazon.co.jp ・本 (184ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784753102372

作品紹介・あらすじ

本書はフランス法制史の碩学ピエール・ルジャンドルの来日公演集である。法制史といっても、ここで語られていることはすべてが〈法とは何か〉という端的な一点をめぐってであり、それが言語やイメージ、主体、アイデンティティなど重層的な構造をもつことが力説されている。さらに重要な点は、このような理解は西洋社会にどっぷりと漬り切っていては見えてこず、いわば〈西洋を人類学する〉視点をもたないと見えてこない、ということである。資本主義は、現に存在するコミュニズムを管理するもっとも惨めな方法である。
独自の人類学的価値理論から新しい社会を産む人間経済の可能性を説く。
いまもっともアクチュアルな思想家の待望のインタビュー集。

感想・レビュー・書評

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  • うー。難しい・・・。でも無理やり要約すると、西洋的なものの見方から抜け出すみたいなことなのかなぁ。でもそう単純でもないか。ルジャンドルの「ドグマ人類学」ちょっと気になる。

  • フランスの法制史家・精神分析家、ルジャンドルの来日講演集。三本の講演と一本の美術批評が入っている。第一講演は「西洋が西洋について見ないでいること」という演題で、これは基本的にルジャンドルがやってきた西洋文明のアイデンティティの見直しである。ここでは「テクストの地質学」が提起され、「もう一つの聖書」であるローマ=教会カノン法が「理性」、「責任」、「国家」などの概念を培ったことをのべ、これらが近代以降、「鏡」である自己認識を忘れ、国家のテクノクラート化や、いわゆる「野蛮」の「啓蒙」などを行ってきたことを示す。要するに、自分たちもローカルだということを忘れてしまったわけである。このあたりは、キリスト教の坊さんたちも一時期、「仏教徒は潜在的クリスチャンだ」とか変なことをいった時期があり、宗教多元論との関係で反省をされているんだが、宗教間の対話に積極的な神学者の議論と近い。第二講演は「話す動物とは何か」という演題で、個人や社会を組み立てるものがテーマである。簡単にいえば、西洋では、アリストテレスの「政治的動物」以来、「言葉」が紐帯なんである。ルジャンドルはは文化の中で「身体」は「言葉」に変換されて、世界にインストールされると言っている。興味深い指摘だ。ただ、東洋では「身体を忘れる」という回路を通して、「身体」を認識する方法(座禅や弓道など)があるので、こういう身体技法についてどう思っているのか聞きたい気がする。この講演でも「鏡」がでてくるが、彼のいう「鏡」というのは自他をわける境界であり、言語を獲得する契機であると同時に、「魂を描く者」(=神)で、人の間に類似をつくりだすそうである。つまり、「鏡」の位置は権力だそうである。権力の暴走は鏡、つまりイメージの発狂である。「鏡」については、精神分析家の「鏡像段階」の話や言語学者の説を連想した。たしかに、言葉は自他の区別がなければ生まれない。「わたし」という代名詞ひとつとってもそうだろうと思う。第三講演は「人間のドグマ的な次元についてのいくつかの考察」という演題で、簡単に言えば、ドグマって18世紀に啓蒙主義とか実証主義が出てきて、批判されたけど、本来は知識を秩序づけたり、保証したりする「法」や「制度」と関わっているから大事だということ。西洋の「もう一つの聖書」だけが唯一のドグマじゃないし、日本や中国、アフリカの舞踏やトーテムなんかも「ドグマ」で、西洋文化の歴史で貶められてきたドグマをしっかり検討して、グローバリズムのように薄っぺらじゃない、もっと別の紐帯を目指すべきだという話になっている。人間を社会に属させ、生まれて来た「ヒト」の子供を「人間」にする言葉や儀礼や「フィクション」をともなった絆がつくれないものかという話である。こういった「フィクション」に組み込まれているのは人間の人生そのもので科学的な問いからはこぼれ落ちてしまうそうである(確かにそうだろう)。ぼくはこの講演から古代中国の「礼楽」を思い出した。古典中国の経学というのは今は人気がないが、考えてみればドグマだらけである。だが、そこではヒトを人間にするしくみが延々説かれているのである。また、アンダーソンの『想像の共同体』とも近いことを言うているように思う。最後の美術評論は日本の近代抽象絵画の祖、山口薫の作品について、「鏡」の観点から論じたもの。総じて、道教や谷崎潤一郎、三島由紀夫なども引いていて、中国や日本のこともルジャンドルは勉強しているんだなと思った。17世紀のフランスの法学者、アントワーヌ・ロワゼルという人も知った。法制史では重要な人物らしい。また、テリトリーの語原(司法官が脅かす権限をもつ土地、「テロ」=恐怖とも関わる)なども興味深く読んだ。ルジャンドルはすでに全10巻に及ぶ「ドグマ人類学」の『講義』を出しており、中世神学などの詳細はそちらを参照する必要があるだろう。

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著者プロフィール

1930年、ノルマンディー生まれ。法制史家・精神分析家。1957年パリ大学法学部で博士号を取得。民間企業、ついで国連の派遣職員としてアフリカ諸国で活動したのち、リール大学、パリ第10大学を経て、パリ第一大学教授と高等研究実習院研究主任を96年まで兼任。分析家としてはラカン派に属し、同派の解散以降はフリーランスとなる。中世法ならびにフランス近代行政史についての多数の研究を発表したのち、とくに70年代以降、主体形成と規範性の関係を問いながら、西洋的制度世界の特異性と産業社会におけるその帰結を考察する作業をつづけている。既訳書に『ロルティ伍長の犯罪』(西谷修訳、人文書院、1998年)、『ドグマ人類学総説』(西谷修監訳、平凡社、2003年)、『西洋が西洋について見ないでいること』(森元庸介訳、以文社、2000年)、『真理の帝国』(西谷修・橋本一径訳、人文書院、2006年)、『ルジャンドルとの対話』(森元庸介訳、2010年)、『西洋をエンジン・テストする』(森元庸介訳、以文社、2012年)。

「2012年 『同一性の謎 知ることと主体の闇』 で使われていた紹介文から引用しています。」

ピエール・ルジャンドルの作品

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